各国の歳出削減
イギリス 1918年度 25億7千万ポンド → 1924年度 7億8千万ポンド
アメリカ 1919年度 193億1千万ドル → 1925年度 39億ドル
フランス 1919年度 483億フラン → 1924年度 234億フラン 1924/12/25
「西原借款の整理がつかぬため、当の責任たる興業銀行、朝鮮銀行台湾銀行の幹部は何とかしてこの際西原借款の整理を得たいと政府に向って要望している」 1924/12/24
(日本で)宝くじ付き復興債券発行 一等三千円→郵便貯金減少 1924/12/22
「我国の現在銀行慣行の中で何が最も欠けているかといえば、われらは銀行引受手形が一般に行われぬこと…これが一番欠点であると考えるのである」前三井信託副社長 片山繁雄 1924/12/14
米国では、銀行の遊資が投機資金の貸出に向かう弊害が銀行引受手形の普及により一掃された 前三井信託副社長 片山繁雄 1924/12/14
ドイツ総選挙でルーデンドルフの極端国粋党(国家社会主義自由運動)大敗 1924/12/10
今次の政変(第二次奉直戦争)は一種の革命 段祺瑞 1924/12/8
「民国開基以来十三年間に於ける国会の行動は、一も国民の意思を代表したものと見るべきものがない」段祺瑞 1924/12/8
「国際的の電気需給に際し関税法上電気を貨物として輸出入税を課すべきか貨物に非ずとして無税とすべきか
回答、輸出入税は是れを課せざると可とす」 日本工業倶楽部 1924/12/6
「我国は建国以来国民皆兵主義を採り中頃武門のみにその権力が移ったのは一の変態である」文部大臣 岡田良平 1924/11/29
イギリス総選挙の結果、労働党から保守党に政権交代→ポンド相場が著しく上昇 1924/11/25
(浜口雄幸と金輸出解禁について)「浜口氏は入閣前に在って有力な解禁論者であったが、入閣後はまた最も強硬な反対論者となった、故に氏は解禁論に対する論弁の劈頭において先ず氏が在野当時と現時とは経済的事態の激変して来た旨を述べて居る」法学博士 小林丑三郎 1924/11/21
日本は発行紙幣高に対し12割以上の正貨を保有している それだから世界中で最も物価が高い 法学博士 小林丑三郎 1924/11/21
「最近の調査に依ると今世界の大国で、米国丈けは正貨の洪水といわるる程に発行紙幣高に対し十割の正貨準備を備えて居るが、英国では銀行券及び政府紙幣の発行総高に対し正貨保有高が三割七分である、仏国なぞは一割五分で、伊国は一割もなく僅に百分の六しかない」法学博士 小林丑三郎 1924/11/21
ベルリンにおける世界平和大会 軍備撤廃と徴兵廃止 1924/11/19
欧州戦争(第一次世界大戦)で英米仏伊は輿論政治が実行せられつつあったので勝った。独墺は超然内閣官僚政治に終始したので負けた。ロシア帝国のように憲法は名ばかりで貴族高官の専制に過ぎない国は最も早く滅びた 高橋是清 1924/11/17
「最近数年間米国の商工業が一般に不振であった大原因は戦時及び戦争直後に拡張せられたる工業の能力が十五割以上に及んだために外ならなかった」堀越善重郎 1924/11/16
1922年夏の不況に際して、フランク・A・ヴァンダーリップが、巨額の株券を買い入れ、驚くべき利潤を収めた 堀越善重郎 1924/11/16
(1922年夏の不況について)「今日の不況は遠からず恢復すべし、米国に於いて優秀株式が七分の利廻りを見るが如きは珍しき現象である、よろしく株式に投資すべし」フランク・A・ヴァンダーリップ 1924/11/16
「米国の政治家及び経済界の人士が今日腐心して居る処は如何にして海外よりの金の流入を防圧するかに在るのだから今後は世界何れの地たるを問はず確実有利なる企業に対しては進んで投資する事は明らかである」堀越善重郎 1924/11/16
(日本で)密輸出防止のため、従来1匁5円と定められていた金の値段を為替相場によって定めることとした 1924/11/10
円安ドル高のため、日本で金を1匁5円で買い、これを外国に密輸出すると莫大な利益が得られる 1924/11/10
(アメリカ大統領選挙について)「市場は過去の歴史から割出して共和党勝利の場合には大体に好景気が続きこれと反対に民主党勝利の場合には多く不景気が来るものと唱えている」 1924/11/3
ドーズ案実施→アメリカからヨーロッパに資金の大移動→ヨーロッパの産業勃興→激烈な国際商戦が予想される 1924/11/3
「英国では戦後自国内に染料事業を起そうとしてこれに保護を加えた、すると英国の織物業者は自国内で染ることをしないで皆外国の染物工場へ品物を出したというので大いに物笑いの種となった」 武藤山治 1924/10/30
(第二次奉直戦争)「奉天軍の戦勝で奉天票暴騰す 1924/10/29
中国動乱(第二次奉直戦争・江浙戦争)→日本の対中輸出減少→円安 1924/10/24
「欧洲大戦争に依りわが国は外国から約四十億円の利得をなしその内先ず二十四億円(戦後の我貿易の輸入超過累計)を吐き出し四五億円は外国への借金を返し十億円ばかりが残っている」 1924/10/24
(政友会と憲政会の政策の違いについて)「実は必ずしもそうきちんと区別をするほど‐両党に‐また両人にちがいがある訳でもない高橋はどっちかといえば積極的だが加藤といえども何も消極的という訳ではない」 1924/10/24
中国の内乱鎮静化と日本国内の米価高(農家の増収)→綿糸布の需要増加→紡績株の騰貴 1924/10/24
(金融梗塞の原因について)「それは多くの銀行がほとんど貸せるだけ貸して、しかもその担保に取った株が安くて頭金がきれているか、またはきれんとしているので所謂銀行の貸金回収難も株の値が安く、処分して売る訳にも往かぬというのがかなりある」 1924/10/24
(金輸出解禁について)「戦後直に実行すれば出来たのをやらないで来たので最早今日となっては貿易の回復を待って実行する外はないようになった」 1924/10/24
