(題名省略)

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生年月日
1980年7月16日
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岡山県

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1930(昭和5)年
「来年度予算の編成に当って、大蔵省では歳入減退の折柄極力緊縮方針を取ったが、ついに十四億四千七百万円と当初の予想を裏切り、ここに窮余の一策としてドイツ賠償金特別会計六百三十万円を一般会計に繰入れ、辛うじて辻褄を合わすことになった」1930/11/13


「所得税、営業収益税は所得の大小によって負担の大小があり、所得が変動するに従って自動的に負担が変化するようになっている、しかるに農民が負担する租税には右のような性質が欠けている」帝国農会 1930/11/12


「官衙学校、港湾、鉄道、兵営、官営工場すべて全国の租税によって設立されているにかかわらず、その利益を享けるものは主として都市及びその近郊の商工業者ばかりであって農民の与えられる恩恵は極めて僅小であるといわねばならない」帝国農会 1930/11/12


「現在地方銀行当事者中には休業の決心をしているものが少なくないにもかかわらず、地方官庁が無理やりにこれを抑圧して、不自然な営業を継続せしめているといわれている」1930/11/1


「陸軍の食糧、被服、消耗品等の経費については、予算があまればそれだけは積立金にして置いて、後で自由に使用することが出来るようになっている」一記者 1930/11/1
「物価が下落を告げ予算に剰余が生じた時には積立金を増加して置いて、物価が騰貴し予算に不足を来たすような時には積立金を崩してこれを補充し、以て給与を円滑ならしめるというところに、この委任経理の妙味があるといわれている」一記者 1930/11/1


(ドイツ賠償金の日本の取り分)「ドーズ案に代ってヤング案によって賠償が実施されることになったが、一九六六年三月二十一日までの三十六ヶ年と七ヶ月間に受取るべく予定されている金額は、合計五億一千六百二十万マルク、邦貨に換算して二億四千六百余百万円ということになる」一記者 1930/11/1


地方銀行が極度の窮状に陥った原因
①生糸暴落その他農村の収入激減による預金引出増加と貸出の固定
②手持ち及び担保株券中の大部分を占める電機株雑株の暴落
③不動産の処分方法途絶による資産の現金化難
1930/11/1


「現在の世界は列強互に相敵視して、動もすれば力に訴えてまでも自国の利益を開拓せんとしたる、いわゆる「冒険時代」をすでに経過致しまして、今は各国互いに相信頼して共存共栄を図る所の「安定時代」に到達して居るのであります」総理大臣 浜口雄幸 1930/10/29


「ロシアの国内は食糧不足で飢饉に瀕しているところすらもある。これだのに如何にして小麦輸出が可能であるかというと、ロシアは現在その五ヶ年計画その他に対し是非共資金を必要とするが、それが得られない。そこでその金をうるために唯一の方法が小麦を売ることなのである」 清沢洌 1930/10/26
「農業家は自分が苦心して収穫したものを政府にとりあげられるのであるからこれにあらゆる反抗を試みて、所在に暴動を起しているが、当局はこれ等を死刑に処し、あるいは追放してその初志を断行している」 清沢洌 1930/10/26
「この鉄血政策の結果、産業の生産額が増加したのは事実である一九二八-二九年の経済年度において、大規模産業の生産率は二割三分、総産業は一割七分を増し、一九二九-三〇年は三割二分を増加していると、当局者は主張している」 清沢洌 1930/10/26


「米国人の多くは人造絹糸と生糸との区別を知らない。日本人こそ少年の時から絹物に馴れて、その相違を識別することは簡単であるが、米国人は従来、毛織物に対する鑑識力こそあるが、絹物についての知識は極めて幼稚である。ここに人造絹糸の乗ずべきところがある」清沢洌 1930/10/23


目下永田町に建築中の新議事堂の建築費予算総額は2800万円である。主力艦1隻の建造費8千万円で東洋一を誇るような新議事堂が2棟以上もできる 一記者 1930/10/12  


軍艦1隻を建造する経費の概数
主力艦 8千万円
巡洋艦 2~3千万円
駆逐艦 5~6百万円
潜水艦 5~6百万円
1930/10/12


ワシントン会議前年の各国海軍費
イギリス 8億円
アメリカ 8億5千万円
日本   5億円(予算総額の3分の1)
1930/10/12


「我国が今日不景気に苦しむのは旧平価で金解禁をしたためだから、更に金輸出禁止をして新平価解禁で出直すべしというが如き説を為す者もあるが、旧平価解禁は我経済界の信用を維持し、その基礎を安定せしむる唯一の方策であった」大蔵大臣 井上準之助 1930/10/11


スウェーデンのインターナショナル・マッチ・コーポレーションがその支配下にある日清、吉林、大連の三マッチ会社に極端なダンピングを行わせ満州の業界独占を画策。これに対し奉天省官権は国内産業勃興、外国産業牽制の見地よりスウェーデンマッチを駆逐すべく種々なる手段を講じつつある 1930/10/7


「養蚕業不況と農家の副業転換 養鶏や養豚へ変る者漸く増加」1930/10/5


石炭を原料とする人造木炭(豆炭、ミクニ炭、文化炭など)が急速に発展
  木炭の1トン80~100円に対し人造木炭は17~8円
1930/10/3


「ウォール街に破綻者現る 大売物さらに殺到して諸株底抜けの惨況」1930/10/2


(大阪で)「今後五ヶ年以内には現在七大百貨店の持つ営業坪数はおそらく倍加、いや三倍から四倍にも増加するであろう」栄 1930/10/2
七大百貨店=高島屋、松坂屋、三越、大丸、十合(そごう)、阪急、白木屋
「一歩退いてこうした競争を現在大阪の人口や、購買力等から見るとき大阪における百貨店は今後相当の苦心を免れまい、坪数を二倍にし三倍にして各店が建物の競争をしたところでそれに比例して各店の売上げまでが到底二倍になり、三倍になるということはちょっと請合ないような気がする」栄1930/10/2


(中国で)「外国綿糸布に高率の関税 南京政府の国産保護」1930/9/30


糸価の急落をくい止め蚕糸業の危急を救う目的で、今春発動された糸価安定融資補償法も、今になってみると古糸の山を築き、金融業者に対しては巨額の不良貸を行わしめ、これが生糸市況の癌となって蚕糸業を一層窮地に陥れる結果となってしまった  麦子 1930/9/23
「即ち、この莫大なる滞荷古糸の圧迫によって、糸価は、該法発動後益々その落潮を早め、僅か半歳にして、殆ど半値近い激落を演じた」麦子 1930/9/23


「外国市場におけるわが国の公債の値段が実質以下に安いというようなことも勿論他にもいろいろの原因はあろうが、国家の歳出中に不生産的の軍事費が比較的に多いというが確にその一因であるといわれている」一記者 1930/9/20


歳出総額に対する軍事費の割合
日本   29%
イタリア 24%
フランス 22%
アメリカ 21%
イギリス 15%
ドイツ   6%
一記者 1930/9/20


独りフランスのみが好景気
原因
①海外に投資されていた資金が国内回帰
②多額の在外正貨を保有し国際的信用を保つ
③ドイツからの賠償金収入が安定
④第一次世界大戦の戦時債務を長期に借換
⑤観光客が落とす金が多額
一記者 1930/9/20


「アメリカの不景気はもとより一時的のもので、その原因は主として、原料品及び食糧品の生産過剰にあるといわれているが、最近ストックは整理されつつあるとのことであるし、なお政府においても低金利政策を取りつつあるから、遠からず米国の財界は好転するものと見られている」一記者 1930/9/20


「国粋社会党驚異的に躍進 ドイツ総選挙の結果」1930/9/17 


「トマトが日本へ輸入されたのは明治十五六年頃で、最初はただ趣味として栽培した位のものであったが、これを生果として栽培し販売し出したのは明治二十年頃で、そのパイオニーアは愛知県知多郡上野村字荒尾の人、蟹江源吉氏である」1930/9/11
「同氏がこれを生果として市場へ出した所、初めはだれも顧みるものなく、殆ど売行をみなかった」1930/9/11


「米国の会社が全部儲かって居るように思っているのは、元より間違いであって、ある会社は利益を見ているが、他の会社は損失している。即ち一九二八年において活動的な会社数四十二万五千の内から、十六万七千即ち三割九分は損失を報告している」清沢洌 1930/9/6


「一九二八年度において、個人の収入として合衆国収税局に報告したものの内、全収入の三割二分は株式の投機及び収入より得たる額である。投機から得た利益だけによってみても、一九二一年は国民全収入の二分(二パーセント)にすぎなかったのが、一九二八年には一割六分八厘になっている」清沢洌 1930/9/6
「この両者-投機及び配当-の合わせた総額は九十一億八千六百万ドルであり、不思議なことにはこの総額は、米国における全会社の総利益を超過すること正に二十億ドルに達するのである」清沢洌 1930/9/6
「しかも問題はそれに止まらない。この全会社の利益は、会社法の定むるところによって政府に報告せねばならぬが、投機及び配当によって得る収益については、一定の年収以下の人々は報告する義務はない。故に実際においてこの額は政府の統計が示すものよりも余程多いと見ねばならぬ」清沢洌 1930/9/6


「米国の経済学者は株の暴落は打撃であるには相違ないが、しかしそれによって直接の影響を受けたものは少数者であり米国経済界の基礎は何等の動揺がないから、その恢復が早かろうというに意見が一致していた。併しこの意見の正しくないことが、最近の形勢によって分明した」清沢洌 1930/9/6


(米国カリフォルニア州で)「私は何十町歩に亘る野菜-特にレタス-が、生育し切っているのに、そのまま抛ってあるのを見た。聞いてみると野菜の値段が下落して、その収入は労働者の費用を償うにたらずというのである」清沢洌 1930/9/6


ドイツがイギリスを追い抜き世界第2位の輸出国へ 化学工業、機械工業その他の異常な発達が主因 1930/9/2


松山常次郎は実業家、衆議院議員、キリスト教徒。1940年に米内内閣の海軍政務次官を務め、1941年にキリスト教平和使節団を組織して渡米し日米開戦の回避を図った。1946年GHQにより公職追放 Wikipedia


英国、米国のような対外債権の多い国は平価切下げを実行できない
仏国はロシアに対し莫大な貸出金を有するが、これはソビエト政府相手の債権なのでフランスの政治家は平価切下げを断行した
松山常次郎 1930/8/29


日本の中国に対する貸出金は円単位で契約しているため日本が平価切下げを行うと損失を被る。しかし中国に対する貸付金は近い将来において回収できるものではないので、この種の債権において損失を被ることは忍んでよろしいと思う  松山常次郎 1930/8/29


「政府は先ず官吏減俸を実行して範を国民に示し、以て銀行会社の減俸を誘導し、工賃の低下を促進するのだといった。この理論は正しい。しかしてその正しき理論を実行するにおいて失敗した」(官吏減俸に失敗した)松山常次郎 1930/8/29


「通貨の実際価値が法令上の価値よりも低下した場合にその貨幣整理をなすに当り、実際価値を引上げて法令上の価値に合致せしむる事は危険」松山常次郎 1930/8/29


明治15年の松方デフレの苦い経験を繰り返さないため、明治30年の金本位制確立の際、当局は貨幣価値切り下げによる方法を採用した 松山常次郎 1930/8/29


日本の貿易外収入激減見込
原因
①海運界未曾有の不況で運賃保険料収入激減
②シンガポールのゴム園が極度の不振
③中国の紡績業が銀価の暴落で(円換算の)利益減少
④アメリカ、ブラジル等の不況で移民送金激減
1930/8/23


冷蔵ケースがない一般の魚屋は
・1日あたり10円の氷代
・時々氷水に浸して並べる
・夏場の売り上げが平常の3~4分の1に減少
1930/8/23


牛込神楽坂上の魚屋が1929年10月から店頭に完全な冷蔵ケースを設置 食料品店としては先鞭 1930/8/23


公債価格の維持や外債借替のために極端な金融資本主義をとり、これを行うために無準備の金解禁を行い、緊縮と消費節約を強調するのが民政党
政友会の新経済国策は極力自国の産業を保護し、生産経済の発展と拡充を図る
政友会政務調査会 1930/8/5


「金解禁をして置きながら、色々小手先の細工をするので、先月末にはついに日本は事実上金輸出を禁止したとの説が、内地市場はもとより遠く太平洋を超えてニュウヨークまで飛んだ」1930/8/4


(米国で)「十一月の株式大恐慌が起る三ヶ月前に景気は頂点に達し、厖大な工場生産物は消化市場絶無によって必然的に過剰生産物となりその結果として、生産制限が開始され、従ってかく大量的に失業者が既存の失業者に合算され始めたのである、かかる情勢があったにも拘らず、株式投機は続いた」1930/8/1


ナショナル・シティ銀行が金現送を行うため日銀に兌換を申し込んだところ日銀は兌換を渋ったため、ナショナル・シティ銀行はできる限り残存する円資金を外貨に替えようと試み円相場急落 1930/7/28


(アメリカで) 生産費が1923年以来急速に下落
 ↓
製造業者が生産の規模を拡大する誘因
 ↓
生産過剰
 ↓
製造業者は消費者に信用購入(月賦販売等)をすすめる
 ↓
ストックは統計上増加しないが、消費者の倉庫に貨物が滞積
ロンドン、エコノミスト誌 1930/7/27


「底知れぬ安値にもだえる青物商 市場使用料滞納者続出」1930/7/25


(欧米諸国について)「各国で見た百貨店それぞれの経営振りには、日本としてさほど学ぶべき点があるとは思えなかったのみならず、むしろ日本から能率の高い売子をさし向けてあべこべに見習わしてやりたいとさえ思った位である」三越専務 小田久太郎 1930/7/24


金輸出解禁→物価急落→輸入品に対する関税負担額急増
日本の輸入関税は8割が従量税で残りの2割が従価税であるため
1930/7/19


「原料品の輸入、完製品の輸出は工業国たるの指標として嘗ては尊重されたが、現在ではそのことが当該国の産業の外国依存性を物語るものであり、その原料供給域を政治的に完全に隷属させなければ、却て危険性を表示する一指標であるとされている」1930/7/17
嘗て=かつて


ニューヨークの砂糖相場 有史以来の安値 1930/7/13


(日本で)海軍省が財源捻出の窮余の手段として製艦材料、燃料等の支払を二ヶ年間停止すると発表 一般財界に近来にないセンセーション 1930/7/11


「米国の消費激減に生糸市場恐慌状態 明治二十九年以来の新安値で買方大手一斉に投退く」1930/7/5


今日のこの恐怖的不況時に際し、浜口首相が緊縮節約の一点張りで、ただ手をこまねいて成り行きを静視しているというのであれば、その財界に及ぼす影響は、大正八年当時の放漫政策に比すべく、むしろ一層恐るべきものあるであろう 大阪堂島取引所理事長 林市蔵 1930/7/2


(高橋是清について)「大正八年の膨張時代において、時の蔵相高橋氏は何等これに対し統御節制の策を施すことなく、民間財人も、またこれに乗じて熱狂するのみで戦後の反動来に対する準備を考える者が極めてまれであった、この放漫政策が禍根となり、その後の不況を深刻ならしめた」林市蔵 1930/7/2


「今日の不況は人もいう通り全く世界的不況であって、ただ新平価で金解禁を断行した唯一の強国フランスのみが、その災を免れているに過ぎない」日本勧業銀行総裁 馬場鍈一 1930/7/2


「昨年のニュウヨーク株式市場の沸騰した時の如き、採算上では全く引合わない所まで、行っていながら誰も手を引こうとせず、せりあげて行き、結局はあの大恐慌に逢着した」正金銀行取締役 大久保利賢 1930/7/2
「わが国の生糸の場合はこれと反対であるが、全く同様の心理状態に支配され、少し反騰しかけると直ちに売物が出て値を崩すという有様である」正金銀行取締役 大久保利賢 1930/7/2


「わが国における現在の事業会社を真に安定せしめるには目下朝野共に喧しく論じているいわゆる産業の合理化を促進せしめるより外に道はあるまい、しかし産業の合理化はいうに易く、実行に困難で、殊にわが国では国民性として協調には不向きのようである」日本興業銀行総裁 鈴木島吉 1930/7/2


上半期全国手形交換金額 大正8年以降の最少記録 1930/7/2


(中国で)中央軍(蒋介石)と西北軍(馮玉祥、閻錫山)が互角の対立 両方が奉天派(張学良)の引き込みに没頭 1930/6/30


「アメリカの二百数十億ドルの官私債権の五割三分は、ヨオロッパが負うて居る。その債権国が、債務国の品物を買わないというのであるから、ヨオロッパの不況の度が如何に深刻の度を加えたかは想像に余りある」一記者 1930/6/25


アメリカ繁栄の関鍵たる高賃金率を維持するために、アメリカ人は資本家も労働者もおしなべて無暗に高い品物を買うことを余儀なくされている。アメリカは要するに一種の温室である 一記者 1930/6/25
関鍵=物事の最も重要なところ


「国際協調を無視し、政治を他国より孤立せしめ関税の障壁を設ける結果は、他国と友好関係にあれば海外市場に売却し得る生産過剰品を自己の狭量の正当な罰として保持することになり、遂には国家繁栄を破壊するものである」オーウェン・ヤング(ドイツ賠償案で有名なアメリカの財界巨頭) 1930/6/21


「一部の者は景気というものは楽観さえしていればよくなるものだと信じ、盛んに楽観説ばかり唱えている者がある。ハースト系のニュウヨーク・アメリカンなどがそうで、毎日一面に景気のいい事実ばかりのせている」在ニューヨーク 桂渓 1930/6/12


アメリカ大統領フーバー「われ等は今や最悪を過ぎた。一致協力の努力をなすことにより、速やかに恢復するであろう」と声明  その翌日、再び株価は大暴落 1930/6/12


「日本の雑誌を見ると、昨年秋の株式の低落から、米国の資本主義は没落してしまったように書いてある。この連中は馬が倒れても猫が死んでも、問題をその方面に持っていかねば承知しない」在ニューヨーク 桂渓 1930/6/12
「マルキストとか、左翼経済理論家というものは、その頭の凝りかたまり方において日蓮宗信者などと大して違いはない」在ニューヨーク 桂渓 1930/6/12


中国国民政府が為替暴落対策 銀の輸入は中央銀行が一手に行う 1930/6/10 


金輸出解禁後、実際には日本政府が種々の干渉を試みて金流出を妨害
 ↓
日本の銀行は中国(銀本位制)で金を買い入れアメリカへ輸送
 ↓
銀価暴落
 ↓
中国を相手とする日本の諸事業(紡績、砂糖、製粉その他)が難局
1930/5/29


「米国の株価が、結局米国産業の驚くべき生産増加に伴ったものである以上、準備銀行その他報告によって、自動車界及び鋼鉄界が生産過剰である事実が明らかになった時に、その真実の価値に引返すべきは当然であった」在ニューヨーク 桂渓 1930/5/21
「今から考えれば、この事を何故、昨年の春あるいは夏に考えつかなかったかが不思議であるが、当時、米国人は自己の力に酔って、生産過剰とか、不景気とかいうような文字は、当時のかれ等の辞書にはなかったのである」在ニューヨーク 桂渓 1930/5/21


アメリカで最近大会社が現金で配当する代わりに、株で配当する習慣を作ってきた。配当を受ける側は、株価が上がると以前より多く配当されていると考え、株価が下がると以前より少なく配当されていると考える。こうした心理状態が株価の動揺に与える影響は少なくない 在ニューヨーク 桂渓 1930/5/21


株価が今日のように低落した時期はむしろ事業界の整理の好機であり、過度の配当を慎みあるいは減資を実行することが比較的容易
  資金の負担を軽減する上で生産費の低下とほぼ同様の結果を得られる
  日本銀行総裁 土方久徴 1930/5/17


「独逸造船技師の誇りポケット戦艦 貧乏国へ模範を示す」1930/5/15


(カナダの小麦プール失敗について)「プールその他団体の力を以て、農産品をストックする場合には一面において価格の釣上げから生産を刺激し、他方高価の為めに消費を減退するから、ほとんど成功は覚束ないのである」一記者 1930/5/14


アメリカ農業不振の原因の一つはアメリカが世界の債権国であるという事実である。債務国はアメリカに借金を返すために、できるだけアメリカからの物資の輸入を抑制して、自国の生産をできるだけ多くしなければならない  一記者 1930/5/14


(アメリカの農業について)
1910年から1920年までの10年間、非常な好景気
   ↓
農民は借金して耕地の拡張
   ↓
第一次世界大戦後の不景気で農民の手に残ったのは値打ちの下がった土地と利息の高い巨額の借金
一記者 1930/5/14


「一見すれば世界を圧倒し、世界の産業界に君臨するごとく見えたアメリカの産業が、今日までありしごとく将来においても、世界の産業界に王座を占めることは、より高き関税の障壁によって、他国の競争から保護さるるに非ずんば到底不可能であった」一記者 1930/5/14


「十月下旬のニューヨーク株式市場の恐慌については当時、その結果を楽観する声が強かった政府筋や銀行家、事業家等の方面から出るものは別とするも、アーヴィング・フィッシャーのごとき学者も、この恐慌をば重大なる性質のものではないとして、前途を楽観した位であった」一記者 1930/5/14


(政府当局者が)「若し彼等にして世界の経済界がアメリカの株式惨落を動機として、再び戦後の不景気に逆戻りすることを承知して居ったならば、態々あの最悪の時期を択んで、金解禁は行わなかったであろう」一記者 1930/5/14


「議会においロンドン条約問題に関する幣原外相の演説並にこれに関する浜口首相、幣原外相の答弁に関して不満を懐く者多く、この潜在的感情は何等かの機会に激発せられんとする形勢にある」1930/5/9


「名古屋が六大都市中断然物価が安い 市産業部市場課調査の結果」1930/5/7


「既に銀行の金利は定期預金四分五厘以下になっているに拘らず、政府預金部の郵便貯金は四分八厘の高率を保っているのは全く金利の統制も低金利の政策も実行せられていないといえる、これがためさしもの財界不況を一層深刻ならしめているのである」名古屋株式取引所理事長 後藤新十郎 1930/4/25


(日本の織物について)ある一人の先覚者が少なからぬ犠牲を払って折角海外に市場を開拓したかと思うと、次から次へとこれを真似るものが現れ、品質を落として値段の競争をするから数年後には全く市場を失ってしまうのが例である 三菱銀行取締役会長 串田万蔵 1930/4/25


山本条太郎は張作霖爆殺事件の時の満鉄(南満州鉄道株式会社)社長。大胆な改革を行い「満鉄中興の祖」と言われたが、後ろ盾であった田中義一内閣が瓦解し辞任 Wikipedia


産業の当事者は命がけで合理化も行えば、節約もしている。肝要なことは既設事業の合理化に非ずして、むしろ生産事業の振興にある 衆議院議員政友会総務 山本条太郎 1930/4/25


「ドイツが戦後驚くべき復興を為し、その勢いはかえって戦勝国たる仏、伊に勝っておることは、世界各国の等しく脅異の眼をを以て見る所であって、これわが国の現状に比べて如何」衆議院議員政友会総務 山本条太郎 1930/4/25


「農村を見ても、十数年前に比較するならば、農村の生活は大いに向上して居る。生活の標準が日本農村の実力以上に上がり過ぎたことが今日農村を苦しめて居るので、これも現在のまますすめば、徐々新しい事態に適応して行けるようになる」川崎第百銀行頭取 星埜章 1930/4/25


日本の横浜正金銀行の資産は6億5千万ドル、三井銀行の資産は4億5千万ドル 1930/4/25


世界の5大銀行       資産額
チェース・ナショナル(米)  28億ドル
ナショナル・シティ(米)  22億ドル
ミッドランド(英)     21億ドル
ロイズ(英)       20億ドル
ギャランティ・トラスト(米) 20億ドル
1930/4/25


ニューヨークのチェース・ナショナル銀行がエクイタブル信託会社、インターステート信託会社と合併 新銀行の資産額は世界最大 1930/4/25


カニ缶詰(タラバガニを原料とする)が海外で珍重 ヨウ素を多量に含みアメリカ五湖地方やスイス等山国で流行する一種の風土病に特効 1930/4/21


上海市場は、銀塊安で中国人が金の装身具を売って銀に替えることが多いため、奥地から金の移入が多く金塊の買い入れに最も好都合 1930/4/11


「我が国の金解禁前にはアメリカと同時に上海への正貨流出が恐れられたにかかわらず、一月には三井銀行が上海よりアメリカに現送し、今度はまた三菱銀行が内地へ輸入することとなったのは予期しなかった珍現象」1930/4/11


「露国の通貨政策変更で対露企業行詰る ルーブル貨の国境通過禁止で三十銭の露貨一円に急騰し日魯漁業鮮銀等窮地に陥る」1930/4/9


「益す高くなる関税の障壁 自由貿易の祖英国を筆頭に今や世界的の傾向」1930/4/8


「日本の丸帯が外国人の間に珍重されていることは誰れでも知っていることである、特にアメリカ辺りではクッションとして或はテーブルカバーとして盛んに使用されている」1930/4/7


福沢桃介(ふくざわももすけ)は福沢諭吉の婿養子。相場師として株式投資で財を成した後実業界に転じ多数の電力会社を経営、「電力王」と呼ばれるに至る  Wikipedia


不況時に貸付を増やすのは金融業者の社会的使命 銀行の危険は日本銀行が補償すればよい 福沢桃介 1930/4/6


(アメリカで)「景気の好い時には五六掛け位しか貸付けなかった証券担保に対しても、一度株式暴落、金融梗塞となるや銀行は進んで九掛け位まで貸出すことを敢えてした。これは誠に機宜に適した措置」福沢桃介 1930/4/6
「翻って我が国の状態を見ると全くこれと反対で、好景気で株式のが好い時には七八掛けも貸て居りながら、いざ不景気となって株の値が下がると貸付率を引下げるばかりか甚だしいのは担保を拒絶さえする」福沢桃介 1930/4/6


「製糖の内地需要が五百万ピクル、輸出三百万ピクル合計八百万ピクルの需要であるのに、生産設備は千三百万ピクルの生産設備が全く死んでおり、これが生産費を高むる原因をなしている」台湾製糖社長 武智直道 1930/4/6 
1ピクル=60.48㎏


「緊縮政策が不景気を一層強めたことは認める、しかしたとい一時的には不況の程度が増しても、わが財政の根本的建直しのためにはこれが絶対的に必要であることを確信するものである」大蔵大臣 井上準之助 1930/4/6


「思うに大正九年の反動恐慌以後財界の整理は相当行われたが、しかもなお徹底をかいていたがため、金解禁は出来ず、したがって物価の下落、通貨の安定もなく、輸出貿易の不振を来し財界多年の不振の禍因を招いたのである」大蔵大臣 井上準之助 1930/4/6
「かかる不徹底な整理に止まらしめた最大原因が財界の縮小にもかかわらず放漫に次ぐ放漫を以てした中央地方の財政々策であったことはいうまでもない」大蔵大臣 井上準之助 1930/4/6


徒に緊縮節約の方針をとれば消費の減退に伴って生産も取引も共に減退し物価の不自然な下落を来し、国民の収入所得を激減し、ひいては購買力を減少せしめ不景気がただ深刻の一方に向かうことは、最初からわかり切ったことである 前大蔵大臣 三土忠造 1930/4/6


わずか半年の間に為替相場を一割以上引き上げて金解禁を行うが如き無理なことをした国は、世界中一国もない。これだけで経済界に相当甚大な打撃を与え、不景気を招来することは当然の帰結 前大蔵大臣 三土忠造 1930/4/6


田昌(でんあきら)は大蔵官僚出身の政治家。大蔵政務次官在任中の1927年3月に、資金繰りに困窮していた東京渡辺銀行の経営問題に絡み、片岡直治大蔵大臣の失言を誘発 Wikipedia


「我が国の会社には多大なる欠損を隠蔽せるもの多く、バランス・シートの如きはそのまま信用出来ぬ有様で、しかも欠損隠蔽の結果、その配当は蛸配当に流れますます会社の資産状態を不健全となし、一朝その内容が暴露すれば株券の市価に大暴落を来し財界各方面に多大の悪影響を及ぼす」田昌 1930/4/6


今の経済国難の根本原因は、世界大戦財界好況時代に政府当局者が対策を誤り、殊に大正八年にアメリカが金解禁をなした時に日本が金解禁を行わなかったこと 仮に金解禁を行わなかったとしても非常な難局に陥ったであろう  民政党政務調査会長 田昌 1930/4/6


金輸出解禁以来の休業銀行
栃木銀行(栃木県、原因:不動産抵当貸出の固定)
松戸農商銀行(千葉県、原因:有価証券の所有過大)
甲賀銀行(滋賀県、原因:他銀行との合併失敗)
1930/4/3


「軍縮の打撃は造船界のみでない 七十一種工業に及ぶと造船業者は補償無用論を反駁」1930/4/1


「金解禁後の日本の対外貿易は輸出入ともに委縮し、一月、二月の合計は前年同期に比し輸出において二割減、輸入において二割八分減である」1930/3/29


ニューヨーク株式救済銀行団(モルガン商会等) 持ち株を有利に処分して解団 1930/3/28


(日本で)金融機関による個人への融資は、1929年の日本昼夜銀行等による小口融資が始まり Wikipedia


「サラリーマン金融に新機軸を出した日本昼夜銀行では更にすすんで中小商工業者対手に商工小口貸付を開くこととなった」1930/3/26


「最も憂うべきことは、近時働くという事を嫌う風習と、多数をたのんで秩序と法律とを蔑視する傾向が、国民の一部に起っていることである」横浜商工会議所会頭 井坂孝 1930/3/11


「むしろこの不況に直面して倒るべきものは倒れ、立つべきもののみが生残ったなら、財界の回復はかえって速になるだろうと思われる」阪神急行社長 小林一三 1930/3/11


「この不正常の不況打開策は如何というに、曰く「無」である」阪神急行社長 小林一三 1930/3/11


樺工(樺太工業)は王子製紙、富士製紙に次ぐ業界第3位の製紙会社。大川平三郎(渋沢栄一の義甥)が設立。製紙大手3社の合同に伴い1933年に消滅 Wikipedia


「株式市場において売方が不景気はまだまだ深刻となるような宣伝をして株を売叩き、証券市価を実質以上に崩落せしめ、その間に巨利を博するということは可成り行われ易いことで、現に東株市場では東電、樺工、浅野セメントの三つは売り崩しの目標としているという話である」 小林一三 1930/3/11


「一体日本国民は政府の方針なるものに左右され過ぎる傾向がある、民政党内閣が産業合理化を唱えると無条件にこれに賛成する、一般民衆は万一産業合理化が日本で徹底的に実行されたら己れの首を絞めることになるのを知らない」浦賀ドック社長 今岡純一郎 1930/3/11
松田ランプでは昨年新機械を導入したところ、従来職工一人当り一日千六、七百個の電球を生産していたのが九万個となり約二百六十名の職工が解雇された、しかもその新機械は電球に対する現在の需要状態では一年の半分は休ませて置かねばならないという 浦賀ドック社長 今岡純一郎 1930/3/11


有力生糸商コアリー・ヂャーリー ニューヨーク・ナショナル生糸取引所で相場売り崩し策動 1930/3/9


「若し政府が現在のまま公債買上げ糸価補償等主として銀行救済を目的とするような一部救済のみを行って進むならば、やがてちまたには失業者が続出して一種の社会問題を惹起することになることはほぼ想像に難くない」一記者 1930/3/7
この厄介なる社会問題の発生を防ぎ得る途は、緊縮政策の修正(国債を財源にして鉄道その他の公共事業を行う)あるのみである 一記者 1930/3/7


株価は、他のすべての物価と同様に、否それよりもさらに鋭敏に貨幣価値の変動によって動く。金の平価解禁をした後の今日若しくは来るべき数年間は貨幣価値が高くなる一方であるに決まっているから、株価は低落する外ない 一記者 1930/3/7
「一例を電灯電力、鉄道軌道のような自然独占事業にとって見る、営業の成績がたとい従前通りであると仮定しても金解禁の結果金の値打ちが上がった以上株価が元通りで居れる道理がない」一記者 1930/3/7
「固定資本の高に応じて一割なり二割なり若くは三割なり株価が下るのは免れがたきところである」一記者 1930/3/7


株価は、他のすべての物価と同様に、否それよりもさらに鋭敏に貨幣価値の変動によって動く。金の平価解禁をした後の今日若しくは来るべき数年間は貨幣価値が高くなる一方であるに決まっているから、株価は低落する外ない 一記者 1930/3/7


(インドの関税引き上げについて)「インドに対する最大の綿布輸出国たる英国の製品を除外し事実上わが国の製品のみを目標として差別的関税を新設することに対しては飽くまでインドおよび英国政府の猛省を促さざるを得ない」大日本紡績連合会、輸出綿糸布同業会、大阪綿糸商同盟会 1930/3/4


米国ニューヨーク州(ルーズヴェルト州知事) 約10億円の土木事業費を計上 1930/3/2


「日本綿製品英本国をも悩す 遂に下院で問題となる」1930/2/27


生糸相場下落の原因 ①米国財界の反動 → 生糸需要減 ②銀塊相場暴落 → (銀本位制の)中国生糸の進出 ③欧州絹業界の不振 → イタリア生糸の対米輸出増加 1930/2/23


「対策の効果薄く生糸新安値 米国の需給状態悪化から前途を痛く悲観さる」1930/2/23


「科学の力で人間製造 実現遠からじ」 1930/2/20


・金輸出解禁に伴う緊縮政策
・帝都復興事業の完成
・各社によるセメント工場新設
   ↓
セメント業界未曾有の4割5分の操業短縮
1930/2/17


商工省調査 
日本の工場(職工5人以上使用)の全産額
大正3(1914)年  13億7160万円
大正8(1919)年  67億3763万円
大正10(1921)年 54億9851万円
昭和3(1928)年  73億7795万円
1930/2/15


銀塊暴落→中国(銀本位制)の外債元利支払いに莫大な損失 1930/2/7


長野県工場課長の説明によると
県下全体の賃金未払い工場数は全体の4.3%、金額において1%、職工数において10%
1930/2/5
県の当局から発表された右数字の多くは、警察沙汰になったもの、または県工場課職員の調査によって発見されたもののみのようで、工場主と従業職工との談合で、これを個人貸借に移して内密に解決したものは、含まれていないといってよい 高梨 1930/2/5


(長野県で)「ある未払の工場主は工女帰郷の手土産に鶏卵を持たせてやったところが、その玉子は生ではなく、煮で玉子であった。何の事はない、孵化せぬ-未払い賃金はもう返らない-との意を通じさせ、巧妙な暗示を与えたものであると解釈された」高梨 1930/2/5


「何故に製糸業者が今日の窮境を招いたかというに、もとより糸価暴落による損失がその根本原因をなせること言を俟たないが他の一面において、従来放漫なる経営を続け無謀の工場拡張を計って資力以上に仕事を仕過ぎたので、そこに経営の無理があった」高梨 1930/2/5


「群馬県下製糸家中、昨年末の工女その他就業職工に対する賃銀支払に窮せるものは、一部組合製糸並に有力製糸家を除いては、ほとんどその全部の製糸工場であるといっても過言でない」高梨 1930/2/5


(群馬県の製糸工場の不振について)「原料繭代金の支払はほとんど繰延べ工女賃銀も五分一ないし十分一を支払い、漸くこれによって工場法違反を免れているものも少なくない」高梨 1930/2/5


「金解禁実施後政府は正貨の流出、為替売却に手加減を加え極力これを阻止せんとして来たが、それにもかかわらず正貨並に在外資金はともにすでに二週間にして数千万円という激減を見るに至った」1930/1/29


「正金銀行が信用状発行制限 正貨流出に驚いた政府の輸入防遏策か」1930/1/29


「ボンベイ紡績大合同の計画 印度帝銀が援助する模様 実現せば我国の脅威」1930/1/22


「農家の副業として有望な金魚輸出 輸送の方法も改善され米国の需要も逐年増加」1930/1/9


金解禁で財界の不況が深刻になるかもしれない → 産業合理化が必要 → 長期低利なる産業資金の供給が必要 → 不動産証券化(資金化)が必要 日本勧業銀行総裁 馬場鍈一 1930/1/4


一国の貨幣の数量を金から解放する管理通貨制度が理想だが、社会に必要な貨幣の数量を正確に測定するのは非常に難しいから到底実現不可能。少なくとも現今においては金本位制を採るほかない 法学博士 山崎覚次郎 1930/1/1


1929(昭和4)年
「株式の崩落は小売に響かない アメリカの通信販売店等でかえって売上増加」1929/12/27


「アルゼンチン国金輸出を禁止す 兌換局も閉鎖断行」1929/12/21


(中国で)「国民政府の勢力が全く一部分に局限され、地方へ行けば軍閥や党部の連中が勝手気ままに法律処分を行使する現状においては、列国も到底、国民政府の要求するまま治外法権の撤廃を認める訳にはゆくまい」古城生 1929/12/10


今までは需要に応ずるだけ作るのが工業の使命であった。しかるに今日では作っただけ売るということが必要になってきた。大量消費なくしては大量生産は成り立たない 上野陽一 1929/12/7


「日本も英国と同じで資本が固定しすぎている。私は大阪に行ったが同市の道路などはこの前に行った時とは隔世の感があるほど発達している。結構なことだが、しかしこのために資金が固定してしまって流動資金がたらない。新しい資本は矢張外国に仰ぐの外はない」リチャード・ワーナー 1929/12/3


「日本ほど今のところ能率のあがっていないところはあまりないという状態だ。それは何故であるか。支配者、エキゼキュチヴが悪いからである。適者を適処に持って来ないで、因縁や情実だけで仕事をしているからだ」 リチャード・ワーナー 1929/12/3


「日本は天然資源において欠けていますが、ただ一つ他国が有していないものがある。それは優秀なる労働者の群である」リチャード・ワーナー 1929/12/3


(日本の金輸出解禁について)「私は中々出来ないと思う、英国や仏国の金解禁の後の不景気を知っていますが、日本の産業界の状態は到底それにたえなかろう」リチャード・ワーナー 1929/12/3