(外資輸入について)「苟くもその事業にして確実なる償還能力を備え且我国産業貿易の発展上必要なりと認めらるるものに対しては政府において固よりこれを抑制するの意思を有せず」大蔵大臣 浜口雄幸 1924/10/24
「今日のわが国としては実に為替相場の安いのを利用して外資を入れるに最も都合の宜い時である米国から一千万ドルの金を借りると之が去年だと日本で約二千万円になったものだが、今日では二千四百余万円になるのである」 1924/10/24
「しかも若し一年なり二年なり後にわが為替相場が回復して平価たる四十九ドル台になったときに右の借入金を返せば右の例で言えば二千万円だけ返せば宜いので即ち四百万円だけは得をするという訳になる」 1924/10/24
日本銀行が輸出手形に対し融通上の便宜をより多く与える方針→輸出手形の融通という名で国内の投機資金を借りようとする不心得者 1924/10/24
「わが国では堂々たる人が往々誤解され易い説を公にして居るそれは輸入品につき奢侈品は其消費を節約し輸入を抑制することの必要を説くが、原料品はこれはわが工業の原料だから必要なものだといってこれは全く別扱いのようにいって居る」 1924/10/24
「和製のラシャだからといってその洋服を収入の少い者が身分不相当に二着も作れば矢張り一つの奢侈である、そのラシャのある部分は舶来の原料(羊毛)で造ったのであるから程度は違うが、矢張り奢侈の舶来品使用となるのである」 1924/10/24
日米英の物価比較 米は戦前の5割6分高、英は7割4分高、日本は10割高
これを金貨に換算すると 米は戦前の5割6分高、英は5割5分高、日本は5割5分高 1924/10/24
「日本人は一年に酒を十二億円余飲んで居る、煙草を三億円余ふかして居る食物で三十億余円を費やし衣類で十五億余円を費やして居る」 1924/10/24
(袁世凱について)「若し袁氏にして自己の虚名を棄て真に四億民衆に忠誠を尽くしたならばあるいは統一の偉業を達成せないまでも基礎を築づいたであろうと信ずる」特命全権公使 小幡酉吉 1924/10/23
(袁世凱と中国軍閥について)「各省督軍は袁氏の帝政野望の一種の収賄的動機に依って各々強大なる兵力を擁し、各省要地に盤居して行政は勿論租税を私裁判を左右しその勢いは中央を凌駕するに至り中央政府は督軍の一顰一笑を伺わねばならぬ事態となった」特命全権公使 小幡酉吉 1924/10/23
「ベルリンのコール・マネー市場は新ドイツ賠償公債が確定してからすこぶる好況となり、諸工場も生産を増加し同時に失業者は減少しつつある」 1924/10/17
インドのタタ銑鉄 日本へ10万トンの銑鉄を輸出 日本の民間一ヶ年間全需要高の約4分の1に相当 1924/10/16
タタ銑鉄の日本での卸相場は、輸入業者の手数料・税金・諸費用込みで1トン当たり51円 日本製銑鉄の値段は1トン当たり58円 1924/10/16
インドは世界中で最も天恵に富み生産費が低廉であるから、大資本を投じ銑鉄と鋼材製造設備を拡張し、完成の上は、日本の製鉄業は圧倒され、再起不能になると気づかわれている 1924/10/16
(日本郵船の内紛について)「数名の外人がある会合の席上この紛擾はスクールボーイのストライキだと冷評した」ジャパン・タイムス主幹 芝染太郎 1924/10/14
(日本郵船の内紛について)「一会社の社員が団結して会社を思う赤心からだといって重役会の決議を無視したり、その重役会が任命した幹部をたたき落す事が出来るものならば、実業界は一日も安定を得られぬ事となる」ジャパン・タイムス主幹 芝染太郎 1924/10/14
(アメリカで)外国移民の教育方法を研究した結果、2個の方法を用いることにした。①移民に米国歴史を教えるため簡単な刊行物を配布すること②文字が読めない人々に活動写真(映画)を利用して米国史上の真髄を知らしめること エール大学教授 アーレン・ジョンソン 1924/10/13
(ドイツで)「戦前の硬貨はレンテン硬貨と同一価値に使用してよいことになった」 在ドイツ 稲垣守克 1924/10/9
(ドイツで)紙幣の発行が極限されているので金融は極度に逼迫 原料が買えない 賃金が払えない 工場は閉鎖しなければならない 利子は1割2分 在ドイツ 稲垣守克 1924/10/9
(ドイツで)「レンテンマルクの出来て以来人心はやや安定したが不景気は極度に達している」在ドイツ 稲垣守克 1924/10/9
「ドイツの資本家は今のところ外国の金が借りたい。若しポンドなりドルなりまたは円なりを手にして製造品は買い付けるならば恐らく半分の価格で売り放つであろう。利子が高いから商品は半値で売り飛ばしても金がほしいのである」在ドイツ 稲垣守克 1924/10/9
「金の輸出解禁は輸入を奨励して輸出を抑制するものであって、わが国の正貨保有高が無限でない限り結局為替相場を極端に暴落せしめねば已むものでない、この際かかる無謀の政策を実行するに至らば我産業は破滅の外ない」 正金銀行専務取締役 武内金平 1924/10/8
豊田紡織会社社長豊田佐吉 蓄電装置の発明を奨励するため発明協会に100万円を寄付 1924/10/7
「米国の生産能率 普通の消費額を遥かに超過」 1924/10/6
オーストラリアで極度の金融逼迫 小麦、羊毛の輸入困難 1924/10/3
(毒ガス使用禁止について)「イザ戦争となってはそんな約束は反故同様で、弱いものが用いては何の彼のと突込まれるが、強いものに対しては何の拘束力もないことは、歴史の証明する処である」一科学者 1924/10/3
(毒ガスについて)「これを塹壕の底に流し込んで鉄条網の代りにしたり、味方の守備の薄い処や敵の是非共通らねばならぬ場所その他必ず集合する箇所なんかに予めこれを用うることがある」一科学者 1924/10/3