「全国の会社という会社の収益は、一部の例外は当に伴うが、大勢としては物価の低落が続く間低下すべきことは明らかであるしかして収益が低下するにかかわらず株が買い進まれて株価が高くなることは、それは唯一金利低下の場合においてのみ起こる現象である」一記者 1929/11/23
「しかるに金解禁の結果は金利が低下せずして騰貴するのである」一記者 1929/11/23


「金の解禁をする、すなわち金の出し入れを自由ならしめる金本位制度に帰りながら、実際は金が一匁も出ないようにと祈り、その結果は解禁実施後金を外国へ持ち出す者があれば非国民ででもあるかのように考える者すらある」一記者 1929/11/23


(金輸出解禁について)「世間一般には解禁の本質はもとより、その影響も案外知られて居ない嫌いがある、中には濱口首相や井上蔵相のラジオを聴いて以来、何でも解禁をすれば、いまの不景気から脱却することが出来るように思い込んでおる人も少なくない」一記者 1929/11/23


(日本で)「金解禁促進を政府当局に要請 実業連合会の決議」1929/11/7


(アメリカで)投資信託会社が急激に増加 投資信託会社の資本額は本年度の初めまでに総計15億8400万ドルであったが、本年度8か月だけにできたものが15億ドルに及ぶ 桂渓 在米国 1929/11/05


(アメリカで)「投機熱の勃興と共に最も打撃をうけつつあるのは公債や社債である、たれもかれも普通株に走る上に、銀行などすらこれを手放そうとし、各銀行は準備銀行に対し借金の返済やら抵当やらに、公債を押しつけてしまう」桂渓 在米国 1929/11/05


「中央銀行の金利によって投機熱を絶断に左右しうるのは、その投機者が専門家である場合に限るのである。米国のようにそれが全国的になって、投機の資金を自分の貯蓄から出して来る場合には、準備銀行の金利政策も案外に効果がない」桂渓 在米国 1929/11/05


「米国株式の暴落は対米輸出に影響薄 土方日銀総裁談」1929/10/31
(アメリカの)「市中銀行の株式貸付は時価の五掛け見当しか融通していないから、銀行には大して打撃を与えないであろう」日本銀行総裁 土方久徴 1929/10/31


「ムッソリーニがかつて囂々たる反対の中に、先ず官吏の俸給の一割減を断行し、次で物価の一割減を行い、再び商人階級の猛烈なる反対にあい、なおも屈せず更に労働賃金の一割減を敢行し、三度の激烈な反対におうた彼の生命は果断決行にある」道家斉一郎 1929/10/30
「今や時代は強く正しきものを要望してやまぬ、ムッソリーニが、全伊太利国民崇敬の的となり、彼のスペインの強きリベラ将軍がスペイン全国民の中心となっているのも、皆時代の要求ではなかろうか」道家斉一郎 1929/10/30


アメリカの信託会社が日本の国債をアルゼンチンの国債と同様に危険視 日本が近く戦争をするおそれがあるため 1929/10/15


「益々窮迫する中小地主 新潟県の北蒲原郡では地価と小作権が同値」1929/10/15


「新銀行法による資本金法定失敗 健実なる小銀行が続々廃業し中小農工商の金融益々行詰る」1929/10/12


「ロンドン株式取引所は公称一千二百十五万ポンドの資本を擁する謂ゆるクレアレンス・シー・ハットリー系に属する会社の株式上場認可の中止を発表して当地株式市場はセンセイションを捲き起こした」1929/9/22
クレアレンス・シー・ハットリー=Clarence Charles Hatry


アメリカ人はこの繁盛の由来をすこぶる簡単に説明している
①大量生産で原価を極度に低下
②連鎖組織(チェーンストア)と分割払いで流通の便利をはかった
③賃金をできるだけ高くして一般の購買力を助長
小松緑 1929/9/21


(アメリカの好景気について)「物価が安くて賃金が高くて、金廻りが好くて暮らし向きが楽と来ているから申し分がない」小松緑 1929/9/21


「外貨邦債に買注文殺到す 金解禁後の対外投資の前兆として金融界注目す」1929/9/15


地球の改造 世界の4大計画
・ニカラグア運河
・英仏海峡地下トンネル
・ジブラルタル海峡地下トンネル
・サハラ砂漠人工灌漑
1929/9/10


「シベリア鉄道が開通した当時、ヨーロッパまで半月で行けると言って驚いたものだそうである、それが飛行船時代になると、僅か四日間に短縮されるのである、そうなると日本のモガさん達もパリの流行から一年遅れてはいられまい」1929/8/28


飛行船は重いものを大量に運搬する点では海上の船に及ばない
軽いものを少量に運ぶ点では速力が速い特長
飛行機は航続力の点において飛行船に及ばない
1929/8/28


(飛行船について)「ツエ伯号は巨大なものに相違ない容積の上から言ったら何万トンといった巨船に匹敵するものであるが、しかしこれに積込む貨物の重量から言ったら二百トンの小船にも及ばない程小さいものである」1929/8/28


(飛行船について)「ツエッペリン伯号の評判が高いので、船会社の将来が悲観されて郵船会社の株が下がったと報ぜられている」1929/8/28


日本における外国人観光客数は昭和3年に約3万人にのぼり消費金額は約5200万円
  世界三大観光国たるスイス、フランス、イタリアに比べれば人数消費額ともに20~70分の1 1929/8/25


「著しく減少せる米国の対外投資 国際資本市場における今後の絶対的支配は不可能」1929/8/20


(アメリカで)「ニュウヨーク準備銀行の利上が不意であった為め八月九日株式市場の混乱を来し売注文続出、取引高五百万株、諸株一斉に一ないし十五ポイント下落したが翌日から漸次引戻し、本日はほとんど利上げ前の相場に恢復した」1929/8/15
(「本日」は8月12日を指す)


(ニューヨーク連邦準備銀行利上げ対して)「今回の金利引上げが直ちにアメリカにおける一般金利の高騰すう勢を示すものと見るよりは、投機熱抑制が主たる目的であり、したがってわが国の金解禁断行に、そう重大な障碍を与えるものとは思われない」大蔵大臣 井上準之助 1929/8/11


アメリカのアルミニウム工業はほとんど全部アメリカ・アルミニウム会社の手にある。同社はアメリカのトラスト禁止法に抵触するのを恐れて名義上の本社はカナダに置かれている 1929/7/26


「民政党内閣の消費節約も政府自ら無駄を省くはよいが国民に向って節約を強いるのは分を超えたものである」武藤山治 1929/7/24


中国政府が東清鉄道を回収 事実上の奪還 1929/7/14


「張学良氏は満蒙問題についての交渉は、保安会や東三省連合会の決議を要し、また最後の決定には南京政府の承認を要するので、自分の一存では交渉に応じかねるといって逃げを打っている、また保安会や連合会あたりも責任を回避する言を吐き一向に要領を得させない」一記者 1929/7/10


「田中前外相はかつて「満蒙交渉の捗らぬのは、交渉の相手方である張作霖が北京にいて、奉天に帰らぬからである」と議会で声明したことがある」一記者 1929/7/10
田中前外相=田中義一(首相兼任)
「ところが北伐の完成と東三省の易幟とによって、今や満蒙に関する重要懸案の交渉は相手方は 果たして東三省政権なるか、それとも国民政府なるかが不明確となって来ている」一記者 1929/7/10


アメリカ金利高にドイツが閉口 賠償金支払いはアメリカにおける起債で間に合わせたものだが、最近ではドイツから資本流出の始末 1929/7/6


「スペインも近く金本位に復帰 同等に平価の変更を行う」1929/7/2


昭和金融恐慌で大阪藤田銀行が8千万円の日銀特別融通をうけたうち、2千万円は藤田平太郎が収集した骨董品が担保にされた。その骨董品のうち3分の1が売却されたが、売上高はわずか281万3千円 1929/6/18


「一昨年の金融恐慌のドサクサまぎれに、日銀の特融担保に持込んだ担保物が如何に出たらめだったかは、すでに定評のあることだ」1929/6/18


理化学研究所の鈴木梅太郎研究室で脱臭精製粉末(仮名)開発 イワシやニシンなどから、その栄養部分を魚特有の臭いを脱いて抽出したもの 1929/6/10


「米国における信用の病的な発展はまた、有害なる高金利の一因をつくり、世界の金本位国を通じて信用の非常な緊縮を起しつつある、かつこれらの発展は、不可避的に世界の物価の上に通貨収縮の影響を及ぼすであろう」ステイテスト誌 1929/6/10


平価切下げが一番良い金解禁の方法であろう。しかしこういう大問題は代議政治下においては世論の支持を得なければできないのに、目下の日本では金解禁問題の核心を正しく理解している者はごく少数であるから到底行われないであろう 一記者 1929/6/4


(       国富     国民所得年額
日本    1020億円  128億円
フランス  1030億円  219億円
ドイツ    716億円  249億円
一記者 1929/6/4


(土地の)「見積り価格が不当に高い結果、日本の国富というものは一千二十三億四千二百万円に上って、世界で米、英、仏についで四番目中橋商相をして、この統計にさらに私見を加えて日本の国富は世界で三番目だと公開の席上演説せしめる根拠は間違いなく、この見積り価格の高いことに基因」1929/6/4


「世界大戦以来続けて来たインフレーションは、わが国ではほとんど一度も矯正されることなくして、震災善後処理と一昨年の特別融資によって、さらにこれを甚だしからめた」一記者 1929/6/4
「その結果物価は今日なお戦前にくらべて約八割高に在って、英国に比較して二割六分高、米国にくらべて二割高であり、さらにフランスと比較すれば三割七分高を示して居る」一記者 1929/6/4


(日本で)生命保険と同様に火災保険も大会社に契約が集中されつつある。優良な物件はほとんど大会社に占有され、弱小会社は不良な物件をかき集めその量によって対外的信用を保持しようと図る 1928/5/28


「近代的投資大衆の証券価格に対する綜合的判断は如何なる個人の判断にも優っている、準備局の諸賢が目下の株価行過ぎを云々するのは、要するにかれ等が無経験である、また名声を博したいとの少なからざる虚栄心から出たものであろう」ニューヨーク株式取引所理事長シモンズ 1929/5/12


上海の中国人投資家が済南国辱記念日たる5月3日を機とし三百万円見当の円売り 1929/5/7


ソ連のウクライナ地方で大凶作 三菱商事が小麦粉6万袋を極東ロシアに輸出 1929/4/30


(中国で)北平特別市教育局長李泰蘗が、市内各小中学校教職員に「誓って国貨を使用する」「誓って外国品を買わず」等の題で作文を学生に課し、あるいは唱歌を作らせることを命じた KT生 1929/4/18


(中国で)反日会が作成した「実行対日経済絶交」標語が天安門に掲示 大きさ一字二間(3.64m)四方 KT生 1929/4/18


(アメリカの物価指数・株価指数の推移)
             物価指数    株価指数
1928年1月   96.8    134.4
1929年1月   96.7    183.6
1929/4/13


ドイツ海軍が一万トン級巡洋艦エルザシ・プロイゼン及びフォン・シュべー型を計画 他国の一万トン級巡洋艦2隻を優に圧倒し得る性能 1929/3/24


(中国で)「排日貨運動勃発以来、一般商人は反日会によって誅求される不当課金や、罰金並びに諸掛り等をその商品に加算するのみならず、これを口実として市価を吊上げ、不当利益を貪るもの続出し、一般商品市価は日を追うて昂騰した」1929/3/19


銅相場暴騰 → 銅鉱山を持たない中国から日本への銅の輸出が盛ん 政府の目をぬすんで銅銭を鋳潰す 1929/3/12


(松竹キネマについて)「同社はかねて積極方針を採って直営館の改築と歩合館の増加を図った、これが為めに資金の必要に追われたが払込を徴するには株価が額面以下にあって株主に苦痛を与えるので已むなく高利の借金で遣繰った」1929/3/10


「いまニュウヨーク市場における人気の焦点にある株は、日本の東株、鐘紡というような古い民衆の頭にこびりついた株ではなくて、ラヂオ会社株であるとか、航空会社株であるとか、ないしは百貨店の株式のような新しいものが主」一記者 1929/3/9


(ニューヨークで)「いま市場における人気株を見ると、そのいずれを取って見ても、現在の相場でなおかつ相当の利廻りになって居るから、この点にかんする限り準備局が如何なる抑制策を講じようとも、同国産業の基調に変化を生ずるまでは甚だしい反落の来ることは予想出来ない」一記者 1929/3/9


「ニュウヨークにおける買物はすべて投機的のものかというに、必ずしもそうではなく、専門家の見るところによると一割ないし二割は真面目な投資家であるという」一記者 1929/3/9


「去年以来のニュウヨーク株式市場の大景気は、米国の歴史あって以来のものである、一九一六‐七年の参戦景気も、一九一九‐二〇年に亘る通貨膨張景気も、去年の秋以来のニュウヨーク市場の大景気の前には全く顔色がない」一記者 1929/3/9


「フーバー氏が大統領に当選した十一月六日から、株式市場がもっとも熱狂をつづけた同月一杯の毎日の商内高は五百万株を越えて、時々チッカーが用をなさなくなったり、所員がつかれて事務が取れず、事務整理のため休市を余儀なくされたことは当時報道されたところであった」一記者 1929/3/9


「今やニュウヨーク株式界は一方においては米国全土はもちろん、世界の隅々から集まり巨額の資金と根底ある米国財界の万年景気を享楽しながらも、他方政府や準備銀行によって行わるる金利政策に脅かされつつある」一記者 1929/3/9


「好景気の絶頂にある米国の株式界 引き続くわが証券取引不振と万年景気に酔う米国」1929/3/9


第一次世界大戦後ベルギーの反当り収穫量が著しい増加 戦場地方が砲弾で普通では到底できない程深く耕されたため 1929/3/7


(米国ニューヨークで)「当地某新聞は建艦費八千六百万ドルを要した米国最大の航空母艦サラトガ号及びレキシントン号の両艦が巨額の維持費を要するところから廃艦の運命にある旨を報じ大にセンセーションを惹起した」1929/2/19


「注目されるインドの綿布関税引き上げ 我が国の深夜業廃止で有力な口実を失う」1929/1/27


「我が国現在の金解禁に対する準備なり覚悟なりは英、米、仏の解禁前の事情に比べると非常に懸隔がある」木村清四郎 1929/1/26
「口には整理緊縮を叫びながら財政は中央地方を通じて膨張する一方で、ために民力は益々疲弊している、物価も低落しない、これは正に金解禁に逆行している状態である」木村清四郎 1929/1/26


「六億の公債によって鉄道を延長せんとする如き地方の人々は喜ぶかも知れぬが内外多端の際国家の前途を顧みざる乱暴極まる計画である」阪谷芳郎 1929/1/26


奉天軍閥(満州)で政変 反国民政府(蒋介石)で親日派とみられる楊宇霆が銃殺 1929/1/14


アルバニア大統領ゾグーが国王に即位 ヨーロッパ各国で君主制復活運動が盛ん 小松緑 1929/1/1


1928(昭和3)年
世界植物油原料の三大産地
綿実のアメリカ
亜麻仁のアルゼンチン
大豆の満洲
1928/12/25


英領マレーで華僑の排日ボイコット → ドイツ商品の進出 1928/12/21


「本年六月張作霖の北京引揚げの前後を通じ奉天軍が関外に拉し去った鉄道車輛は京奉、京漢、京綏、津浦の各線に亘って約六千輛と称されている」1928/12/18
「奉軍抑留車輛返還問題は国民政府対奉天軍の交渉条件の主要なものの一つとなって居る」1928/12/18


(中国で)太平天国の乱をきっかけに関税行政権が外国人の手に移った。税関がイギリス人を首脳とする国際管理に移されてから、輸出業者は従来の不安から脱し、中国政府は確実な関税収入を得られるようになり、関税行政権の回復は関税自主権の回復よりも遥かに困難 1928/12/11


魚油を水素ガスにより精製硬化した硬化油は日本の石鹸工業の基礎となり、副産物のグリセリンは国防上必要な高級火薬の原料となる 1928/12/2


(生糸について)中国産もイタリア産も米国に輸出されているが、中国産は品質が劣り、イタリア産は分量がすくないため、日本産がライオンズ・シェアを占めている 小松緑 1928/12/1 ライオンズ・シェア=最もよい分け前


生糸の品質
中国産   通常品
日本産   精良品
イタリア産 極上品
小松緑 1928/12/1


(金輸出解禁について)「成るべく早く金解禁断行を可とす、然らざれば、わが国のみ紙幣本位国(広義における)として取残されん」早稲田大学教授 小林新 1928/11/3


(金輸出解禁について)「我国のなすべきことは、解禁の断行でなくて、先ず貨幣価値の安定だ。安定と断行とを混同されては困る」早稲田大学教授 出井盛之 1928/11/3
出井盛之は、ソニーの社長を務めた出井伸之の父 Wikipedia


日本からアメリカに年間400万円の帽体(帽子の半製品、アメリカの製造業者が加工して流行の帽子を作る)輸出 1928/10/27


アメリカの銅相場は世界大戦後における記録的な高値 たとえ金輸出解禁・円高によって銅の価格が下がっても日本の産銅業者が致命的な損失を蒙るということは全くない 一記者 1928/10/24


「モスリンの内地市場に於る最も有力な競争者は下等絹布であって、過去数年間に亘る生糸の低落期間中は随分と苦しんだものだが金解禁となればモスリンの原価が低下する結果この競争に於るモスリンの地位は従来よりも余程有利となる」一記者 1928/10/24


昭和22年12月償還物公債利回り5.95%、昭和28年9月償還物公債利回り5.94% 1928/10/24


(中国で)依然各軍事巨頭の割拠状態が継続しているため、中央政府として財政上の威令が確実に行われているのは江蘇、浙江、安徽の三省に過ぎない 1928/10/20


「近き将来において、ロシアの農民は革命派に対し一大叛旗を翻すこととなるに違いない、かかる時こそ、ロシアは合法的帝政復帰の道が開かれ、新たに民主主義に基礎を置く君主政体を樹立するに至るものと思う」デンマークに亡命中のキリル大公 1928/10/20


「最近米国ではドライ・アイスという水気のない氷を作って有名な大百貨店ギンベル・ブラザーズあたりで食料品の配達に応用して好成績を挙げている」1928/10/19


スイスのネッスル社が大日本乳製品会社を買収 1928/10/7


「今や世界は西のバルカン半島と同様、東の満蒙には熱心なる注目をしている、のみならず満蒙問題を単なる東洋の問題とせず世界の俎上に引きずり出さんとしている」一記者 1928/10/1


昭和金融恐慌で鈴木商店没落 → 日本の海運界の中枢が神戸から東京へ移転 1928/9/29


(中国で)国民革命軍は北伐という目標の下に集まった馮玉祥、閻錫山、蒋介石等の寄り合い所帯であり、北方軍閥を倒した後は旧軍閥そのままの闘争を繰り返すに至るであろうことは識者の一致した見解 一記者 1928/9/23


(アメリカで)資金を銀行に委託し、これを株式担保の貸付に限って運用するよう一種の指定預金をする者が増加
預金として置けば3~4%の利子を得るに過ぎないが、指定預金にすれば6%程度の利子を得られる 1928/9/20