「欧洲大戦中ドイツでは博士その他の人間が自ら進んで毒瓦斯の中に入り実際の研究をしたものでこれがため生命を落とした者も少なくないそうである」一科学者 1924/10/3
「欧洲大戦の与えた実際的の教訓は欧洲各国をしていちじるしく農業を尊重する傾向を帯ばしむるに至ったことは、各国の施設の状態に徴しても知らるるところである。」 1924/9/30
大戦景気の時でも朝鮮財界は比較的冷静 朝鮮産業が農業にその基礎を置いていることと朝鮮に移住した日本人が堅実で一攫千金を夢見るものが少なかったことが原因 朝鮮銀行総裁 野中清 1924/9/30
「内地経済界が整理を必要とすという事情より推し朝鮮に対しても緊縮一点張りで臨まんとするは非常に考えものである」朝鮮銀行総裁 野中清 1924/9/30
(満洲財界について)「同地に居留する邦人は財界好況時において内地以上に事業の大拡張を企てその反動の打撃は実に名状すべからざる有様である、実際満洲における日本人の事業中その基礎堅実なるは僅に二三に過ぎぬといって宜い程である」朝鮮銀行総裁 野中清 1924/9/30
上海の製糸工場 名義のみ外国籍のものが少なくない 外国籍にすれば税金を逃れることができ、戦乱で損害を受けた場合、賠償の要求ができる 1924/9/26
日本郵船で内紛 本支店陸上社員の同交会員全部が伊東社長の辞職を迫る 1924/9/24
震災手形の日銀再割引残高4千万円を下回る 市中銀行の見るところによれば震災手形の償還は予想より良好 1924/9/19
「ドイツにおいてブラジルのコーヒー及びチリ―の硝石の消費が増加するならば米国の対南米輸出が増加し結局ドイツが直接米国から銅や綿花や及び食料品を買ったと同様である」 米国商務省欧洲課長 ウォーレン・ジー・ゴールドスミス 1924/9/19
「最近の十個年間におけるが如く、世界の各国から一切にある国(米国)に向かって金の流入を見るという事実は恐らく歴史上その例がなかろう」テフェン・ペル 1924/9/19
「吾等は、米国が金の洪水に溢れ、助けを呼ぶまで金を支払うであろう」一イギリス人 1924/9/19
(アメリカで)「機械に依る製造工業会社の如き日本のように利益の大部分を株主に配当しないで積立て置く、そして能率増進のためまたは製造原価を安くするために必要な新機械買入れの資金に充て、常に時代遅れの工場にならぬように注意しているのである」 三井物産常務取締役 小林正直 1924/9/18
(第二次奉直戦争で)奉天票が金に対するより銀に対して著しく下落した。これは奉天政府(張作霖)が盧永祥を援助するため上海に送金すべく、奉天票で銀を買い付けたことによるものだろう 朝鮮銀行副総裁 鈴木穆 1924/9/15
第二次奉直戦争・江浙戦争→中国全土で硬貨蒐集(しゅうしゅう)戦 極度の金融逼迫 1924/9/14
吉林、奉天軍(張作霖)の出動軍費のため小洋票増発 票相場は159元から220元(金円百円に対し)に暴落 1924/9/14
百貨店は一般小売商より比較的基礎が強固であるから大震災からの復興も案外早く、たとえ小売商が不景気の影響を受けるとしても百貨店は最後に受ける 三越呉服店専務取締役 倉知誠夫 1924/9/10
「ただ憂慮すべきは米国におけるチェーン・スト―アの如きものが若し日本に発達するとせばそれこそ百貨店としては一大強敵である」 三越呉服店専務取締役 倉知誠夫 1924/9/10
箱根土地の社債 償還年限1年半 利率1割 1924/9/9
1920年(大正9年)堤康次郎が箱根土地株式会社(後のコクド)を設立 現在に連なる西武グループの基礎を形成 Wikipedia
(高利回りの社債について)「銀行が貸付に対して極度の厳戒態度を採れるため已むなく社債発行の挙に出でるはいう迄もない」 1924/9/9
高橋是清 日本の製鉄業を統一し半官半民の株式会社とすることを画策 1924/9/7
「奉天取引所休止 紙幣暴落のため」 1924/9/7
「キリスト教は上帝を信ずる、これは前にはよかったが今や余りに門戸が狭い、私は儒教が結局世界を領するものと信ずる」段祺瑞 1924/9/7
「奉天城内の宮城に上って、昔の君主の栄華に驚いた私は、更に土倉のような小さな家が立並ぶ奉天の町に、魏然として聳ゆる張作霖氏の図抜けた煉瓦造りの西洋館を望んで、今の君主の広大な威勢に肝をつぶした」清沢冽 1924/9/7
「北京の議会はただもう滑稽だ、字を書けないものもあれば、日本という国は一体何処にあるかも知らぬものが多い、ああした議会に何を我等が望むことが出来るか」唐紹儀 1924/9/7
福井菊三郎(三井合名会社理事) 生産費低減のため自由区域(経済特区のようなもの、区域内で関税や国税の税率を低くする)の設置を提案 1924/9/6
高金利→商工業者の資本上の負担→一般消費者に転嫁・対外貿易を阻害 東京商工会議所会頭 藤山雷太 1924/9/6
「東京海上火災保険会社は上海及び長江航路に対しいよいよ三日から戦時海上保険の取扱いを開始したしかしてその料率は危険率の大小や船舶の停泊日数によって相違あるも大体において貨物、船体とも百円につき上海五厘漢口七厘五毛見当である」 1924/9/5
関東大震災→財政出動・震災手形→通貨膨張→輸入超過 1924/9/2
「ドイツの紙幣濫発は如何にも無謀の狂態のように見えたが、実は敵を欺く一種の手品であったのかも知れない」小松緑 1924/9/2
ドイツ人が海外に投資もしくは貯蓄している総額76億5千万金マルク ドイツ国内においてドイツ人の手にある外国貨幣(ポンド、ドル、フラン、リラなど)合計12億金マルク 小松緑 1924/9/2
「七億の税金をとるため実に二千四五百万円をかけてそれでなおかつ人も足りなければ随って能率もあがっていない」東京税務監督局長 加藤守一 1924/8/22
(大連の竜口銀行の休業について)「貸出しに対する抵当としては農産物、有価証券、就中土地を多く取っていた、これら抵当物件の価格は満州の景気の如何によって騰落殊の外甚だしく、為に不慮の損失を免れぬ状態にあったのである」 1924/8/19
揚子江流域における紡績業(経営者)の約半分は日本人 清沢冽 1924/8/19
中国における日本の会社は支配人から小事務員に到るまでことごとく日本人を使用する。英米人は地が遠くて人間を呼び寄せられぬ関係もあるが、よほどの頭株まで中国人を使用する 清沢冽 1924/8/19
(箱根土地の社債について)「土地担保の金融については利息に対する所得税の賦課及登記等の面倒な手続きがいりますが此の社債を御買求めの方は簡易に土地担保の金融同様安全な投資を有利な条件を以てする事が出来ます」箱根土地株式会社取締役社長 藤田謙一 1924/8/18
藤田謙一は明石全登の末裔で津軽藩士の子 堤康次郎に招かれ箱根土地の社長に就任 のちに日本商工会議所の初代会頭、貴族院議員を務める Wikipedia
(島徳蔵について)「彼の石井一派と気脈を通じて、大株理事長の職を顧みず、陽に公平を装い、陰に石井一派を後援し、米の大思惑、大株ヂキ市場に鐘紡新株の買占めに力を致し、石井一派の落城するや。鐘紡ヂキの大穴の尻を拭う事となった」 1924/8/17
(ロシア経済について)「目下製造品の価格は法外に高く農産物の価格は法外に安い」アレクセイ・ルイコフ 1924/8/9
アレクセイ・ルイコフはソビエト連邦の政治家 レーニンの死後に人民委員会議議長(首相)となるが、スターリンとの権力闘争に敗北して粛清された Wikipedia
ロンドン会議(ドイツ賠償問題)進捗→海運市場を刺激し造船注文増加 1924/8/6
「今後ロンドン会議がいよいよドイツ側を招致してドーズ案が成立するに至らば英米為替相場はますます回復することにもなろう、が万一不成立の場合相場は崩落せぬであろうかの疑念を抱くものもある」 1924/8/5
「私は、京城、奉天、ハルピン、大連と歩いて、何処の日本人も米国の排日に憤激して日米戦争すらも主張している者の多いのに吃驚しました」 清沢冽 1924/7/29
大戦景気のバブル崩壊で、満洲における日本人の経済状態は見るも憐れなほど行き詰っている 清沢冽 1924/7/29
「満洲の一寸した事業‐旅館や料理屋のようなものでさえも在留同胞の発展といった名目さえつけば満鉄は従来巨額な資金を提供して来ました」 清沢冽 1924/7/29
「彼等は肝腎の算盤もなにも全くほうって、ただ日本人の事業とか建て物とかいう名に対して貸出しました。しかもその景気が一度担道につまづいて、秋風肌に迫るや、そこに残ったものは回収し得ざる不良貸付の帳簿のみです」 清沢冽 1924/7/29
(満洲の中国人について)「彼等は商売は小さいが、その運転は懐の現金でやっています。彼等の帳簿尻の十万円は、懸け値なしに彼等自身の財産です」 清沢冽 1924/7/29
(満洲の中国人について)「日本人街(満鉄附属地)に空家が多くなると、彼等は現金で耳を揃えて何時でも買いに来ます」 清沢冽 1924/7/29
(日本の対満洲経済政策について)「従来の如き極端なる保護は、人間を室さきの花の如く弱いものにしてしまいます。御覧なさい、彼等は借りた大金は貰った大金なりとして、多くは始めから返済の意志すらもないのです」 清沢冽 1924/7/29
「近来の目覚めたる国家は自由貿易とか自然放任とか云う様な机上の空論にのみ膠着して経済活動を全く個人的に放任せんとするものはない」安田銀行副頭取 結城豊太郎 1924/7/29
「歴史は古来同じ連続率をおって輪廻するもので、国際連盟などもまた今人の発明でも何でも無く、第五世紀より第十五世紀にわたる一千年の間欧洲人心を支配したる一大思想は実に世界文明の一統という高遠なる思想であった」古河電気工業会社社長 男爵 中島久万吉 1924/7/29
中島久万吉の父、中島信行は土佐藩出身、土佐勤皇党、海援隊、自由党副総理を経て初代衆議院議長となる 1924/7/29
中島久万吉の母は陸奥宗光の妹、妻は岩倉具視の孫 1924/7/29
電灯会社をかたり一般家庭を訪問し高額の電気使用量を請求する詐欺が多発 1924/7/26
「ドイツが戦前より負担して居る巨額の国債社債はマルクの暴落後殆ど全部償還され、現在ドイツは債務のない国となって居る」 1924/7/24
「染料工業は化学工業の中最も進歩したものであって一朝有事の際には兵器廠よりも染料工場の方が有力である位である、その実例は過ぐる欧州大戦においてドイツが毒ガスその他の発明によって連合国を悩ましたに徴して明かである」 工学博士 高松豊吉 1924/7/23
染料工業は高級の化学工業であるためこれに伴ってほとんどあらゆる研究ができる 工学博士 高松豊吉 1924/7/23
大戦後世界貿易の不振、世界船舶の増加→多くの場合英国船では採算が取れないほど運賃率が低下 ロイヤルメール汽船会社社長 キルサント卿 1924/7/22
「いつから貯金をする、こんどは貯金するという人に限って貯金したためしがない」貯金局調査課長 富安謙次 1924/7/17
富安謙次(風生)は俳人として有名。雑誌「若葉」を主宰 Wikipedeia
富安謙次 ドイツ視察中にハイパーインフレに遭遇 滞在3か月の間に、1ポンドが百万マルクから180億マルクになった 1924/7/17
(ドイツで人々は)「きょう手にお金がはいるとまず官憲監視の中でパンを購い残りがあるとシャボンだの、紙だのペンシルだのというようなつまらぬ日用品を買いためたものである、処かつまらないと思うこの日用品が翌日は前日の二倍、三倍、四倍の何万マークとなってゆく」貯金局調査課長 富安謙次 1924/7/17
「預金とか引き出す方法の便利に至っては日本ほど便利に簡単に出来ているところはどこにもない、しかし確実性は厳重にいうと英米二国には及ばないかも知れない」 貯金局調査課長 富安謙次 1924/7/17