(アメリカで)「準備銀行が公債売出しによって一旦通貨を収縮し得ても、忽ちその公債はじめ各種の証券を担保とする貸出要求が殺到」1928/9/20


「ニュウヨーク株式市場の投機熱抑制難:準備銀行統制外の資金殺到しまた熱狂気分が再燃」1928/9/20


中国の年々3億円内外の輸入超過を償うのは富裕な華僑の本国送金
中国の排外運動の資金も大部分が華僑からの献金による
1928/8/29


「今日南洋で商売に従事している華僑の数は実に八十万人と称され、都鄙至る所の商権を握り勤勉力行よく百万の富を蓄え、子々孫々相伝えて南洋を以て墳墓の地として安住し、豪富王侯を凌ぐものもあり」1928/8/29


(中国人・華僑について)「打ち続く兵乱と暴政に慣れているため海外で多少の圧制を受けても平気であり、英、米、蘭の統治下にある安穏な南洋諸島にあって、何等政治的野心を持たず営々としてひとえに経済的実利を収めることに専念している」1928/8/29


(インドネシアで)「以前華僑の有力者である建源と云う富豪が或種の犯罪を犯したが、これを処刑すればオランダ銀行から数億の現金を引出され、経済界に大動揺を来す虞があるため、有耶無耶に葬ったという話さえある」1928/8/29
※建源は会社名で、人名は恐らく黄仲涵 http://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/rajawalikian_gw_7967.html 


「閻錫山は、国家として養豚、養鶏、開墾の事業を経営し、軍隊の一部をこれに使用するという意見を持ち、馮玉祥はその主兵を半減して二十万とし、大工場を設置して軍隊を職工にする、而してこれが裁兵費五千万元と工場設置費二億元とは国庫から支出せしめようというのである」冷夢 1928/8/7


(中国の裁兵(軍閥解体)について)「こんな風に各方面から国庫をあてに色々な案を樹てたところで、肝腎の国庫が一体どんな現状にあるか、凡そ国内におけるありとあらゆる財源は全て内外債の担保となっている」冷夢 1928/8/7


「以上の閻、馮の立案は要するに不可能を国家に強いて自分の責任を逃れようとする陋策に過ぎない」冷夢 1928/8/7
陋策=見識の狭い政策


米国国務長官ケロッグ 中国の関税自主権を承認 
ただし最恵国待遇を条件としているので、中国が米国以外の国との間に関税自主を実行するのでなければ効力がない
冷夢 1928/8/7


(ブラジル大統領について)「代々の治跡を見るに、国家の大問題に対し、前任者と後任者の行り口の一致した例がない」在リオデジャネイロ 古弦 1928/7/31


「由来ブラジルの貨幣ぐらい高低の激しかったのは少く、そのためにはただ二三日滞在の観光客でさえも、時には非常な損をし、時には思わぬ儲けをした」在リオデジャネイロ 古弦 1928/7/31


ドイツ染料トラスト、イー・ゲー社が人造肥料ニトロホスカを発明 肥料の三要素たる窒素、リン酸、カリウムの全部を合成 1928/7/26


「欧米では悉く無機質の人造肥料のみによっているが、日本ではまだ肥料の三分の一がようやく無機質になっている程度」1928/7/26


ドイツ染料トラスト、イー・ゲー社の技師が人造ゴムの製造に成功 世界のゴム相場は一時低落 1928/7/18


「日本はまだ封建時代における士農工商の思想が残っていて、商人を卑しむ風習から人材は他に集まって商人には少い、然るに英国あたりはあらゆる階級のうち商人はマーチャントとして尊敬せられ、社会の人材はここに集まっている」相馬愛蔵 1928/7/15


(東京市で)「俸給生活者と労働者の調査から見た家計:世帯主の収入だけで支持する世帯は皆無の状態」1928/6/17


「目下レミントン武器会社が製造中の新発声自働人形の如きは、店先に陣取ってお客さんに品物も渡し一定の文句も喋べって御愛嬌を振りまくという、丸で人間と変らない素張らしいもの」1928/6/9


「議会の権限縮小:イタリー上院で可決」1928/5/14


第一次世界大戦中にドイツが諸外国の船舶を潜水艦で多数撃沈 → 新しく船を造って諸外国に賠償する義務 → ドイツは工業品の規格を統一、大量生産 → ドイツの船の建造費は諸外国と比較して非常に安い 工学博士 斯波忠三郎 1928/5/7


(ヨーロッパで)第一次世界大戦中に極端な自給自足 → 従来工業国でなかった国が急に工業国化 → 戦後、工業を維持するための極端な関税政策 工学博士 斯波忠三郎 1928/5/7


アメリカでフォード自動車会社が盛んなので、ドイツ人はアメリカからお金を借りて大きな工場を作った。それで自動車を作ってみたところドイツではアメリカのようには自動車が売れない。売れないからアメリカから借りた金を返すことができない 王子製紙社長 藤原銀次郎 1928/5/2


「アメリカ辺の会社の社長とか常務という人は必ず一定の時間にその会社に出勤し一定の時間迄は仕事をしております。ところが日本では何処の会社に行っても、重役とか社長が一定の時間に会社に出勤しておるということは殆どないといっても過言ではないと思います」王子製紙社長 藤原銀次郎 1928/5/2


「会社の幹部がそういう訳であるから使用人までが自然その風を倣って九時出勤五時退社という規定があっても更に厲行されない。五分や十分はおろか三十分も一時間も遅れて来て平気で仕事をしております」王子製紙社長 藤原銀次郎 1928/5/2


(中国の)「済南に動乱保険:三井物産扱い」1928/4/26


(日本で)子弟をただ学校にやりさえすれば良いという単純な考え → 職を得られない多数の知識階級を製造 → 極めて厭うべき思想の潮流 農林大臣 山本悌二郎 1928/4/19


トウ<さんずいに兆>昻鉄道工事費の担保となっていた蒸気機関車3台と貨車40両を中国側が無断で持ち出し 1928/4/12
満鉄側は奉天当局に経済宣戦(経済制裁)を通告 奉天軍の輸送を拒絶 1928/4/12


満鉄(南満洲鉄道株式会社)と中国の間で鉄道紛糾 在満邦人の間で出兵論・占領論 1928/4/12


奉天票(張作霖政府の紙幣)発行推定額
1916年末 1億5千万元
1922年末 3億元
1925年末 4億9千万元
1926年末 5億6千万元
1927年末 7億元ないし13億元
高梨 1928/4/9


「中国、交通の両銀行は元来北京政府直属の銀行であって北京に本店を有し、奉天は単なる支店に過ぎなかったものだが大正十一年第一次奉直戦後、張作霖氏が、東三省の独立を宣し、北京政府との関係を断絶してからは、全然張氏の勢力範囲に属し、支店とは名義のみとなってしまった」高梨 1928/4/9


製鉄業者の使う石炭の価格
アメリカ 3~4円
イギリス 4~5円
ドイツ  6~7円
日本   11~17円
1928/4/5


「昨年末現在のハワイ公立学校生徒総計は六万六千五百七十七名で、内三万四千五百十一名は日本人生徒」1928/4/5


(1927年の昭和金融恐慌について)「世界の歴史に殆ど類例のないような大きな金融界の恐慌」大蔵大臣 三土忠造 1928/4/4


「英国の如きは銀行は未払込みを多く持っておればおる程、その銀行の信用が強いのであります。即ち未払込みを持っておれば当然どんな場合でも、全額払込まなければならぬということがイギリス国民の内に非常に鞏固な習慣になっておるのであります」大蔵大臣 三土忠造 1928/4/4
未払込み=未払込み株式
戦前の商法には、株主が額面価格を一括して払い込まず、複数回に分けて払い込むことを認める株式分割払込制度があった


「わが国現時のいわゆる中小工業者は資力概して薄弱なるにも拘らず実力以上にその営業を拡張している為めに商品又は原料の仕入れに現金取引を行うもの少く、その大部分はあらゆる因縁情実を辿って延取引を行っている」1928/3/31


いわゆる大工業者は、財産目録、貸借対照表、損益計算書の調査資料が比較的整頓しているから調査も比較的容易であるが、中小工業者の大部分はこれら調査資料は勿論のこと、完全な帳簿すら備えていないという現状である 興銀当局 1928/3/31


「工業資金の融通機関としては、日本興業銀行があるが、興銀は兎角大工業者の金融にのみ偏傾し、中小工業者に対する融通を喜ばない、従って中小工業者が、興銀からの資金の融通を受けることは殆ど不可能に近い」中小工業者 1928/3/31


ガスの消費量に農村の景気不景気が強く影響
農村好景気→駄菓子の需要増(農村は駄菓子の主な市場)→駄菓子製造用のガスの需要増
米の値段が高い→パン・うどんの需要増→パン・うどん製造業者のガス需要増
1928/3/31


「ヨーロッパは市場がせまく、国々があまりに細かく分れて関税の障壁が高く、自由競争の弊が極端に現れてきたため、政府はむしろ自由競争の幣をためるために、カルテルの成立をすすめるようになった」上野陽一 1928/3/24


「アメリカのトラストは、市場を独占して売価を不当に高くする危険があったから、法律を以て禁ぜられたのである」上野陽一 1928/3/24


アメリカでは法律をもってトラストを禁じているのに対し、ヨーロッパ諸国ではむしろ政府がカルテルを作ることをすすめている 上野陽一 1928/3/24


(日本で)「需要減退から返金多く大銀行遊資に悩む」1928/3/24


「わが国では取引所が非常に誤解されていて、当業者以外では賭博場のように考えられており、政府当局の取締法規の精神、運用から見ても、取引所を以て賭博場視しているような傾向である」三井物産常務 安川雄之助 1928/3/21


外国間貿易を行うには、是非とも取引所を利用せねばならぬ 取引所の利用によって初めて売手買手の中間に立って危険なく貿易を行い得る 三井物産常務 安川雄之助 1928/3/21


「世界の貿易市場は頗る広大で、日本商人進出の余地はなお十二分に存し、日本に直接関係のない外国対外国間の貿易に従事し立国の大本を樹立せねばならぬ」三井物産常務 安川雄之助 1928/3/21


「目下枢密院に諮詢されている日独染料協定は、さなきだに戦後不況裡に沈んで居るわが国染料工業に或は最後の致命傷を与えるものではないかと云われている」1928/3/20


ドイツで油房が大発展した結果、日本の大豆油の輸出が激減 1928/3/20 油房=搾油工場


東亜興行社長の門野重九郎 銀行東西十六行(興銀、三井、三菱、第一、正金等)の代表者に対し中国における投資が打ち続く事変のため元利回収不能に陥った経過を説明し支払い延期を求める 1928/3/15


「将来、錫が暴騰し得る場合はただ一つあるといい得る、それは戦争だ、戦争になくてならぬ鑵詰の鑵はブリキでつくる、ブリキはもとより錫メッキ、またその鑵のハンダ付けも錫だ、錫が鉄や火薬にも劣らぬ重要軍需品だというのはこれである」1928/3/13 鑵=缶


「セカンドリー、即ち古ブリキから再製する方法がますます進歩し、世界錫十五万トンの約半分を消費するアメリカなどでは約同量のセカンドリーをつかってるしかもこのアメリカでセカンドリーが新錫を圧迫することが現在の錫価軟弱の根因」1928/3/13


「世界錫年産額約十五万トン中、英国マレイ半島産が六割、蘭領インドが二割、あと二割がボリビヤ、濠州、英本国といった割合」1928/3/13 蘭領インド=インドネシア


「去る二月二十一日、死ぬ前のアスキス卿が英国のロイヤル植民地協会午餐会で「錫は将来金銀のように高くなる」という演説をしたという電報が世界各地に飛んだ」1928/3/13


(日本で)「大金融機関においてまた大産業に対して金融は極度に緩慢であるが、中小金融機関や中小産業においては全く反対に金融は極端の逼迫を示している」1928/3/13


張作霖が軍事費捻出に腐心→在満州朝鮮人排斥運動→各省当局が朝鮮人から賄賂または帰化手数料の徴収 高梨 1928/3/10


「満蒙の多くの農家は警察機関の不備なるが故に、自家防衛のため毎戸数頭の番犬を飼養している」高梨 1928/3/10


(イギリス・エジプト条約交渉決裂について)「両国間の交渉が決裂に陥ったのは英国側が各種の譲歩を敢てしたにも拘らず、エヂプト政府が英国軍隊のエヂプト駐屯存続に飽まで反対した結果に外ならぬ」英国外務省 1928/3/10


英国政府はエジプトを属国関係から解放し新条約を結ぼうとするも交渉決裂 カイロ工業学校生徒1500人が警官隊と衝突 1928/3/10


「ゴムの種子からココア代用品:米国の試み」1928/3/7


「昨年四月の銀行騒ぎで十五銀行が蓋をしてから、国際信託会社は世間から甚しく悲観せられ、その株価の如き十二円五十銭払込の同社株が一時一円四五十銭に叩かれ、この頃は漸く二三円にさまようている」1928/3/6


(肥料について)農林省の算出によると含有窒素1貫目の価格に関し大正14年の平均相場は豆粕5円81銭に対し硫安(硫酸アンモニウム)は3円42銭
農民が豆粕より安価な硫安に乗り換える傾向になったことは経済上自然の勢い
  高梨 1928/2/22


張作霖が北京の中央政界に乗り出してから、軍事費を賄うため奉天票を乱発して特産品の買い占め行為を続けているため、大豆相場は常に大勢を無視した不自然な高値を唱えられている 高梨 1928/2/22


陸軍軍費の各国民一人当たり負担額
日本    3円57銭
英国    8円84銭
米国    6円86銭
仏国   12円38銭
イタリア  7円10銭
1928/2/13



1927年度もしくは1928年度における世界八大国の陸軍平時兵数並びに予算額

日本 兵力 20万 予算 2億1500万円

英国 兵力 37万3千 予算 4億1565万円

米国 兵力 31万4千 予算 6億7100万円

仏国 兵力 66万 予算 5億740万円

イタリア 兵力 30万 予算 2億7700万円

ドイツ 兵力 10万 予算 不明

ロシア 兵力 69万2千 予算 約6億円

中国  兵力 147万6千
1928/2/13



「底ぬけ的に奉天票の惨落:ルーブルやマークの二の舞か」1928/2/8
奉天票=張作霖政府の紙幣


奉天票の相場 12月17日 1円=13.3元
1月4日   1円=15.31元
1月14日  1円=22.3元
1月19日  1円=18元
1月31日  1円=45元 
1928/2/8


(奉天票暴落について)
「張作霖は暴落を阻止する為に次のような布告を出して取締まっている
(一)公定相場は金一円に対し奉天票十六元とす
(二)公定相場以下で売買取引した者は金融撹乱罪とす
(三)違反者は軍法に照し極刑に処す」
1928/2/8


(アメリカの利上げについて)「アメリカの準備銀行が、かくの如く、常に能く内外経済状勢の実相を看取し、巧みにその割引政策を運用することは、われらの実に賞賛に堪えないところであって、取て以てわが国の範とすべき」1928/2/5


長谷川和助は東京渡辺銀行と当座貸越契約を結び、東京農工銀行株、日東製氷株、片倉製糸株合わせて時価5770円相当を担保に入れ990円の借越をした。同氏は右の借金を持参して担保の返還を求めたところ銀行側は応じないため、東京地方裁判所に提訴 1928/2/2


「休業銀行の整理期にのぞんで裁判所には「担保を返せ」の請求訴訟が山積している」 1928/2/2


(満州で)体力筋力の点や、忍耐勤勉の点や、粗衣粗食に甘んじ、極めて簡易生活に耐えうる点などからいえば、日本人は中国人にかなわない 高梨 1928/1/31


(撫順のオイルシェール埋蔵量について)「今後百年間の日本の石油問題なるものを、半ば解決し得る数量がある」高梨 1928/1/31


「オイルセール事業は、今から七十余年以前フランスで起り、これと前後してスコットランドに勃興し、今日のように盛大な工業となったもので、決して近頃始まった新しい事業ではない」高梨 1928/1/31
セール=シェール(頁岩)
「ところが一八六〇年頃にアメリカに油田が発見せられ、地下から安い油がどしどし湧出するようになったので、アメリカでも一時大に盛んだったこのオイルセール事業は、ほとんど全滅した、またロシヤその他に続々油田が開発せられた結果世界的にオイルセール事業が大打撃を受けた」高梨 1928/1/31


「一朝有事に際し帝国海軍だけでも一ヶ年数百万トンの石油を必要とするといわれ、これに対し国家産油の全額を充当しても、なお僅にその十分の一に足りない」高梨 1928/1/31


「本渓湖地方は、石炭と鉄の産出地として知られ、清朝乾隆、同治年間を最盛期とし、旧式稼業法ながら、なかなか盛んなものだったが、その後馬賊の跳梁や、日清、日露両戦役に遭遇し、前後数年間の災害を受けて、炭鉱業者、製鉄業者及び稼業職工、坑夫等何れも離散し、一時全く廃滅」高梨 1928/1/31
鞍山製鉄所は鞍山鋼鉄集団の前身、本渓湖煤鉄有限公司は本渓鋼鉄の前身
鞍山鋼鉄集団は2019年の粗鋼生産量世界第7位 本渓鋼鉄は世界第19位 Wikipedia


本渓湖煤鉄有限公司は大倉組(大倉喜八郎)と奉天政府の合弁により設立されたもので、その設備及び規模の大なる点において満鉄会社に次ぐ有力な事業である 高梨 1928/1/31


(鞍山製鉄所について)満鉄が今日までに投資した総額は約4500万円 製鉄所営業収支は銑鉄相場が常に採算を度外視した安値にあったので毎期莫大な損失を免れず、大正14年度に370万円、昭和元年度に380万円の欠損を計上した 高梨 1928/1/31


「我国は四面環海、到るところ製塩地があるに拘らず、その生産額をもって、到底内地需要を充たすに足らぬ上に、その生産費は百斤三円内外という、世界一の高率と称せられる」高梨 1928/1/31


中国は世界有数の綿布消費国で、日本の紡績業者の唯一の輸出先として極めて重要な地位にある 高梨 1928/1/31


満州粟の輸出増加→満州農家の主食が粟から高粱に、朝鮮農家の主食が米から満洲粟に変化→従来朝鮮国内で消費した朝鮮米を日本に輸出 高梨 1928/1/31


「近年米不足と、米価の騰貴とに刺激されてか、この満洲産の高粱に多少の加工を施し、米の代用品として売出している。彼の多嘉良米とか文化米とかいうのが、この高粱を原料として造ったものだ」高梨 1928/1/31 「多嘉良米は、高粱特有の臭気があるため、日本人の嗜好に適せずまた文化米は、かかる臭気こそなけれ、煮増率が僅少なため、割合に高価につくと言うような、おのおの欠点を有している」高梨 1928/1/31


昭和金融恐慌→有力銀行に巨額の預金が集中→有力銀行が海外公債市場で外貨邦債の買入 1928/1/29


「油母頁岩の抽油事業については、経営上多少の難点なきにしもあらず、採算上不利の点があったため、満鉄側の希望に対し海軍がその購入を喜ばなかったため、今なおその実行を見て居ないのを遺憾とする」1928/1/20


「満洲の撫順炭坑における油母頁岩(オイル・セール)を見るに、その埋蔵量五十五億トンに及び、これより、平均五、五パーセントの原油を得られるといわれている」1928/1/20


日本の石油産出量年額 200万石
海軍の輸入量年額   180万石
海軍以外の輸入量年額 100万石
  1928/1/20
1石=180.39リットル


2月25日~3月9日に国境を封鎖しオーストリア紙幣の流入を防止、国内に流通する紙幣に刻印 1928/1/13
1919年にチェコスロバキアの紙幣がオーストリアから独立


渇水がない→水力発電量の増加→火力発電用石炭の需要減少 1928/1/13


1927(昭和2)年
辛亥革命以来の中国の動乱の中で張作霖支配下の満洲が平和→中国本土から年々おびただしい移民 1927/12/27


「米国民の預金高:五百二十億ドル:全世界の八分の五」1927/12/27


(1926~1927年度に)「米国の商取引は頗る多量に上ったが物価は却って下落している、物価が下れば賃金の下るのが普通であるが、賃金は却って増加し又賃金の高いに拘らず生産費は低下している」米国財務長官メロン 1927/12/9


(中国軍閥について)「北方の兵中、馮玉祥の軍隊や山西の軍隊は、あまり掠奪はやらぬ、奉天軍とか山東軍となると、地方では直に掠奪を意味するのであるから、たまったものでは無い」在北京 古城生 1927/12/4
山西=閻錫山軍、奉天軍=張作霖軍、山東軍=孫伝芳軍


「張作霖自身が十月二十八日、米国合同通信社長ビッケル氏との会見において、蒋介石の勢力は最早失墜し、分裂せる南軍を糾合せしめること等は思いも寄らず、馮玉祥や閻錫山の没落は日を俟たないであろうとの意を仄めかした」在北京 古城生 1927/12/4


「なァに!このバルチック諸国はロシアに備えるために英国外務省殿が築造した欧洲新万里長城だよ」黒田礼二 1927/12/3 バルチック諸国=フィンランド、エストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランド


十五銀行の鹿児島県下の預金総額三千万円のうち二千四百万円が島津家 1927/11/29


「見よ十五銀行の現状を十五銀行は蔵相の希望する多くの銀行を合併した模範的銀行でないか、吾国に於て銀行の合同を力説するが如き害ありて寸毫の益ない試に思え」武藤山治 1927/11/29


「信用で立つ銀行が一旦休業してその信用を失墜したなら綺麗薩張りに清算すべきものである。今日に至って日銀の損失補償法であるとかまた国家が損失を負担して休業銀行を開業して見た所で、その銀行が繁栄を来すべきものでない」外国金融業者 1927/11/24


「銀行当事者に私財の提供を迫っている日本の大蔵大臣は株式会社組織と合資、合名会社組織の法律的義務の相違を知悉していらるるのであろうか疑わざるを得ぬ」外国金融業者 1927/11/24


「塩素利用研究としては東京工業試験所の越智博士が塩素製糖法を完成したが、製糖会社においてこれを実施するの勇がないので、曹達工業者よりは非常に遺憾とされている」1927/11/22


(塩素について)「軍事以外には消毒、漂白の二方面であるが、化学工業の上において平時における塩素の利用に就いて研究開拓して、その範囲の増大を図り苛性曹達生産の拡張を図らねばならぬとせられている」1927/11/22


「塩素が今日の化学戦争において重要なる役目を努め、毒瓦斯の成分中七割を占め、また発煙材としてもなくてはならぬもの」1927/11/22


「ドイツが欧洲大戦の決意をしたのはハーバーの窒素工業の確立にありと伝えられる程で、このアムモニア合成工業が一塊の智利硝石をも有しない孤立のドイツをして長期の戦争に堪えしめたのである」1927/11/22 智利=チリ


「北樺太石油増産計画:来年15万トンに」1927/11/18


米国では天然絹糸と人造絹糸の区別は実に厳格で人絹が一筋でも入っていれば絹、もしくは絹と間違えられるような名前をつけて売ることはできない 人造絹糸はレーヨン(Rayon)と呼ばれる 1927/11/17


ある機屋が人造絹糸を原料とした錦紗縮緬(きんしゃちりめん)を織って、田舎の質屋に錦紗縮緬と説明して質入。質屋はその機屋を詐欺として告訴したが、国としては絹も人絹も同一の品として取り扱っているためこれを罰することができず、その質屋は破産 1927/11/17


ムッソリーニの新代議制度
一、大生産機関並びに経済団体に一定数の議員候補者指名権を与える
二、選挙権所有者にも大制限を加えて国民の中国家生活に寄与する能力ありと認められた者に限る
1927/11/15


(ムッソリーニについて)「炯々たる眼、理智透徹の額、がっしりした鼻柱、剛腹な下顎骨、-容貌の太い線は、性格と言葉の明確さと相俟って世界の漫画子をよろこばせて居る」1927/11/15


「我国蚕糸業者達は救済騒ぎを以てあたかも年中行事の如く心得ているのではないかとさえ疑いはじめるほどになっている。しかも当然なすべきことをもなさずして、徒らに国家に泣きつく」1927/11/7


生糸のヨーロッパ向け輸出はほとんど途絶の状態で振興の望みは極めてとぼしい
日本の輸出生糸の実に96%はアメリカ一国によって占められている 1927/11/7


地方の役人達が徹頭徹尾養蚕の奨励を以って能事終われりと心得、無暗に繭の増産を図ったことが生産過剰の根本原因 1927/11/7
能事終われり=自分のなすべきことは全部終わった


明年一月一日から新銀行法施行 資本金が法定額に達しない銀行は増資が必要だが、大蔵省は単独増資を認めず強制的に銀行の合併を行わせる方針 1927/11/6


中沢銀行整理案は次の如く決定
一、百円未満(の預金者に対して)は全額支払い(総額十七万六千余円)
一、百円以上百八十円未満までは一律百円支払(総額十一万七千円)
一、百八十円以上は四割五分切捨て(総額四百四十万円)
1927/10/28


「麻糸紡織業は欧州戦争当時における過大なる設備膨張と経営の放漫並に一般経済界不況の打撃を受けて、今や極端なる不況に沈淪し既設会社の大多数は莫大な損失に苦しみ辛うじて命脈を維持しおる現状である」1927/10/27


第一次世界大戦中に日本の麻糸紡織業が未曾有の好況 
軍需用、船具用品用としての需要激増 
ベルギー、フランスの生産不能、ロシアとの貿易途絶により英国が原料入手困難となり世界的な供給不足
1927/10/27


「島津公は家臣を長崎に派遣し機械による綿糸紡績を研究させ、文久元年鹿児島県下磯浜に工場を建設し、英国から紡機を輸入して、同三年創業を開始した。これがわが国綿糸紡績事業の鼻祖である」1927/10/27
島津公=島津斉彬


「大蔵省の銀行合同態度は深く各銀行の内容をも考慮せず、また銀行の系統なるものも研究せずして、ただ漫然と五つか六つかの銀行を地方的に集めて合併の仮調印をなさしめて居る」1927/10/25


(USスチールは1900年代初期から)「三ヶ月毎に営業報告をなし又年次報告を公表して居るが、その当時米国産業界の驚異であった。今日ニュウヨーク株式取引所では定期的営業報告を発表しない会社の株式は取り扱わぬこととなって居る」1927/10/22


1901年末USスチール社長ゲーリーは会社の営業状態を公表すると言い出したが、重役会は反対した「株主総会に発表する前に一応重役会に発表してほしい」これは株主を出し抜いて一儲けしようとする重役会の賭博心理であった 1927/10/22
「その翌年の千九百四年は例の不況年、秋になると普通株の無配当はおろか労働賃金の引下げまでやらなければならなくなり、労働者が八十二ドル五十でやっと買って呉れた優先株が四十九ドル丁度に暴落してしまった」 1927/10/22


「ユー・エス・スチールが労働者株式所有制を創始したのは千九百三年で、米国最初の試みとして世人の注目を惹いたものだ」1927/10/22


「石油の洪水 噴出一昼夜五千トン イラクで死人の出る騒ぎ」1927/10/22


「地方鉄道のごとき自動車の脅威を受けて経営困難に陥り、現に陥りつつある会社も少なくないので、地方鉄道関係者は、この脅威に堪え兼て、地方鉄道軌道と並行する自動車の運転を許さぬよう、取締を厳重にして貰いたいなどと種種物議を醸している」1927/10/20


「小運送賃が鉄道、船舶等の大運送費に比べ法外の高率を徴ぜられおることはこの道路の改修が甚だ欠けていたことに帰せねばならぬ。これはわが国が鉄道の建設に没頭し、道路の建設改良を怠った結果が、大なる欠陥を招けるものといわねばならぬ」1927/10/20


「米の運賃負担は生産地の新潟から消費地の東京日本橋まで運ぶとしての計算は、新潟東京間二百六十八マイルの米一トンの鉄道運賃が三円五十三銭であるのに対し、発着両端の道路運搬費即ち小運送費は四円五十銭に上り遠距離の鉄道運賃以上の小運送費を要する」1927/10/20


「日本人は従来漫然とうもろこしを蔑んで、余程の田舎者か貧乏者で無ければ食べないものとして、栽培法も調理法も等閑に附して居た。それ故に国内需要の大部分は牛、豚、鶏等の飼料と焼酎の原料にされて居る」食糧問題調査臨時委員 安川雄之助 1927/10/20


国有地を無料貸与または低廉払い下げして、とうもろこしを作らせれば日本の食糧問題を簡単に解決できる 人口食糧問題調査臨時委員 安川雄之助 1927/10/20


わが国の米の需給状態は内地米だけでは約1千万石の供給不足であって、朝鮮、台湾から約7百万石、外国から約3百万石の輸入をなして辛うじて均衡を保っている。然るに内地の人口は年々8、90万人増加し、米の需要も約百万石ずつ漸増しつつある 食糧問題調査臨時委員 安川雄之助 1927/10/20


「大陸諸国の発達の目ざましきに引かえ、英国はどこまでも保守的で戦前以上に産業は進歩していない「戦前同様の産業」という言葉が彼等の口癖である」ニューヨーク・タイムズ 1927/10/19


(ドイツで)「企業合同の盛んなこと、大規模なことは世界第一ともいえよう。米国のように政府がこれを圧迫しないのみならず、却って援助し且つ奨励している」ニューヨーク・タイムズ 1927/10/19


(フランスについて)「戦前は農業国であったが、今では農工国となって製造品は多量である。戦禍より恢復した北部の新工場は世界最新最良の機械を備えている。フランの下落は産業振興の便宜となった」ニューヨーク・タイムズ 1927/10/19


「わが国対南洋輸出貿易の大宗たるガラス製品は近時粗製濫造品又は不正品の続出で頗る不評を蒙り需要の激減を来す模様である」1927/10/18
大宗=大部分


小作争議の件数
大正6年    85件
大正10年 1680件
大正15年 2751件
1927/10/15


(アメリカで)金利引き下げをめぐりニューヨーク準備銀行とシカゴ準備銀行が対立 イギリスの金本位制維持のため利下げを図るニューヨークと国内重視のシカゴ 1927/10/15


「我国の石炭の命脈は今後五十年位というのは随分古くから聞かされた言葉であるが、それから約三十年も経った今日、まさか今後二十年で日本の石炭が無くなろうとも思われない」1927/10/14


山本条太郎満鉄社長が張作霖と会見 鉄道の発達と満蒙の開発が中国人にとって利益になると説明 1927/10/13


「革命後の露国は労働者の生活条件や其の他社会事情が帝政時代と比較して殆ど改善されていないからこの事実を観て欧州では愛想をつかしているもの多く、ために欧州諸国は反露思想が流れ、共産主義に対する防疾地帯を設けようとの運動が起りつつある」駐仏大使 石井菊次郎 1927/10/12


我国通信販売の困難な理由五つ
①一片のカタログによって間違いのない注文をすることができない
②鉄道員が商品を破損する
③通信販売業者に信用がない
④十分な在庫を持てるほど資本が豊富でない
⑤都会人と地方人では趣好が異なる
KS生 1927/10/12


「現在、米国産業界に於て所謂「ビッグ・ビジネス」と呼ばるる大会社としては、ゼネラルモータース、フォード、アメリカン電信電話会社、スタンダードオイル、ユー・エス・スチール等がまっ先きに数えらるる」1927/10/8
「その何れもが十数億ドルの巨資を擁し、二十万余の雇用者を使用して、米国産業の一大偉観をなして居る」1927/10/8


蘭領インド(インドネシア)向けの日本製印刷紙が不当廉売による品質低下 印刷の都度破れるような粗悪品が多い 輸出仲介の中国商人にも問題あり 1927/10/4


日本の一人当たり預金額は36円で世界第十位 アメリカは674円、ニュージーランドは618円 1927/10/4


(第一回府県会議員普通選挙ついて)
選挙のための戸別訪問が禁じられても
・政党の入党勧誘
・ポスター貼付の諒解を得るための訪問
・選挙事務所開始のための挨拶
・村長辞任の挨拶(元村長が立候補)
等の脱法行為が考え出された
竜北生 1927/10/1


(第一回府県会議員普通選挙ついて)
選挙事務長になり手がなく、やむなく候補者自身が兼任
去就に迷う有権者は自分が何人に投票すべきかを警察署に問い合わせ
竜北生 1927/10/1


(第一回府県会議員普通選挙ついて)鈴木(喜三郎)内相は夏以来本省に顔も見せずに地方回りに浮き身をやつし、出張の口実がなくなれば織物組合視察等といって内務大臣と関係のありそうもない事業の視察に赴き与党政友会の勢力挽回に努め、かえって選挙民の反感を買った 竜北生 1927/10/1


(フォード自動車会社について)「日々七千台一年間に二百万台の自動車が製作され、その価格は十年間に比し一般物価が六七十ポイント騰貴せるに拘らず、四五割方下落して居り、しかも会社の利益はいよいよ増加」1927/9/30
(フォード自動車会社について)「職工の待遇はますます良く、一週間五日、一日八時間労働にて、最低賃金七ドルであるから、その生活の裕福なること想像に余りある」1927/9/30


(フォード自動車会社について)「機械の利用、生産期間の短縮、職工能率の増進等ほとんどその極点に達して居るといわれて居る。即ち原料鉱石が工場に運び込まれてから四日間で自動車が使用者の手に入るという急速な工程を取って居る」1927/9/30


(ドイツで)巨額の賠償支払義務 → 実業家が産業合理化運動を推進 → 鉄鋼業で溶鉱炉一基あたり生産高26%増、ドイツ全体の銑鉄生産額28%増、鋼鉄の生産高45%増 1927/9/30


(イギリスで)「現在の輸出高と船舶業及びその他の収入と外国投資の利子とを合算すれば、成る程それは、輸入総額を超過して外国に支払うことは立派にできよう、併し今後外国投資をなし得る余裕が幾許あるか頗る問題である」英誌所載 1927/9/28


(大連株式商品取引所株について)元来植民地の景気は極端から極端へ動くものであって、同株もまたその両極を直射して二百円近い高値とただの八円という安値をつくり、業態の上では四割の高配当と無配当の両極を現している 1927/9/24


東洋拓殖株式会社(東拓)は1908年に朝鮮における日本農民の植民事業を推進することを目的として設立。地主・金融業、植民地開発事業に携わり、後に満洲、モンゴル、樺太、南洋諸島に進出。第二次世界大戦後、GHQの要求により閉鎖。 Wikipedia


(大連株式商品取引所株について)「いわゆる大連物として東株市場には満鉄、東拓、大連信託と同所株が上場して居る。この中で一番投機性に富み、冷熱の烈しいのは同取引所株である」1927/9/24


(イタリアで)「子供が生れればこれを登録局に届出る。その場合コーポラチーヴステートはその生児の名前の可否を決定する、すべての名前がそのままで通過するわけではない、中には故意にファシスト反対の意味を有つ名前もあるからである」1923/9/23


(樺太について)「全島面積の三分の二はいまだ斧鉞の入らざる森林であって、樺太領有以来二十有年随分伐採したとはいうものの真に一小部分に過ぎぬのである」1927/9/19


樺太領有とともに同地の森林が利用せられパルプ工業の勃興 → 樺太のパルプ生産高は国内生産高の約6割を占め、日本がパルプ輸入国から輸出国へ 1927/9/19


「オーストリアは四隣の諸国の関税壁に囲まれた檻の中に在って是非とも輸出貿易の発達に努力せねばならない運命の国である」ネーション誌 1927/9/14


「軍縮を唱うる前米国は連盟に入れ 連盟以外の軍縮は必ず失敗 ブリアン外相の熱弁」
ブリアン外相=フランス外相アリスティード・ブリアン 
1927/9/13


戦時から戦後にかけて英国にも多数の成金を生じたが、その多くは反動期を過ぎた現在に在っても依然として富を保ち、変化一朝の夢と消え去った日本の成金とは選を異にしている 堀川美哉 1927/9/7


「偉大なる原料国で、しかも工業国たるアメリカには、他国の原料または商品を以って、言い換えれば貿易上の輸入超過によって、貸借の決済をなすことの必要がない。この一事は債務国をして元利の弁済を非常に困難ならしむる」堀川美哉 1927/9/7


ドイツのハイパーインフレ、ヨーロッパ諸国における貨幣の暴落または証券の暴落→アメリカ人は海外投資を好まない 堀川美哉 1927/9/7


「英国のフイナンシャーは単なる金貸ではない。彼は飽までも商人である彼が資金を投ずる場合にはその貸付た資金によって直接または間接に自国の輸出貿易を増進せなければ満足せぬのである。言い換えれば金を貸せばその金で自国の商品を買わせるものである」 堀川美哉 1927/9/7


(イギリスで)「現在の状態は農村は丸で都会の附属物で、都人の公園または富豪の娯楽所ともいうことが出来る。日本では農村で儲けた金を都会で使うというのが一般の傾向で、殊に地方の小都市は附近の農村で立って居るのであるが、英国ではその反対に、都市で儲けて農村で使う」堀川美哉 1927/9/7


英国を旅行して最も痛切に感じるのは、さびれ切った農村の状態である。その伸々とした雄大な風光は、都会生活に飽きた旅人の目を楽しませるに相違ないが、小山の上から谷底まで耕作せられぬ土地のない日本の農村と比較しては、その余りに贅沢なのに驚き呆れざるを得ない 堀川美哉 1927/9/7


金利低下で生命保険会社が運用難 地方公共団体で低利資金に借り替えて保険会社に返還するもの少なからず 百分の三の違約金を保険会社に払ってまで低利に借り替えたものもある 1927/9/7


(十五銀行について)「ただ一口に華族銀行といわれても、実質は預金二億四千万円中華族に属するものは僅々三百万円に過ぎず、株式所有高から見ても一億円中華族所有の分は三千万円に止まる」1927/9/4


「台銀の鈴木商店関係債権の整理はその後着々進行しすでに今日までに全く片付いたものだけでも豊年製油、浪華倉庫、帝国人絹、東洋精糖の四社があり、また整理案が出来てほぼ目鼻がついたものに神戸製鋼、帝国ビールおよび樺太漁業がある」1927/9/2