大正13年7月 国債利回り6.2%、地方債利回り7.6%、重要株式配当利回り(60余種平均)9.3% 1924/7/17
男爵益田孝 マスダパン(大豆粕と小麦粉に少量の食塩と重曹を加えて蒸したもの)を考案 1924/7/17
益田孝はヘボン塾→アメリカ公使館勤務→遣欧使節団参加→幕府陸軍→ウォルシュ・ホール商会を経て大蔵省に入る。大蔵省退職後、中外物価新報(後に中外商業新報→日本経済新聞)を創刊、三井物産初代総轄(社長)に就任 Wikipedeia
「我米国民は平和克復直後に於て貴重なる内地生産物と労力とをドイツに送り莫大のマークの紙幣を買入れ、之をほとんど無価値となるまで貯蔵していたが今日は金に於て此の二の舞を試みている」コロンビア大学教授 パーカー・ウイルス 1924/7/15
「若しも欧州諸国が今日まだ残って居るその保有金を全部米国に売付けた後金を再び貨幣として使用することを断念したならば米国はどうするか」コロンビア大学教授 パーカー・ウイルス 1924/7/15
「ドイツが外国において財産を得た主要方法はマークの売却であり、その総額費に七八十億金マークに上る計算であって、これを買入れた百万人以上の外人がマーク暴落の損失を負担しているのである 1924/7/15
(宝くじ付き債券について)「小額債券の発行は国民勤勉の美風に悪い影響を来すものだ」某男爵 1924/7/12
各国の国富比較 日860億円、米7021億円、英3610億円、仏1662億円、独1659億円、伊600億円
一人当たり国富比較 日1500円、米6640円、英7630円、仏4240円、独2770円、伊1610円
1924/7/12
各国の銑鉄生産量比較 日30万トン、米3950万トン、英736万トン、仏500万トン、独400万トン、ベルギー200余万トン 1924/7/12
「戦後における我経済界の軽佻浮薄なる態度は米国人の眼に軽侮を以て迎えられて居るに加え大震大火による富力の滅失は米国人をして日本共に語るに足らぬとの信念を高めしめた、これが今回日本移民排斥となって現れたものである」経済連盟会専務理事 土方久徴 1924/7/12
「今日の農業は他の如何なる種類の産業よりも更に行詰って居る、ある人の説によると農業労働者はあれ丈困難な労働をして一日の日当は僅か八十銭しかつかないと云う事であるが物価の高い今日の世に八十銭が若し一円にした所でとても満足な生活が出来るものではない」王子製紙会社長 藤原銀次郎 1924/7/10
「一日二十円の高い賃金を取る米国の職人の作ったものと一日五円しか取らない日本の職人の作った家や機械を比較して米国の製品の方がよく出来て居て安い」王子製紙会社長 藤原銀次郎 1924/7/10
「日本では工場労働者の出入りが頻繁で、二年以上も同一工場に労働して居る者は全体の半数に足りない」王子製紙会社長 藤原銀次郎 1924/7/10
(鉄道の駅員について)「欧米では日本にくらべると五分の一か十分の一の人間で間に合わして居る、その理由は永く勤めて居るから乗客が多くてもまごつかない。日本のように不熟練な多数居るのと違って非常に能率が上る」王子製紙会社長 藤原銀次郎 1924/7/10
藤原銀次郎は戦前の三井財閥の中心人物の一人、「製紙王」といわれた。米内内閣の商工大臣、東條内閣の国務大臣、小磯内閣の軍需大臣を歴任 Wikipedia
米国船舶院 同院の所有船と民間船の機関装置をディーゼルエンジンに改装 速力11ノットを出し得る見込み
日本船舶にとり一層の打撃 1924/7/9
「主要国における為替と物価との関係 金建てとすれば仏国物価は最低で日本のそれは最高」 1924/7/7
「米国の漁獲制限で鮭の輸出缶詰が好影響」 1924/7/6
「暦を改める露国 四日はたらいて一日やすむ 一週間とは五日間で一日とは二十五時間」 1924/7/3
「今日わが国の経済状況は果して如何なる有様であるか、国民の生活が安定して、幸福円満な状態にあるかというと、私は日本始まって以来とは誇張に過ぎるが、少なくとも明治維新以来まだ遭遇したことのない位の悪い状態にあるということを断言し得られるのである」法学博士 小林丑三郎 1924/7/1
「さきに大震災のために失った紙幣の金額を見積って日本銀行より復興資金として出させる説が出たがこの事は日銀の好意にまつべき問題でなく当然実行すべきものである」法学博士 小林丑三郎 1924/7/1
「官民一致して綱紀の粛正を図ろうとする新内閣が、富籤や賭博に類した割増し付債券を売り出すというのは如何にしても矛盾である」ノース・クリフ 1924/6/30
加藤高明内閣の財政緊縮方針の声明により浅野セメント株が大暴落 復興事業遅延を懸念 1924/6/30
「戦争によって現在の社会を改善し、その弊害と欠点とを矯めようとの意見から、戦争を起こすことに努力している者もある。併しながらこれ等の論者はかつて戦争によって破壊した後に如何なる建設的な案を有するか示したことがない 日本駐在前米国商務官 ジェームス・アボット 1924/6/19
日本の総輸出額の4割は生糸で、米国がその生糸の8割5分を購入している。いわば総ての鶏卵は一つの籠にあり、この籠は米国の手中に握られている 日本駐在前米国商務官 ジェームス・アボット 1924/6/19
「米国における工場で、若し必要な規律を保つことが出来なければ、決して長くその事業を継続することや、または利益をあげることも出来ないのを私は断言する。この規律こそ日本で最も欠けているものである」日本駐在前米国商務官 ジェームス・アボット 1924/6/19
「日本においては陸海軍における規律は最も厳格であるにかかわらず、これを平時の生活に移し植えることが出来ないのは何故であろうか」日本駐在前米国商務官 ジェームス・アボット 1924/6/19
アメリカの製造工場の従業員は工場と会社を愛する心、精良な製品の製出に寄与したという誇りを持っている。これらは日本の大製造会社において最も欠如している 日本駐在前米国商務官 ジェームス・アボット 1924/6/19
政府による企業救済→難局に直面したとき借金をして乗り切る習性→金融逼迫 日本駐在前米国商務官 ジェームス・アボット 1924/6/19
「「外国の贅沢品」を撲滅し、輸入を少くするためと称し、コーン・ビーフとか、洋菓子という如き物を胸に画がいて、運動を起す如きは愚に近い、何故ならこれ等の総計は貿易表の数字にも表れぬ程に少いものである」 日本駐在前米国商務官 ジェームス・アボット 1924/6/19
「現在の国有鉄道を始め電信電話その他の官業にして苟も民間で出来得るものである限り悉く民業とするがいいと思う、日進月歩の社会において一々議会の協賛を経て一定の予算を取らなければならぬようでは仕事は出来ない」第一生命相互会社社長 矢野恒太 1924/6/18
公共事業に依存する地方民は緊縮財政によって大打撃を受ける恐れがある。これらの地方民が大都会に集中すると政治上、社会上の問題が起こる 勧業銀行副総裁 柳谷卯三郎 1924/6/17
「マンチェスターへ行ったところが虐待された、昔は解放だったものがこの頃は日本人と見ると何も見せない、見せないばかりか悪口をいう、それは日本人が行くと何か似よったものを作って売り出すからである」 農学博士 早川直瀬 1924/6/15
アメリカの絹業の発展は関税政策のおかげ 生糸に税金をかけないで絹織物に高い税をかけた結果の現れ 農学博士 早川直瀬 1924/6/15
「戦争にどの位絹物を使ったか、先ず戦場に行って見ると想像の出来ない位大砲をうっている、その大砲の火薬を詰める袋が木綿では打ってから粕が残るから絹をつかっている、また飛行機の翼、電気を送る電線を包むもの、これは人造絹糸では出来ない」農学博士 早川直瀬 1924/6/15
「ニウヨークの市場で売っている人造絹糸の織物というものを取り寄せて、それを解いていろいろ調査して見たが、人造絹糸で作ったというものの中にも天然絹糸が交っている、縦糸は必ず天然絹糸を使っているのである、人造絹糸ばかりで織るというものは僅なものであることが判った」農学博士 早川直瀬 1924/6/15
「人造絹糸が出たために生糸の底は押付けられた、人造絹糸が二ドル位で売られるから、それよりも五割も六割も高い値段では天然絹糸は売れないという訳である、だからこれからはどうしても生糸を安く作らなければならない」農学博士 早川直瀬 1924/6/15
生糸の中間業者は相場が上がれば検査を緩くし、相場が下がれば検査を厳しくする 農学博士 早川直瀬 1924/6/15
(第一次世界大戦中のアメリカで)「その当時はカーキー色の軍服が不足なのでそれを造るために羊毛を節約しなけらばならぬ時であった、それでスカートを詰めたところが忽ち大流行になって、婦人という婦人はみんな短いスカートをはくようになった」農学博士 早川直瀬 1924/6/15
(ロシアで)「新経済政策の結果農村にも新に有産農若しくは搾取農が現れて来た」昇曙夢 1924/6/10
公債価格が下がり、社債価格が高騰
英米で募集した外債条件の不利、公債計画の行き詰まり→公債から社債への乗り換え 1924/6/9
「事業会社が社債を募集せんとすれば政府が先に立って公債を募集する、しかも政府は不急なる事業に年五億内外の冗費を支出しているではないか、これでは労銀も安くはならぬ、物価も下落する理がない」東京電灯社長 神戸挙一 1924/6/9
「円価下落の悪影響を重大視する側の人は、金の輸出を解禁して為替相場を現送点まで引上げねばいけないといい、これに反対の側の人は、下落を自然に放任して置くことが輸出入の調節を得させる唯一の方法であると主張する」台湾銀行副頭取 森広蔵 1924/6/8
「円価地の下落は自然に放任して輸出貿易を刺激させ、傍ら必要な輸入品に対して在外正貨の払い下を自由にした方が、差当たっての穏健な政策であって、秩序の回復を待って徐むろに解禁の常道に出ることが当を得て居ると思われる」台湾銀行副頭取 森広蔵 1924/6/8
「わが国の輸出を増加する上の大障碍は物価高である、これはいろいろな関係で、今急に物価を引下ようとしても出来ないが、最も手ッとりはやいことは、消極的ではあるが出来るだけ輸入を押えること、特に日常生活に使用する外国品の輸入を少くすることである」台湾銀行副頭取 森広蔵 1924/6/8
「戦時中贅沢をする癖がついて盛んに外国品を使い出したその後内国品の物価が上がったから一層外国品の使用が激しくなったものである」台湾銀行副頭取 森広蔵 1924/6/8
日本の事業家及び貿易商が南洋各地に着々と地歩を占めつつあるが、日本の高金利は彼らにとって非常な不利益 半官半民の金融機関を作り、低利の為替資金及び事業資金を供給すべき 台湾銀行理事 久宗薫 1924/6/7
排日移民法を受けて日本で米貨排斥運動 1924/6/4
(イタリア経済について)「かくの如く通貨及び対外貿易の関係が近来いちじるしく改善せられた原因如何と云えばこれは去る一九二二年十一月ファシス党が現政府を組織して以来鋭意緊縮政策を断行し政府の歳出を緊縮すると同時に他方歳入の増加に努めかつ労働状態を改善して産業の復興を図ったからである」 1924/6/2
「歳入の好況持続につれて漸次無用の支出を厭わぬ弊習を生ずるは人情の弱点であるところへ、その頃より党争の勢いが一層甚だしくなり、権勢を得た党派は地方民に利益問題を提供して盛んに党勢の拡張を努めたのである」経済連盟会理事 土方久徴 1924/5/28
「何人でも一たび足を地方に踏むものはほとんど人跡を見ぬような山間の地にも鉄道の敷設が計画されているに驚かぬものはあるまい」経済連盟会理事 土方久徴 1924/5/28
土方久徴(ひさあきら)は伊勢菰野藩主土方雄志の弟 1928年から1935年にかけて日本銀行総裁 Wikipedia