台湾銀行株主の赤石定蔵、木村泰治両氏が台湾銀行に島田頭取を訪問 今度の整理が若し根本的なものであるならば今後一年を経たる後何程かの株主配当の出来ない道理がないではないかと突込み 種々押問答 1927/9/2


「人口問題解決に国内移民策確立:北海道や樺太へと社会局の腹案」1927/9/2


休業銀行の債務者が新聞などに広告して預金通帳を盛んに買入 債権債務の相殺を意図 1927/8/28


「十五銀行の単独整理案なるものは主として貴族院を中心とする勢力によって主張されて居るものであるが、日本銀行および民間銀行家はこれを全く空想視し到底実現出来るものでないと見て居る」 1927/8/27
その理由
①同行の資産状態が世間の想像以上に悪化
②普通選挙を控えた今日、華族救済を主眼とする案の実現は困難
③さきに同行の新株出資を承諾した東西六大銀行の約束はもはや消滅
 1927/8/27


(木材の輸入関税について)「外材の輸入を防遏しようとすれば少くとも従価計算にして五割程度を賦課せねばなるまい、もしこれが実現されるとしたなら少数の林業家は利益を得ようが、一般国民は生活上非常な脅威を受けることになる」1927/8/25


「これを内地材の僅々数百石を運搬にさえも往々数ヶ月の日子を費し、しかも注文通り正確に取引し得ないのに比うれば雲泥の差があるといわねばならぬ」1927/8/25


(アメリカの木材について)「太平洋の航海は非常に発達し汽船一隻で四万石の大量をも輸送し得るので、相当まとまった量でも、注文を発してからの六十日位の後には市場に出現して来るのである」1927/8/25


(アメリカの木材について)「本邦木材商が注文さえすれば間違いなく到着する、しかも品等区分規格は簡明で取引手続きも至って簡単である」1927/8/25


1924年7月末における紡績錘数
イギリス 5671万錘
インド   831万錘
日本    511万錘
中国    335万錘(重要部分は日本人の経営)
日本と中国の全生産力を以ってするも、なおインドと対等であって、英本国の1割4分に過ぎない
堀川美哉 1927/8/23


堀川美哉は衆議院議員(在任期間1917~1920年、1932~1936年)。津市長(在任期間1930年1月~1945年8月、1946年7月~1946年11月、1953年5月~1957年5月)。1922年から1927年まで『中外商業新報』記者を務めた。 Wikipedia


「世界何れの国においても安価な所から買入れ、これを加工精製して出来る丈け安価に世界の市場に売出し、その間毫も政府の保護干渉を受けないというのが、マンチェスターの理想であり、繁栄の基礎である」堀川美哉 1927/8/23


「事実上英国の政治を支配する実業家の多くは、マンチェスターを除いては、保護政策に共鳴しつつある」堀川美哉 1927/8/23


(イギリスで)一般消費社会は個人の立場として自由貿易論に共鳴し、物価の下落を希望しているけれども、いまだ戦時中食料品および原料品の不足に苦しんだ記憶を忘れることができない 堀川美哉 1927/8/23


イギリスの海外放資力(=経常収支の黒字額)
1913年 17~18億円
1924年 13億4千万円
1926年 2億8千万円
堀川美哉 1927/8/23


イギリスの昨年度の貿易の(物価変動による影響を取り除いた)実数は1913年に比べて輸入において1割強、輸出において3割強減った 堀川美哉 1927/8/23


「ゼネバの軍縮会議は英米の間に意見の懸隔を来し、これを何とかして調停せんとした日本の努力も水泡に帰し、八月四日を以て遂に決裂したのであるから、英米両国は今後果して如何なる態度に出るか想像もつかぬ状態となった」堀川美哉 1927/8/23 ゼネバ=ジュネーブ


「英国人には概して土地を尊重する観念がない。従って国土という観念は極めて薄いようである、これがまた彼等を海外に発展せしむる一要素である、彼等に対しては土地は必需品ではなく贅沢品である、故に生れ故郷で死にたいというが如き未練な考えは少しもない」堀川美哉 1927/8/23


(第一次世界大戦について)「旧ドイツ皇帝カイザーは、アイルランドの独立問題および労働争議を過信し、英国が大戦に参加し難きこと、および縦令参加するとも植民地属領等を加えた挙国一致の大勢力を傾注するに至るべしとは考え及ばなかったようである」堀川美哉 1927/8/23


「ドイツは極めて堅忍自重しヴェルサイユ条約の履行、ドウズ案で決定せられた賠償金の支払に努めているけれどもこれが負担に苦しむ国民のフランスに対する反感は非常に強烈であって、報復のために復興を急ぐの状態である」堀川美哉 1927/8/23


(ジュネーブ海軍軍縮会議決裂について)「製艦防止に依る不景気に悩む英米造船業者、製鉄業者ないしは労働失業者の表面に現れない牽制運動が特に英本国辺で相当会議不成功の原動力となっていたことも争われないところである」一記者 1927/8/14


日本労農党 選挙費捻出のため映画会を開催 1927/8/9


(イギリスのロンドン証券取引所で)「ドレスデン市債六十万ポンド利率五分半、発行価格九十一半、期限二十五年、利廻六分一七で発行」1927/7/31
ドレスデンはドイツのザクセン州の州都。第二次世界大戦中の1945年2月に米英軍による徹底した爆撃にあい市内中心部はほぼ灰燼に帰した。戦後はドイツ民主共和国(東ドイツ)領となった Wikipedia


(アメリカで)カンザスシティ連邦準備銀行利下げ おそらく農民救済を意図 1927/7/31


「日本の金利は自然の大勢に従って動いて居ない、金融機関の組織やその方針に変則の点があるため慢性の病人のように始終高熱に苦しめられ常に不安な状態に居る」中野正基 1927/7/29


「日英米の金融市場を最も大胆に一言でいってのけると(一)英国の金融市場は割引市場(二)米国の金融市場はウォールストリート市場(三)日本の金融市場は銀行市場だと思う」ニューヨーク為替仲買人日本公債売買業 中野正基 1927/7/29


「日本セメントの乱脈 使途疑問の二百万円を発見 臨時総会紛糾するだろう」1927/7/27


「所得税の綜合課税は源泉課税とする必要がある、綜合課税は根本的に有価証券の所有を嫌忌せしめる傾向を助長する」 東株取引所理事長 岡崎国臣 1927/7/21


「我国窓硝子需要は追年増加の一路を辿って居る、昨年の消費は約二百万函に達し戦前の四倍に相当する、その主因が建築様式の変移にあるは申すまでもない」旭硝子株式会社常務取締役 田村八二 1927/7/21 
硝子=ガラス 
函=ガラスの面積の単位 10フィート×10フィート


「電機機械製造業は震災後殊に激烈な競争を極め、今日はほとんど行き詰まりの状態である」芝浦製作所社長 岩原謙三 1927/7/21


最近の奇現象は日本が石炭の輸出国から転じて輸入国になったことで、鉄道運賃が高いことが炭価を高くしている主因。鉄道の運賃は高くなったきりで今まで一度も安くなったことはなく産業の盛衰に関係なく政党によって左右されている 北海炭鉱汽船専務 磯村豊太郎 1927/7/21


東京は震災後復興工事がほとんど手をつけられたばかりで、着手されねばならぬ大工事がたくさん転がっているが、金がないので手をつけられていない。建築界の前途は相当に期待されているようである 合資会社清水組社長 清水釘吉 1927/7/21


「一体石油の価格というものは、米国の石油の価格によって世界の相場が支配されるものであって、米国が世界総産額の七割以上を占めているため、米国の石油の価格が安くなれば世界市場の相場も安くなり、米国が高くなれば高くなる」日本石油専務 津下紋太郎 1927/7/21


「見よアメリカはアメリカ第一主義-America the first-を外交方針としている。イギリスは善かれ悪しかれ我国主義-My Country, right or wrong-で推し通している」 小松緑 1927/7/4


各国の年間セメント使用量
アメリカ  人口1人につき1樽半
イギリス  人口1人につき1樽8分
デンマーク 人口1人につき2樽
日本    人口3人半につき1樽
浅野セメント専務取締役 浅野良三 1927/7/1


土地事業に動かぬ金(固定して差支えない金、手をつけなくともいい金)を使っているのは我が三菱の地所部だけ位のもの 三菱地所部長 赤星陸治 1927/7/1


「金は軽いものと重いものとを是非区別して使用すべきで、日本の土地事業家がこの区別をせず、他の事業の経営と同じ考えを持って投機の目的で土地事業にたずさわっているのは頗る危険なことで今次のような恐慌に際して真先に破滅するようなこととなるのである」三菱地所部長 赤星陸治 1927/7/1


(昭和金融恐慌の影響について)「ほとんど没交渉といっても差支ない日々現金がたまって行き少しも金融には困らぬ、これは小売制度の妙味であって、消費者に直面しているわれわれの非常な強味である」三井呉服店専務 倉知誠夫 1927/7/1


今後は政友会が積極政策により公債発行で新事業を実行しようとする方針であるから、為替相場はますます下落し、為替が下がれば当然輸出品を競争相手とする商品(紙など)は相場が上がると思われる 王子製紙社長 藤原銀次郎 1927/7/1


(昭和金融恐慌で)紙の販売店が極度の警戒をし(代金をすぐに支払わない)延取引を躊躇した結果、取引に不安と不円滑を来すことになり、紙の消費が著しく減少した 王子製紙社長 藤原銀次郎 1927/7/1


荘内米の倉荷証券は担保として地方銀行に絶大な信用があり公債に次ぐ安全な担保品として通用し貸付は時価の八九割に及ぶ 1927/6/29


内地米は劣等米化しつつあるものが少なくない、朝鮮米・台湾米は長足の進歩をなしつつ優良米化している 1927/6/29 


「米国の如く自給自足の国柄にあっては国防上補助艦を要すること主力艦の如くではないが、日英両国の如く島国であって物資の輸入を他に仰ぐもの、海外との交通線確保を絶対緊要とするものに在っては比較的多数の補助艦を要する」一記者 1927/6/26


明治32(1899)年にロシアのニコライ二世の提唱で万国平和会議開催 ロシアが旅順を、ドイツが膠州湾を、イギリスが威海衛を、フランスが広州湾を租借し、アメリカがスペインからフィリピンを割譲せしめたのは、いずれもその前年のことに属するのは一種の皮肉 1927/6/21


(昭和金融恐慌前に)「銀行間の競争が烈しく折角甲の銀行がその取引先きに対して貸出しを厳重にし或いは会社のバランス・シートの提出を求めるようなことがあっても会社側がこれを欣ばない場合にはこの会社は直に乙の銀行に走るという悪習があった」1927/6/11


東京、横浜、神戸、大阪で為替相場の相違が発生 オランダのハンデルス銀行が鞘取 1927/5/31


「ヨーロッパ以外の大陸の貿易額が戦前の水準に復帰し、又は超過したに拘わらず、ヨーロッパのみは全体として、今日尚お戦前の状態に戻らず。殊に東部ヨーロッパにおいては全然の貿易額に比し、四〇パーセントも減少している」国際連盟事務局経済財政部 1927/5/19


大銀行は預金過多で脳充血、小銀行は逆に脳貧血という症状で金融界は全然平衡がとれていない。積極的に銀行合同を計らねばならない 北海道炭坑汽船専務取締役 磯村豊太郎 1927/5/16


わが国の主要産業の多くは、中小事業家によって経営されている。政府は主として大銀行及び大事業家の救済を目的とし中小銀行及び中小事業家の救済はほとんどこれを省みない傾きがある 第百銀行頭取 原邦造 1927/5/16


「十五、近江等の如き大銀行がなお開業に至らないで居る、十五銀行の休業はわが造船業の盛衰に重大の関係を有し、また近江の休業は綿業界に非当なる打撃を及ぼして居る」第一銀行頭取 佐々木勇之助 1927/5/16


日本では銀行の総数千数百にのぼっているが、英国ではわずかに五十にも満たない。しかもその全国総取扱高の85%~90%は、ミッドランド銀行、バークレイズ銀行、ウェストミンスター銀行、ロイズ銀行、ナショナル・プロビンシャル銀行の五大銀行が占めている 1927/5/15


「今日世界経済状態の不公平は、アメリカが金を貸ながら、ヨーロッパから物資を買わない点にある」英国エコノミスト紙主筆レイトン 1927/5/15


「産業保護主義こそは、全く戦後国際経済思想の一傾向として、また的確にそれが事実として起こった現象である、現在かの自由貿易を虎の児のようにしているオランダの伝統的政策を除いては、世界到るところ保護主義である」1927/5/15


「米国人の個人所得総額五百五億円:驚く勿れ我国の十六倍」1927/5/14


北海道と三重県を除き馬の数が年々減少 朝鮮牛の使用普及に伴い徐々に駆逐 1927/5/13


関西の某製鋼会社(神戸製鋼?)の債権者が担保の鋼材を安値で売却→鋼材価格暴落→各製鋼会社は一様に苦境 1927/5/13


「英国王は君臨すれども、統治せず、アメリカ大統領は君臨せずとも統治する。フランス大統領は君臨もしなければ、統治もしない」古いことわざ 1927/5/12


(昭和金融恐慌で)「全国の各銀行が新に日本銀行から借りたお金は十六億円余でありますが、だんだん財界が落付いて来るに従い、そんなにお金は入用がないから、各銀行は続々とこれを返金し、今ではその内を既に九億円余を返しました」簗田欽次郎 1927/5/9


(昭和金融恐慌について)「日本経済今回の大混乱は根本原因が平素あまりに小さな資本を以てあまりに大きな事業をやって行こうとする日本人一般の風潮がついにこの結果を生み出したのである」ナショナル・シティバンク月報 1927/5/9


「人絹工業国是を採用せる伊国の首相ムッソリニー氏は夙に人絹の発達を奨励し、人絹株を持有せざるものは国民にあらずとまで絶叫してその宣伝に努めているとか」帝国人造絹糸株式会社 常務取締役 松島誠 1927/5/9


(台湾銀行について)「政府の保護の下に立脚してかつ産業の進展国運の隆盛を主眼とせる金融機関で国家的に重大使命と職責を重んずべきに利己的野心を満足せんがため謂わば奪うものは奪って鈴木の整理を強請したる手段は衷心憤慨せざるを得ない」帝国人造絹糸株式会社 常務取締役 松島誠 1927/5/9


信用状の発行と輸出手形の割引に関し非常に寛大な台湾銀行が休業し、中小輸出業者は条件の厳しい他の銀行を相手とせねばならなくなり大きな影響 1927/5/4


(昭和金融恐慌で)取り付け騒ぎで引き出された預金が一流銀行に集中 1927/5/4


USスチール 総株式の四割に当たる新株を特別配当 1927/4/24


「台湾銀行内地及び外国支店が休業して台湾においては営業する事は内地及び海外の債権者の利益を害するものとして非難されるが、台湾銀行微力なりといえども台湾においては発券銀行であり中央銀行である」台湾銀行頭取 森広蔵 1927/4/21
「若し島内においても休業する時は全島の金融界は一朝にして暗黒に陥り暴動すら勃発すべき状勢でかかる事による台銀の財産及び担保物件の価格は激落し、この損害が一般債権者に及ぼす影響は決して台湾島における預金の引き出しによるものと比較する事の出来ない程大きいものだ」森広蔵 1927/4/21


(昭和金融恐慌で)大蔵省は台湾銀行の制限外銀行券の発行に対して認可を与えず、一方総督府は台湾銀行を圧迫して法規を無視して制限外の発行を行わせ預金の支払いに応じさせる 1927/4/21


(昭和金融恐慌で)台湾銀行が東京その他在外支店出張所の休業を断行 台湾本島内の本支店出張所の休業をめぐり台湾総督府と大蔵省が対立 1927/4/21


(昭和金融恐慌で)泉陽銀行(大阪)、蒲生銀行(滋賀)、蘆品銀行(広島)が4月19日から休業 1927/4/20


「フランスはドウズ案の成立するまでにドイツから多少の賠償金を取立てた。ルール地方の石炭その他原料品も押えた、しかしルール出兵の費用と差引いたならば格別多くの残りがない」堀川美哉 1927/4/14


(フランスの戦時債務について)「最も危険な性質を持つものはフランス銀行からの借入金であることはいうまでもない。此借入金が増加すればする程同銀行の紙幣発行高が増加する。これがために物価が騰貴するばかりでなくフランの価格がメキメキ下る。これ位険呑なことはない。」堀川美哉 1927/4/14


フランスの戦時債務 1450億フラン
2割が外債(主として英米)
残りが内国債
3割6分が長期公債
2割9分が短期債
1割5分がフランス銀行からの借入金
堀川美哉 1927/4/14


「鈴木商店はインド、タタ製鉄所と密接な関係があり、実質上総代理店の立場にあって昨年度などは約五万トンのタタ銑鉄を輸入し本年度も同額程度の輸入を予想されていた」1927/4/9


(昭和金融恐慌で)鈴木商店がカルカッタ港のタタ銑鉄積み出しを突然中止 1927/4/9


「日本では一キロメートル四方の耕地に九百六十九人の人々が寄食している有様である、が、これに対しベルギーにおいては三百九十四人、イタリーにおいて三百五十人、オランダ二百七十三人、英国二百二十六人の割合となるのである」英エコノミスト紙 1927/4/8


「ロシアの当局が如何に共産制度の失敗を後悔しているかは、中央委員の首領スターリンが、昨年十月に開かれた共産党全国会議に於て、マルクスやエンゲルスの学説はもう陳腐になったと演説して、既に勢力を失墜しているカメネフ及びトロツキーの過激論を反駁した事実でもよく判る」小松緑 1927/4/3


ロシアを無条件に敵視してはいけない。ロシアはとうの昔に新経済政策という準資本主義に退却し、今ではただ外国貿易と重要な商工業を国営としているに過ぎない。これは昔ビスマルクが主唱した国家社会主義と変わらない 小松緑 1927/4/3


「筆者が四年以前に北京に往った時には、ロシア大使カラハンの手から北京大学に多額の資金が供給されていたので、当時行政官や巡警などの俸給までが九ヶ月も停滞していた際に、北京大学教授だけは豊富な支給を受けていた」小松緑 1927/4/3


(中国で)「これまでは、南北戦にせよ奉直戦にせよ、表面に安国救民などといっても、その実軍閥の勢力争いに過ぎずして、民衆には直接の交渉を持っていなかったし、また一地方を征服しても、唯軍資を徴発するに止まり、何等永久的施設を加えなかった」小松緑 1927/4/3
「今度の国民軍はこれに異なり地方を征服し若しくは占領する毎に、直に赤露の共産制度に倣って宣伝と統轄とに着手するのである」小松緑 1927/4/3


(中国で)「蒋介石もまた赤露の援助を求め、かつてトルコに往ってケマル・パシャを補翼したところの同じヨセフ・ボロジンを最高顧問とし、ガロン将軍以下軍事に練達せる百五十名の将校を招いて士官の訓練に努め、爾来四年間を軍際の養成と出師の準備とに費した」小松緑 1927/4/3


(中国で)「近頃国民軍の総大将蒋介石をトルコのケマル・パシャに擬する観察者がある。如何にも蒋介石は、その人格において、その境遇において、ケマルにに似寄っている。彼れ自身からしてケマルの故智を学んでいるようにも見える」小松緑 1927/4/3