「世界大戦の好況時において政府は頻に国費を膨張させ、不急の事業を企て、無用の官庁を増設したために財政は急激に拡大したのである」第一銀行頭取 佐々木勇之助 1924/5/26
「政府は依然として放漫財政を踏襲し、過重の課税を国民に強ゆるのみか募債さえして金融市場を圧迫している」第一銀行頭取 佐々木勇之助 1924/5/26
(遠州織物機業界について)関東大震災で救恤品その他の一般的需要を喚起して好景気→生産過剰→極度の不況 高梨 特派員 1924/5/21
ドイツの国民所得 戦前の430億金マルクから200~220億金マルクに減少 カール・ヘルフェリッヒ 1924/5/19
(排日移民法について)「一九〇七年に、日本自ら紳士協約なる変態方策を以て自国移民の渡米禁止を約束したのが、そもそもの大失敗で、それが今日の禍因を成している」小松緑 1924/5/18
(日本移民について)「これ等の農民は加州に土着してからは払暁より薄暮まで十二時間働き、日曜日も祭日も働き、その妻女までも働き、しかもその貯蓄せる収入を以てドシドシ土地を買い占める」小松緑 1924/5/18
(日本移民について)「初めは労働者として白人労働者を駆逐し、後には地主として白人地主を駆逐し、その所有地は加州のみにて四二九、〇〇〇エーカー、生産物の年額六七、〇〇〇、〇〇〇ドルの多きに達した」小松緑 1924/5/18
「今日金融が困難となり金利が昂騰している理由は極めて明白で、それは金融の原動力に不備の点があるからである、我が経済界は大戦中大いに膨張して資金を需要すること大であるにかかわらず、供給がこれに伴わないところから遂に今日の金詰まりを来たしたのである」 東洋精糖会社長 山成喬六 1924/5/14
日清・日露戦争で開港場の商権を日本商人の手に収めた結果、貿易も工業もいちじるしく発展した 東洋精糖会社長 山成喬六 1924/5/14
第一次世界大戦前、ベルギーの対日輸出額は英仏に次いで第3位 1922年には英独仏に次いでベルギーが第4位 1924/5/11
米国で東洋産茶輸入制限 台湾産茶及びセイロン茶が標準品となりそれ以下の粗悪茶の輸入を禁止 1924/5/8
「欧米各国は戦後それぞれ関税の障壁を高くしてほとんど自給自足ともいうべき状態に陥っていたからこれらの国々へわが国から輸出しようとしても生糸とか何とか特殊のものを除いてはほとんどその余地がなかったのである」神戸商業会議所会頭 滝川儀作 1924/5/7
「ニクローム線の製作に成功 日本の燃料問題もこれで解決」 1924/5/4
「日々米を貪いながらその直段を知らぬ者が多い、相当教育ある家庭の主婦にしても一切女中任せ米屋任せにして相場の変動に注意する人は極めて稀である」 1924/5/4
関東大震災の復興需要→建築材料暴騰→輸入奨励→巨額の輸入超過→金融圧迫→復興景気抑制 三菱銀行取締役会長 串田万蔵 1924/4/30
「震災直後東京市の精神病者発生数が急速度を以って増加」 1924/4/28
(関東大震災について)「復興途上の一挿話として、大正紀文を夢み、亜鉛板や木材の買占めを行った連中でその思惑はずれに当惑した者の多かったことは、人々の記憶に新たな処である」 1924/4/28
紀文=紀伊國屋文左衛門 1924/4/28
カリフォルニア州に住む日本人の数 約8万7千人
大根、豆類、果実、野菜、米等を産出しその額はカリフォルニア州全産額の12~13%に当たる 1924/4/20
激烈な預金争奪→輸入信用状の発行を条件として預金勧誘 実需を無視した輸入を助長するおそれ 1924/4/10
(ロシアで)「所謂新経済策の骨子は、従来の国営制度に変更を加え数種の重要工業を除いた残余の全部を私営に移し、現物給与を賃金制度に改め、また物税を金税に代えたことである」小松緑 1924/4/4
「ロシアには元来立憲政治が成立しなかったから、問題はロマノフの専制政治とサヴェートの専制政治とどちらがロシアに取って苦痛が少かろうかというに帰着する」小松緑 1924/4/4
(ロシアで)「新経済策採用後は、宛たかも大かんの下にしおれんとする草木が潤雨に遇うて活蘇するように、これまで衰廃していた百般の事業が忽ちにして繁栄し出した」小松緑 1924/4/4
(ロシアで)「過激政府はその教育方針として共産主義者養成に重きを置いているから、他の無用の学術(過激主義者より見て)を一切奨励しない」小松緑 1924/4/4
「世界の人類が悉く純真無垢の善男善女に生れ代らざる限り、共産主義は言うべくして行うべからざる理想に過ぎないことを実験上において立証した以上、百千のレーニン再生するとも、同じ失敗を繰返す外如何とすることはできまい」小松緑 1924/4/4
「毎年五十六億リラ内外の歳入不足が、ムッソリニの執政一年後には、その五分の一の十二億リラ内外に激減した」小松緑 1924/4/4
「近時英米の老成国を除く外いずれの国でも議会を無用の長物どころか有害の厄介者扱いするようになって来た。これは早く神聖なるべき代議機関が国事を忘れて私利に狂奔する所謂政治屋の集団と化したからであろう」小松緑 1924/4/4
(ムッソリーニの労働政策について)「同種の職業に就ては資本主と労働者とをして格別に連合して一定の賃金を協定せしめこれに依って資本家が勝手に個人労働者を冷遇する途を絶ち兼ねてストライキをも予防し得た」小松緑 1924/4/4
「本年度最初の十日間における国庫収入は、八十七クインテイリオン紙マーク(一クインテイリオンは百万兆)」在ベルリン 両角伝 1924/4/1
「つい最近まで米国のドルや英貨のパウンドを神の如くに崇拝した彼等は今ではこれ等の外貨にいささかの執着を感ぜず、すべての取引は金マルク標準に一変した」 在ベルリン 両角伝 1924/4/1
「かつて紙幣を与えて喜ばなかった乞食も時代の趨勢に鑑がみて紙幣を要求する世の中とはなった」 1924/4/1
1923年12月22日までに発行された旧紙マルクの総額 4垓7455京8926兆8260億4500万マルク 1924/4/1