「ロシヤは帝政時代から官僚主義の国として知られているが、ソヴェート時代になってからこの弊害はますます甚だしく、凡ての官衙、施設、会社が、機関の複雑と冗員の多数と繁文縟礼と報告の洪水とに悩まされている」北極光 1927/3/27


モスクヴァ羅紗会社の報告書 7354ページ
ウラル金属工業の報告書   9459ページ
ロシア交通省の報告書  18000ページ
北極光 1927/3/27
「斯様に長たらしい、恐らく書いた本人にも判らないような愚にもつかないことを、大金かけて書いた箆棒な報告書は大概読まれはしない。たとえ読まれても信用を置けないのが普通である」北極光 1927/3/27
箆棒=べらぼう


(昭和金融恐慌で)「日銀の貸出五億を突破す 激増二億三千五百万円」1927/3/24


「日本の金解禁発表を本月下旬と予想 円為替ニューヨークで新高値」1927/3/18


「空中窒素固定法改良により、肥料を安価にすることは農業の上に少からざる好影響を及ぼすべく現は最近チリ―国において硝石輸出の上において安価なる人造窒素肥料の競争よりして容易ならざる影響を被って居る」片山繁雄 1927/3/6


「人絹の如きその質において既に大に改良せられ、米国においてはその輸入絹糸とほとんど同額を消費し、工業としては既に絹物工業を凌駕するに至った」片山繁雄 1927/3/6


「英露関係が不幸にして断絶された場合はソヴィエットよりも英国の方が一層大なる不利益を受けるであろう」ソヴィエト通商代表パウル・アニケッフ 1927/3/5
「英国は石油、材木、小麦等重要品をソヴィエットから輸入してるが殊に国交断絶すれば今までシエル石油会社が購入して居た二十万トンの石油の如きはその競争者たるスタンダードの手に移る事になるだろう」ソヴィエト通商代表パウル・アニケッフ 1927/3/5


「我国の一流会社の株式はその社長或は経営者が病篤しと報ぜられ、また事業界から隠退すると噂さるれば概ねその会社の株価が暴落する」三井物産大阪支店次長 太田静男 1927/3/1
「これに反して、ユー・エス株の昨年末の百六十ドル台や今次の百六十台はみな社長ゲーリー氏の隠退説を買ったものであって此の点が我国と趣きを異にする」三井物産大阪支店次長 太田静男 1927/3/1
ゲーリー氏は社内留保を貯め込み、頑として株主配当を増加しない ゲーリー氏が隠退するという説が出ると投機者や株主は増配が断行されるものとしてユー・エス・スチール株を買うのである 三井物産大阪支店次長 太田静男 1927/3/1


「アメリカには現在約六百五十万の農園があって、これによって生活する者は総人口の三割に達するそしてこれ等農園の九割二分は電化されない古い状態のままに置かれている」1927/2/23


「世界の陸地面積の約四割がいわゆる可耕面積であるとすれば、その広さは百三十二億エーカーであり、一人当りの食糧を得るために二エーカー半の耕作面積を要するものとすれば人口が五十二億に達すればそこで人と食糧との飽和点に達することになる」海外興業会社長 井上雅二 1927/2/22


「国際連盟は異質分子の組織が非実際的非効力的なものであることを語っている国際連盟は如何なる問題に対しても統一前線を布くことも出来ず平和のために如何なる場合においても実効的に立ち入り得ない」ウィリアム・ハースト 1927/2/20


「大蔵省がいよいよ銀行整理に着手 整理の実行案成る 合併見込銀行約七行」1927/2/12


(フランスで)フランの対外価値は高騰したが、対内価値(国内物価)は最暴落当時と変わっていない 加工貿易会社の経営はますます困難、破産に瀕するもの少なからず 1927/2/6


1ポンド240フランにまで暴落したフラン為替が、120前後にまで回復 一時円為替に行われた世界的為替投機がフランに集中 1927/2/6


真珠湾に燃油の供給がなければ、わが海軍は容易に破られる、ロビンソン少将はこれを私に説いて、もしこれに備えなければ、われ等はドイツに蹂躙されたベルギーのようになるというのである エドワード・ドヘニー 1927/2/3


(アメリカで)ハワイ真珠湾の石油貯蔵庫をめぐる汚職事件 被告の元内務長官フォールと石油王ドヘニーは日本の脅威を主張し無罪 1927/2/3


張作霖の没落は時間の問題 中国通の間で意見が一致 1927/1/23


日本の世論が外務当局に自主的外交を要求 原因①日英同盟の廃棄②加州土地法及び排日移民法に端を発した日米関係の悪化 一記者 1927/1/10


(中国の租界回収運動について)「日本の国内では、南方で英国が苦境に陥っているのを、痛快気に思っているものがある。この事は同じ長屋に住む人の家財が焼けるのを手を拍いて見ていると同じである。その火の手はすぐ目の前に来ているのに気がつかないのである」一記者 1927/1/10


「目下ドイツ産業界の癌腫とも目す可きは、企業が大部分外資で経営され、かつ金利のすこぶる高率なることで、これがために輸入は続々増加し、輸出がいきつまって居るのみならず、今年度は借金の負担増加するに加えて将来の大蔵大臣の財政計画の失敗のため形勢はますます悪化するの虞がある」1927/1/5


「外資の輸入に依って国内一般の金利を低下せしめ、生産事業を奨励し以て生産額を増加し生産費を低減し輸出貿易を増進せしめて経済の復興を期するの外他に適切有効の方策なしと信ずる」法学博士 小林丑三郎 1927/1/4


「国民の努力は独り生産技術の発達のみに集注すべきものではない、我国における商工業の経営はこれを泰西諸国に比較するとなお甚だ遺憾の点が多い、これは畢竟泰西諸国の生産技術を輸入することのみに注意してその経営の精神を輸入することを怠ったからである」法学博士 河津暹 1927/1/1


「我国民は独創力に乏しいというものがあるが敢て病とするに足らない、学問を応用して生産を興すことが出来たならば曾てドイツが世界経済上雄飛することを得た如くに世界経済上活躍することが出来ないとは限らない」法学博士 河津暹 1927/1/1


1926(大正15・昭和元)年
「年の暮に羨ましい話しだが、アメリカは今、黄金の波に襲われている形ちである。世界広しと雖も、この不景気の際、余った金を如何に処分すべきかが、政界の問題となるような国柄は、今のところアメリカ以外にはない」一記者 1926/12/20


「張作霖が中央に出ると、足許がグラつき勝ちな許りでなく、その上に戦費が嵩むので、勢い重税を課し、かつ奉天票-紙幣を濫発せねばならぬ。この結果は満蒙における日本の利益にも大変な影響がある」一記者 1926/12/19


「エコノミスト誌の計算に拠ると米国では人口六人に一台の自動車、英国では四十八人に一台の割合だという」船尾栄太郎 1926/12/19


「本年中に米国およびカナダで造り上げる自動車の数は(最大部分は米国)約四百五十万台他にトラックが約五十六万台ある見込みである、うちフォードだけでこの四割を造りこれに次ぐのはゼネラル・モーター会社である」船尾栄太郎 1926/12/19


「アメリカの農民は昨今月賦で買った品物の払うに苦しんでおるため農産物は皆安い、安いから分量を余計に売らねば月賦の払うが出来ない、だから益々多く売る、ますます安くなる、それにつれて一般の物価も段々安くなる」米国の一紳士 1926/12/19


「何と言ってもいま日本の景気は米国の景気一つによって左右されて居る。ひとり日本ばかりで無く世界列国の経済界は、殆ど例外なしに米国の鼻息によって動かされて居るのは事実である」船尾栄太郎 1926/12/19


「農耕生活の美しさを賛美して打算から離れた農業本来の使命を説き、耕作は労働それ自体が報酬であるなぞというのは憎むべき都人士の傍観語である」1926/12/17


(農家の裏作労働について)「最高の報酬を得た大正十三年の小麦耕作ですら一円二十三円を得てをるのに過ぎぬ、それは大体都会地における婦人の労働価格に相当するものである」1926/12/17


「台湾銀行にあっては、第一同行との関係の深いある商店が当期も業績不振を続けたことにその資金上の関係から台銀としても相当の苦楚を嘗めておるもののようである」1926/12/16 ある商店=鈴木商店?


アメリカの自動車王ヘンリー・フォード、週5日労働制を提唱 労働階級の自動車需要を増やすもくろみ 1926/12/15


ドイツ国会議長ロエベがアメリカの繁栄に強く感激しヨーロッパ各国間の国境と関税の撤廃を主張 ドイツ帝国銀行総裁シャハトが賛同 1926/12/10 


ウラジオストクで露貨(ルーブル)2か月で3割暴落
  原因
①中国人密輸商人が品物の売却代金を円に替えようとして多額のルーブル売り
②沿海州における外国人の森林・漁業関係納付金の円価での支払いを認める
③共産党の内訌
④国内物価の騰貴
根本的な原因はロシア財政の行き詰まり 1926/11/30


関東大震災に伴う火災で世人の意識が変わり、焼けない家屋を作るためセメントの需要増 浅野総一郎 1926/11/19


(アメリカで)「本年度に於ける月賦販売額は昨年に比して三十億弗の増加を示している、そこで目下米国財界の人々はここ二三年もたったならば支払い不能者を続出して米国財界に大恐慌を来たすであろうと心配している、現在既に支払い不能者は全購買者の二割位はある見込みである」森本厚吉 1926/11/17 


「アメリカの危険だと思われることは月賦販売が非常に増加したことで昨年一九二五年にはアメリカ全国の月賦販売額は五十億弗(百億円)に達しアメリカ人一人前に対し百弗ずつの借金を背負っていることになる」東京帝大 森本厚吉 1926/11/17


「英炭罷業の影響で本邦石炭の輸出成約旺盛 本月積で英国や南洋に五万トン」1926/11/12


「無智な左傾分子は今のロシヤを幻想に描いてパラダイスか何ぞのように考えているが、今の所決してそんな自由の楽土ではなく、圧迫と強制との独裁国である」北極光 1926/11/8


(ロシアで)知識階級の人々は新聞報道の嘘を見破ることができる故にソヴィエト政府の憎悪の的になっている 北極光 1926/11/8


(ロシアで)「チェカと同じく、国家保安部の諜報機関は目ざましい活動をしている。各官衙、工場、学校、各種団体、交通機関の内部には無数の探偵を放って、到る処に監視網を張り、一種の探偵政治を行っている」北極光 1926/11/8


震災手形の残存現在高二億三千万円のうち将来回収の見込みのない金額一億二三千万円 このまま何等の方法も講じないならば、銀行の破綻続出し、金融市場に意外の波乱を発生せしむる恐れ 1926/11/5


外国ならば有価証券に行くべき性質の個人資産が、日本では現金の形で銀行に預けられていることが多い
原因①有価証券売買機関の不整頓②有価証券そのものに対する信用の欠乏③現金に対する過度の信頼 
船尾栄太郎 1926/11/5


「昨今世界で七分以上の金利の国は、ポーランド、フヒンランド、ポルトガル、ギリシャ等の諸国で、この点から言えば日本は一等国は愚三等国四等国にも劣るのである」船尾栄太郎 1926/11/5


「今日イングランド銀行の標準貸出し率は五分、米国準備銀行のそれは四分である。これに対するわが国のは、この程まで七分三厘であった」船尾栄太郎 1926/11/5


イギリス政府がインドで貨幣制度改革を決定しインドにおける銀準備を市場で売り出す→銀塊相場が生産費以下に暴落→世界一の銀産国であるメキシコで銀山労働者が12万人失業 1926/11/2


「世間の一部には、金利が低落すれば、直ちに、投機思惑を増長するが如く信ずるものもあるが、投機思惑は、人心が緊張を欠ぎ、金融業者が放漫なる貸付をするような風潮が生じた場合に於いて増長されるものであって、金利の低落をその唯一の原因とはなし得ないのである」1926/10/8


ドイツが常任理事国として国際連盟加入 フランスのブリアン外相とイギリスのチェンバレン外相(オースティン、第二次世界大戦中のイギリス首相ネヴィル・チェンバレンの兄)が反対論を抑圧 稲垣守克 1926/10/8


国際鉱夫連合会委員会でドイツ代表が国際的ストライキに反対 ドーズ案に基づきイタリア、フランスおよびベルギーに石炭を輸出する条約上の義務を負っているため 1926/10/2


露亜銀行閉鎖の原因
①ジスキデルスキー商会に貸し付けた三百万円の回収見込みなし
②旧ルーブル紙幣預金者との訴訟で敗訴
③ハルピン及び上海支店で為替投機に大失敗
1926/9/30


ロシアの対日輸出総額の8割2分は木材 日本の対ロシア輸出総額の5割5分は紙 1926/9/21


「綿織物消費税、通行税、営業税の如きは実に、二十有余年来、三大悪税として非難された税種でありまして、今まで廃止を見るに至らなかったものを、現内閣の手によって廃止せられたのであります」商工大臣 片岡直温 1926/9/2


フランス倹約令 各料理店の提供料理皿数を二皿とし、獣肉の皿を一皿と限定 1926/8/22


張作霖、満鉄附属地で奉天票を公定相場以下で取引する銭荘を圧迫 日本との外交問題に発展 1926/8/19


「東洋綿花会社はボンベイにある旧称ダイヤモンド紡績会社をインド人と資本金折半出資の条件で買収経営することとなり目下諸般の準備中である」1926/8/16


(アジア民族大会について)「この会が圧迫されて居る国民-安南とか印度人の為に奮闘して、場合によっては国際連盟に持ち出すというようなことに努力するとしても、この点を高調するとなると、朝鮮人や台湾人が日本に対する不満を訴える時はどうするかが問題である」一記者 1926/8/14


アジア民族大会でインド代表のラース・ビハーリ・ボース(チャンドラ・ボースとは別人)が日本代表と中国代表・朝鮮代表の間に立って調停 1926/8/14


長崎でアジア民族大会開催 中国代表が二十一か条の撤廃を主張し日本代表の則元(由庸?)、森(肇?)(政友本党の議員)が退場 1926/8/14


「張作霖は、その奉天票が無暗に下がるので、これを喰止るために関係商人を捕縛したり、牢に打ち込んだりしている、かれは奉天票の公定相場を造っておいて、これより安く割引したり、交換したりする者を見ると、直に極端な制裁を加えるのである」1926/8/13


「アメリカの農民が一九二三年以後麦や綿花でシコタマ儲けた黄金を背負って当時常に普通株三百万株をウォール街に浮動させていたスチール株に殺到したためスチール株が堅実な意味以外に株式市場の人気の焦点になったことは事実であろう」一記者 1926/8/7


続けて 「現在ウォール街の主力株中の建株はユニオン・パシフィック鉄道株とペンシルベニア鉄道株である」モルガン図書館書記ステットソン 1926/8/7


(USスチール株について)「スチール株がアメリカの景気標準と考えるのは大変な錯誤で、スチール株は純然たる投機株で、ただ仕手関係でウォール街の相場がどう動くかを観測する資料にすぎない」モルガン図書館書記ステットソン 1926/8/7


「頃来ユー・エス・スチールやゼネラル・モーター株が連日暴騰してすでに本春の高値を抜いたとのことであるが、これはおそらく投機界の一時的現象であって、米国財界全般の大景気再来を意味するものでなかろうと思われる」正金銀行ニューヨーク支店支配人 柏木秀茂 1926/8/6  頃来=ちかごろ


(メキシコのカトリック教会について)「メキシコ中の村という村は、どんな山の中でも堂々たる伽藍が建立されて居り、人民に対して強制寄附をさせ、窮民飢に泣くに拘わらず僧侶は栄耀栄華のあらん限りを尽くしているという有様」1926/8/5


「富源に富む国は好景気の期間が余程長く、これと反対に物資の貧弱な国は好景気よりも不景気の期間が著しく長い」1926/8/1 富源=財を生み出すもと。富を生じる資源


「仏国の対外債権債務は債権(有効債券だけが約二百六七十憶フラン)がフランで貸されておるに反し債務(金フランに換算して約三百五十億フラン)は多くポンド、ドル乃至は金フランで起されておるので平価切下げとなると、フランスはほとんど片務的損失を蒙らねばならぬ苦境にある」1926/7/27


「ポアンカレ―氏はさきに大戦直後フランスの政局に立ち英国を向うに廻して盛んに軍事的外交を行ったもので、ルール占領その他これに費やした国帑は実に巨額に達し、いわば今日の財政窮迫、延いてフラン惨落の禍根を作った当面の責任者でもある」日仏銀行専務取締役 与田作造 1926/7/25
国帑(こくど)=国の財産


フランスの対外債権はフラン建てなのでフラン安で大打撃 1926/7/25


「六十円の植物油を食うのと百円の米を食うのと人体に同じ栄養価値を供給するのであるから、わが国において植物油食を奨励することは経済上の見地からまた米を節約して行きつまれるわが食糧問題を解決するためにも是非必要なことである」豊年製油会社社長 杉山金太郎 1926/7/24


「元来フランスには頭のいい財政通が少なくない、併しなんせ、少数分立の政党で政情が安定しないのと、今一つはその実際財政家の優秀な人が、右党に多いという二つの事実から、現在のような左党全盛の政治界では、用うるに由なかったのである」一記者 1926/7/22


「元来フラン(仏国の貨幣単位)は平価で日本金の三十九銭に当たるのだが、今日では(二十一日の相場)四銭二厘にしか当たらない」一記者 1926/7/22


「フランスでは今度またブリアン内閣が倒れてエリオ内閣が組織された、ブリアンも今度という今度は流石に愛憎がつきたか、「自分は総理大臣になる事十二回今後はもう嫌だ」と吐き出すように言ってお馴染の役所を去ったという」一記者 1926/7/22


(中国で)「南方広東の蒋介石が今回北伐の宣誓をなしたそうだが、これは問題になるまい高々軍費徴収の手段に終りやしまいかと思われる」三井物産天津支店長 杉浦恭助 1926/7/13 


「将来我国民が世界経済戦場裏に立って優勝の地位を占めんとするには、総ての生産費を低廉ならしむる方法を講ずる外なく、それには生活費を安くする外に良法はないのである」男爵 益田孝 1926/6/26


日本の対外貿易
明治元~14年   日本の産業が幼稚な時代で輸入超過
明治15~28年  企業勃興時代で輸出超過
明治29~大正3年 日清戦争の戦勝で国民の生活が贅沢になり輸入超過
大正4~7年    第一次世界大戦で輸出超過
大正8~14年   大戦景気の反動で輸入超過
1926/6/26


(イギリスのゼネラル・ストライキで)独裁者的傾向を有するチャーチル蔵相が"Don't hesitate to shot"(射撃するのを躊躇するなかれ)と軍隊に訓令 ボールドウィン首相が慌てて取り消す 一記者 1926/6/13


(スウェーデン、デンマーク、ノルウェーについて)「北欧三国は大戦中英国が経済的封鎖を敢行して以来深く英を恨み反英気分極めて濃厚なるものあるという」1926/6/8