関東大震災の焼失生糸の損害額 5~6千万円 1924/3/23
「米国のあの生産費の高さでは、とても世界的競争には堪えない、私の考えでは米国は遠からずして三ヶ年ないし四ヶ年の産業的不景気が来るだろう」英国連合商業会議所会頭 バルフォア卿 1924/3/19
「英国においてもひどい商業上の半身不随を感じた結果、最近になって始めて最善の良薬は賃金を下げるより外はないとさとったのだ」英国連合商業会議所会頭 バルフォア卿 1924/3/19
「私は米国の政治には、まるで素人だが、ただ一つ気がついたことがある。それは共和党が高率な保護関税を採用した時には、必ず次の選挙に敗れて、権勢から追われることである」英国連合商業会議所会頭 バルフォア卿 1924/3/19
(イギリスの失業保険について)「この組織の運用がまた極めて非能率的で、労働者は自己が失業者であるということを報告するために、半日も行列に立って居らなければならぬ。そしてこれが終る頃にはもう仕事を捜すのにおそいということになる」英国連合商業会議所会頭 バルフォア卿 1924/3/19
関東大震災での生糸焼失が大げさに報じられたため、周章狼狽したアメリカ人は大いに人造絹糸の仕入れに努力した 芝浦製作所社長 岩原謙三 1924/3/18
アメリカ国民は資金を国際化する充分な訓練を経ていないから、輸出超過が長く続けば通貨膨張、物価暴騰が起こり他の諸問題を誘発するに至るであろう アーヴィング・フィッシャー 1924/3/11
「ドイツが若し世界大戦の戦勝国として今日存在するを得たなら、欧洲における鉄鉱資源の五割をろう断し得たと云われて居るが、現在では僅に七分を余すに過ぎない」ベルリン 両角伝 1924/3/10
日本とシャム国(タイ)の通商航海条約調印 治外法権撤廃 1924/3/8
「米国金保有高は全世界における金総額の四割八分に該当」T・H・プライス 1924/2/26
「最近米国は国際貸借上巨額の受取勘定になって居るにこの受取勘定に相当する外国品を輸入してこれを消化することも不可能であればまた今日の如き政治状態の下に欧洲に資金を放資することも出来ぬから到底金の流入は今後も免れぬ状況に在る」 T・H・プライス 1924/2/26
エジプトのアレキサンドリア市の労働者が工場占領 「職工等は自力を以て工場を運転すると宣言し職工を以て一種のソヴィエートを組織した」 1924/2/26
(1923年のアメリカで)輸入超過がないのに金が流入し同時に通貨流通高も安定、これは一見不可思議だが、多額のドル紙幣が外国に流出しそこで交換の媒介、貯蓄の目的に供されているらしい ジャーナル・オブ・コンマース記者ウイルス 1924/2/18
1923年ハイパーインフレ下のドイツで外貨の闇取引が流行 在ベルリン 両角伝 1924/2/13
(外貨闇取引の取り締まりについて)「時を選ばず十数名の隊伍を組んだ警官が何処からともなく疾風の如く自動車をかってこの界わいに顕れ街上の群衆を包囲して片ッ端からつかまえる」在ベルリン 両角伝 1924/2/13
(外貨闇取引について)「一度警官が拘引者を自動車に満載して去るや彼等の活動は再び開始され、公定相場などは全然無実となって盛んに取引が行われる、従って銀行や両替店などはほとんど客足を絶ってしまった」在ベルリン 両角伝 1924/2/13
(レンテンマルクについて)「現在ある一部からは楽観されある一部からは遠からず旧紙幣の後を追うものとして悲観されているけだし政府の財政政策が旧マーク下落の根本的政策を改善しない限りは、新紙幣は将来再び旧マークと同様の運命をたどるものと見るを至当とする」在ベルリン 両角伝 1924/2/13
「莫大な伊太利の貿易外輸入 遊覧客費消と移民送金で三十億」(伊太利=イタリア) 1924/2/6
「伊国移民の年々本国に対する送金額の約五割は米国より発送」 1924/2/6
(旭石油会社について)タンカー4隻を所有し、海軍省の石油積取に従事しているが、平均年八分の利子支払いと船価償却に追われ利益が出ない 株価も低迷 1924/1/31
高橋是清 保証準備発行限度(金の裏付けなしに発行できる紙幣の限度)1億2千万円を5~6億円に増やすことを主張 1924/1/25
「今日の金利高の主因は明治三十二年日清役の賠償金取得を機会に兌換券制度を改正し日本銀行の保証準備発行限度を一億二千万円とした以来何等の変更を加えない点にある」高橋是清 1924/1/25
日本郵船の重役会で東洋汽船との合併交渉開始を承認 渋沢栄一が仲介 1924/1/20
イギリスで労働党内閣出現の機運→ポンド安→(日本の)外債募集に不利→震災復興計画に影響 1924/1/6
「英貨為替相場の激落で外資輸入頓挫せん」 1924/1/6
「今のところ個人的専制統治者によってその国政を運用されて居るのはロシア、トルコ、ハンガリー、ギリシャ、イタリー、ブルガリア、スペイン及びドイツの一部の諸国であって、これらの国の頭目は何等議会に責任を負わず、これを倒すには、ただ暴力によるの外はない有様である」 1924/1/1
「イタリーの左翼派が秩序を乱し、暴行横行の情勢を招致したのに対し、所謂鉄血を振るって国内統一をしたのがムッソリニであり、また官僚政治が腐敗し切って老人や不生産階級のために政治が動きが取れなくなった露国の状態に対し、反動として起ったのがレニンであった」 1924/1/1
「わが財界の病弊は各事業が資金を固定してしまって、これを動かすべき運転資本に欠けるところから起こって居る」横浜商業会議所会頭 井坂孝
工業会社が工場を拡張したが、その工場を動かす資金がない→いかなる高利の金でも借り入れて工場の機械を運転しなければならないという破目に陥る 横浜商業会議所会頭 井坂孝
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