「十八年以前までは米国程悪い銀行の組織を有している国はなかった、然るに一九〇七年のパニックで銀行組織の必要を感ずるや、かれ等は直に立って最も完全なる銀行組織を造ったのである」英国産業連盟 1926/6/2


(アメリカで)「最近は労働者が、その就職している会社の株を持つことが流行して、例えばスタンダード石油会社の如きは、その就働者をして、俸給の五分の一を同社の株に払込ましめ、会社は各一ドルに対し五十セントずつを補助してやる道を開いて居る」英国産業連盟 1926/6/2


「米国の資本家は高い給料の正当なることを信じ、これを払っている併しそれと同時にかれ等はその生産が俸給に準じて多量なるべきことを期待している」英国産業連盟 1926/6/2


(アメリカで)株価の騰貴とフロリダ土地の投機の反動は必ず来る。しかし現在の投資、投機的活動の多くは個人の金を利用しているもので銀行によって金融されていないので、経済界の大変動をきたすほどの重大な問題ではない 英国産業連盟 1926/6/2


(フロリダ土地暴騰について)「私共の聞いたところでは、昨年の初めに六万一千ドルで買った土地が、三ヶ月の後に六十万ドルになった」英国産業連盟 1926/6/2


(タイと比べて)「日本の農夫の如きこれに比し実に気の毒という言葉を通り越すほど、多大の労力を費やしてその収穫や報酬は誠に少いのである」藤山雷太 1926/5/24


「最上のシャム米として王の食用に供する米を以てして日本に関税を支払い、凡そ一石二十六円程度で輸入出来る、これに比して日本米現在一石四十二三円で、昂騰した際には五十円以上となる」藤山雷太 1926/5/24


「シャムに赴き最初に驚いたことは、米の実によく出来ることであって、現に年々二億円からの輸出をして居る、そして人工的な灌漑排水のことはほとんどなく、肥料の如きも施さず、籾をバラ蒔きにするのみで農夫は怠惰極まるそれでかような収穫があるのである」藤山雷太 1926/5/24
シャム=タイ


(インドネシアのスマトラ島で)「オランダは例の植民政策としての鉄道と道路を造って現に外国資本の輸入を喜んで迎える準備を着々進めて居り、早くもアメリカ人、イギリス人、ドイツ人は此処に眼をつけて渡航して居るのである、日本人たるもの今後続々赴かなければならない」藤山雷太 1926/5/24


「私がヂャバのソロ州に居る昔からの王と会見した折のことを述べよう、オランダ政府は年々このソロの王に二百五十ギルダーの歳費を支出しているが王様は別に莫大な財産を有し、生活も非常に豪奢で一万人位の家来を持って昔ながらの生活を続けて居る」藤山雷太 1926/5/24
ヂャバ=ジャワ


(インドネシアのジャワ島について)「農業の状態が幼稚極まるもので、決して日本の如き細心なる注意を要しない、それで植物は自然に成長し、時期が到れば見事に結実するのであるから、実に恵まれたる地方であるといわずにはいられない」藤山雷太 1926/5/24


イギリス石炭業に打撃を与えるもの①水力発電の発展②石油利用の拡大③ドーズ案の結果としてドイツが石炭で賠償金を支払い④アメリカの石炭増産 小松緑 1926/5/12


英国炭鉱労働者の罷業がゼネラル・ストライキに発展したため中国人投機筋がロンドン、ニューヨーク、上海の三市場において頻りにポンド思惑売り 1926/5/8


英国の石炭業は①鉱区の権利だけを持っている会社②石炭の採掘だけを行う会社③石炭の運輸を行う会社④石炭の販売のみをなす会社の四種が分業的に事業を経営している 複雑な機関を単純化するほかに採炭会社を救い坑夫の賃金を引き上げる途を見いだせない 太陽保険専務 清水文之輔 1926/5/7


「フランスはドイツや英国の苦しんでいる失業問題とか、市場の喪失とかいうような経済問題には何等脅威を感じていないので、寧ろ比較的富有な国家でありながら、議会の無能なるため、その財政問題を解決し得ないのである」フランク・H・シモンズ 1926/5/6


「電気其所除けの大発明光の玉のペンキ 不夜の世界を表すのに成功した 理化学研究所の田中寛氏」
理化学研究所の田中寛 夜光るペンキ(蓄光塗料)を発明
1926/5/6


円の評価過大は日本が円の金平価をできるだけ維持するために断固たる政策を行った結果であった そのような政策が可能だったのは日本の金の貯蔵が非常に沢山あったから ストックホルム大学教授 グスタフ・カッセル 1926/4/29

グスタフ・カッセルはスウェーデンの経済学者 1921年に購買力平価説(為替レートは自国通貨と外国通貨の購買力の比率によって決定される)を提唱  Wikipedia


「通貨の評価過大は有害である。何故というとそれはその国の輸出を妨害すると同時に、輸入を奨励し、かくて対外的貿易に不自然な状態を持ち来すからである」ストックホルム大学教授 グスタフ・カッセル 1926/4/29


「その国の経済生活を健全ならしめるためにはその通貨は、国内的購買力に近い相対的な対外価値をもたなければならぬ」ストックホルム大学教授 グスタフ・カッセル 1926/4/29


「大震災が、円の国際的評価に与えた影響としては、前年度の日本通貨に対する評価過大が消失して、その代りに同通貨に対し大体に公平な評価が生れて来たということができる」ストックホルム大学教授 グスタフ・カッセル 1926/4/29


「現在の為替相場を維持するためには、日本の物価を一割五分ぐらい下ぐる必要あるべく、もし物価が下がらなければ、円は現在の価値を保持することは困難である」スウェーデン実業家プリッツ 1926/4/29


庄内地方の農家は米を安値にて売り渋り高くなると平均的に売ることで有名 安く売らぬのは倉庫及び金融機関が発達しているから 菅沢久五郎 1926/4/25


「満洲の省長或は督軍にして、日露の関係を悪化せんとするものは滅亡する、この関係を改善せんことに専念するもののみが栄えるのである、わが国の利益は日露両国の親善の上にのみ樹立される」スターリン 1926/4/24


「日本人の満洲における数は十七万人であるが、ロシア人のそれは二十万人を数え、しかもその多くは土地に植ついた勢力-農家、小商業家が多いのである」一記者 1926/4/24


横浜正金銀行と台湾銀行がドル買い円売りの思惑的取引 円の激騰により甚大な損失 1926/4/21


日本郵船、大阪商船の外国航路の運賃はほとんど全部が外貨建てなので円高で大打撃 1926/4/21


「遠隔な地方にはいろいろ困難が伴うので、勢い資金の放出範囲は得て本店所在地の附近に極限されることになるから、地方資金、殊に農村資金の枯渇を招くに至る」第一生命保険相互会社長 矢野恒太 1926/4/21


「金融界の諸機関が発達するに従って、地方の資金がますます中央に吸収せられる」第一生命保険相互会社長 矢野恒太 1926/4/21


「今の金融界は、少しばかり表面に水が流れているだけで、沈殿物で河底が盛上ってしまったようなものである、だから少しばかり資金の需要があると、すぐに底が出て来るという始末である」東京海上取締役会長 各務鎌吉 1926/4/21


「対米戦債は七十年賦で償還 仏国側新整理案を提出」1926/4/20


「世界戦争開始以来十年間世界の外交から除外され思想的にも切断されたるドイツ国民の考え方はわれわれと余程異っているということを前提しなければならぬ、国際連盟は敗戦国を圧迫するために勝者の作った同盟であるという印象は今日も中々ぬけない」稲垣守克 1926/4/15


砂糖相場の下落に伴いキューバの銀行で取り付け騒ぎ アメリカの救済資金到着で鎮静化 1926/4/15


「水道の設備のない郊外では、どうしても井戸水によって飲料水を得なければならぬ、ところが在来の井戸は、その設備構造が不完全なため非衛生かつ危険極まりなくこれを飲用することによって健康を害し、甚だしきは一命を失うことも少なくない」東京市衛生課長 田村瑞穂 1926/4/12


「イギリスが、フランスをなだめてそのドイツ急迫の手を緩めさせたり、アメリカが、ドーズ案を出してドイツの苦境を救ったりしたのも、畢竟するに、独露の投合を妨げようとする底意からであった」小松緑 1926/4/7


「若尾氏は財閥出だけに徹頭徹尾算盤が規準となるに反し、松永氏の行動は総ての目標が名声に在る」1926/4/6


「京浜の電力戦というも詮ずる所若尾璋八対松永安左衛門両氏の性格の衝突に外ならぬ」1926/4/6


「フランスでも、ムッソリニ主義に都合の良い報道をさせるために月額四百万フランが費やされ、英国でも、米国でもスペインでも、はてはギリシャに至るまで同様だ」ゼームス・マーフィー紙 1926/4/4


「イタリー政府が、その得た外債を消費する方法中、ただ一途即ち自己宣伝のために新聞につぎ込むこと丈けは明瞭である。国粋党は現在において毎月数百万円の新聞宣伝費を必要として居る」ゼームス・マーフィー紙 1926/4/4


(イタリアで)「政府の政策を監視する議会の権能は地に落ち、正確なる報告は発表されて居ないので、公費の濫費が臆面もなく継続される」ゼームス・マーフィー紙 1926/4/4


(イタリアで)「国粋党が政府の実権を握って以来、生み出した負債は二十億円に近い、しかもこれは、只その一端に過ぎず、果して幾何の公債が発行されて居るかは、何人も正確に知って居ない」ゼームス・マーフィー紙 1926/4/4


英、独、仏、ベルギー、ルクセンブルクの製鋼業者は重軌条(レール)について生産制限の協定を結び1トン当たり1ポンドの値上げを断行 
これにより日本に輸入される重軌条はトン当たり約10円の高値となり、国内唯一の重軌条製造者である八幡製鉄所にとって有利 1926/4/1


(中国軍閥について)「されど大観すれば、彼等の内部も最早昔日の如くでない、歴年の戦乱で、第一に今は彼等には軍資が欠乏しつつある、次には民心の離反極度に達して居る、かくして彼等の最後の最早近づきつつある事は、多少の目のあいた人には、既に覚知せられて居る処と思う」河瀬蘇北 1926/3/31


(中国軍閥について)「彼等の動きは、総てが、目前の利であり権であり、更に所謂俗論党によって左右せられて居るのである、従って昨日のてきは今日は味方、今日の味方は明日の敵というが如き、不安と不信とが、彼等の全部をなすという情勢が、ただただ続くのである」河瀬蘇北 1926/3/31


松方幸次郎(松方正義の子) ケインズに賛同して金輸出解禁反対論を主張 
これに対し中外商業新報の記者が「論理の一貫を欠ぐ」と批判 
1926/3/30


「清涼飲料税を新設したことはビールの増税の結果、ビールの飲用が清涼飲料の方に移る恐れがあるからそのビールの税源を擁護することが第一の理由である」大蔵大臣 浜口雄幸 1926/3/28


清涼飲料税新設 1石(180リットル)につき10円 1926/3/28


掛売りの商習慣があるので、商人は代金支払いの代わりに手形を引き受けて銀行を利用(手形割引)することができず、結局個人から高利の資金を借り入れる者が多い 1926/3/27


(フランスの航空路)「アフリカ線の運輸は普通は郵便物と植民地の官憲であるが、昨年はモロッコ戦線から往復する軍事に大に利用された」1926/3/26


ヨーロッパ各国は商業航空が国防組織にも重要なる要素であることを認め補助金を支出してこれを保護している 全欧洲に補助金のない航空路は一つもない 1926/3/26


「現在北欧の空を蔽う網の如き航空路は数千の旅客と貨物を輸送しているしかもこの商業的航空事業未だ嘗つて利益を挙げたことなく、近き将来においても何等収益の見込がないにも拘らず、依然としてその営業を拡大している」1926/3/26


「外国品と競争するために物価を低落せしめねはならないと云われても為替の変動によって損害を受けないために充分な利益を見積もって置かねばならないとしたら、それは不可能である」ジャパン・クロニクル 1926/3/24


「何れにせよ世界中で日本を讃美して呉れる国はアフガニスタンある許りである」1926/3/23


「アフガニスタンにとっては日本は夢の国である、日本の外交官がモスコウやロンドン辺でアフガニスタン代表から無暗に本国を讃美せられ揚句にはイギリスの悪口まで聞かされて有難迷惑を感じたことは一再にとどまらぬという」1926/3/23


浅草海苔の製造に一大革命をもたらす「冷蔵法」を府水産課の前田技師が発見 天候が悪ければそのまま冷蔵庫の中に入れて天候の回復するまで貯蔵し、うららかな太陽の光を待って乾燥する 1926/3/18


名古屋市の開業医根来歳吉 中央医学会で癌の特効薬(ある人からもらった薬草)を発見したと報告 1926/3/14


イタリアで人造羊毛スニアフィル(ステープルファイバーの一種)発明 人造羊毛だけでは一般に満足を与える程度の織物は作れず、織物を作る時は純毛を混入しなければならない 1926/3/14


(中国商人について)「日本人商店の例えばビール一本三十八銭に対してかれ等は原価に近い三十四五銭にて売る、一体何で儲けるかというに結局その包装の木箱を儲けにするのだと余りに極端であるが事実である」××生 1926/3/11


(中国商人について)「日本人一日一人の生活費の単位を二円とすればかれ等は僅に二十銭で足りるという」××生 1926/3/11


(奉票について)「その製造元たる奉天官銀号の如きは、即ち東三省政府の唯一の金融機関として何等外部の干与を受くることなく、その命ぜらるるままに濫発するという状態であるから、奉票の信用価値が常に安定せず、内地における期米、株式の如き騰落乱雑を極めて居る」××生 1926/3/11


「実に奉票は満洲における財界の瘤である」××生 1926/3/11
奉票=張作霖政府の紙幣


震災手形の総額は4億3千万円  大正14年末における未決済額は2億3千万円 未決済額中の不渡り手形は78万8千円で、この中約10万円が全く不渡りとなる見込み
  決済期限は大正16年9月30日まで延期されたが、大蔵当局の意向としては、それ以降はなるだけ打ち切りたい 
1926/3/7


「金不解禁声明で蔵相に非難盛ん 声明も効果無く為替は再び反撥し結果唯市場攪乱のみ」1926/3/2


「日本の為替は今や世界的に投機の目的物となりつつある、為替相場は勢い乱調子になり安定を得られないと思う」貴族院議員 藤沢利喜太郎 1926/2/25
藤沢利喜太郎は数学者。佐渡国の幕臣・藤沢親之の長男、ヨーロッパ留学の後、帝国大学理科大学教授となる。数学では菊池大麓についで2人目の日本人教授 Wikipedia
藤沢利喜太郎の子 藤沢親雄は国家主義者としてファシズム、ナチズムの賛美紹介に努めた。また、皇国思想を広めるうちに契丹古伝、竹内文献、ムー大陸などを評価するようになった Wikipedia


「外人筋は日本の金輸出解禁近きにある如く思うけれどもかく急騰して思惑が盛んになっては却て解禁は出来ないことになる、恐らく二三年は実行不可能ではなかろうか」貴族院議員 藤沢利喜太郎 1926/2/25


「外人筋がだんだんと円の買持をなし根強くこれを買込んで往った末、何時かはこれを利喰いするに相違ないが其時期は結局日本が金の解禁をなす時であろう」貴族院議員 藤沢利喜太郎 1926/2/25


最近の急激な為替相場の騰貴の原因は海外における円の思惑に存することは否定し難い
我が国の為替相場が平価に接近しさえすれば日本政府はただちに金輸出禁止を解くであろうという予想から出ている向きも少なくない  大蔵大臣 浜口雄幸 1926/2/25


「ニュウヨークでは日本の金解禁期待 為替市場は活気を帯ぶ」1926/2/21


「何故に我国においては学校卒業生の供給が常に社会の需要を超過しているか。それは結局社会の進歩経済の発達に比べて教育の程度が遥に進歩せるがためである」商学博士 田中貢 1926/2/11


「今東京市の調査に係る昨年三月卒業生の五月末までにおける就職状況を見るに、東京市を中心とする四十三専門学校にあっては卒業生総数三八三二人に対し未就職者は八八〇人(二割二分)、十六大学にあっては卒業生総数四四九八人に対し未就職者一八〇〇(四割)である」商学博士 田中貢 1926/2/11


「最近においては学校卒業生の数が激増したために斯の如き地位と財産とをかち得る者は極めて少数であって大多数は就職難と生活難とに苦しむに至った」商学博士 田中貢 1926/2/11


「往時においては学校卒業生の数が少なかったために、社会のあらゆる方面から歓迎せられ、官公吏となるも、会社員となるも、自由職業者となるも、共に多大の優遇を受けつつその使命である社会文化の発展に貢献することを得た」商学博士 田中貢 1926/2/11


大蔵省が債券利回り改正(単利計算から複利計算へ)諮問 債券の利回りが低下したように見えて投資家を刺激するに困難との消極的反対論もあり 1926/2/6


(ドイツで)「国粋党が実際代表している勢力は、大地主及び資本家で「国粋的」の民衆ではない、ただ選挙に際して投票を得るために、国粋的の言論の必要がある」稲垣守克 1926/2/3


(満州問題を武力で解決しようとすれば)「若し事をここに運ぶに就いては、満洲問題を中心にして、世界戦争を惹起する処の大危険を、我々は充分に予定する必要がある。賢明なる日本人は、かかる大危険を犯してまでも、この事を断行するとは決して考えまいと思う」河瀬蘇北 1926/2/2


「日本では満蒙におけるわが権利及び勢力を特殊利権と名づけて置るが、然しその特殊利権なるものは一体如何なる規模を有するかということになると誠に曖昧」河瀬蘇北 1926/2/2


(中国で)「より甚だしいことは‐尤もそれはある地方に限られて居るとはいうが、小学校に於る教科書においても露骨に排日を鼓吹しているという問題である」河瀬蘇北 1926/2/2


(中国で)「排日の思想は、益々痛切に深刻に民心に喰い入り、今日においては如何ともする能わざる状態に立至って居るのである」河瀬蘇北 1926/2/2


(中国で)「日貨排斥問題をして、遂に常習的事象となるに至らしめたのは、疑うべくもなく、大正四年五月の所謂二十一ヶ条問題である」河瀬蘇北 1926/2/2


北清事変をきっかけに中国の排外運動が一変した。武力による排外運動は全く実績を収めないどころか失うものが多かったので、経済的手段による排外運動に移った 河瀬蘇北 1926/2/2


(アメリカで)「輸出入のバランスが良好な主なる理由は、米国資本の莫大なる海外放資である、事実上米国はその輸出品を買わしむる金を外国に貸、あるいは海外投資を埋め合すだけの商品を輸出しているのである」米国商務長官フーヴァー 1926/2/2


「ニュウヨーク株式取引所における驚くべき投機に伴い、株価が異常な騰貴をしたのは注目すべきこと」米国商務長官フーヴァー 1926/2/2


「R・O・T・Cと言うのはレザーブド・オッフィサース・ツレーニング・コープ即ち予備将校訓練隊の略で、ハイスクール、専門学校、大学の学生をして半強制的に軍事教育を受けしめ、一定期間内の訓練を経たものは、直に陸軍予備将校に任命し、一朝事ある時は戦線に立たしむる制度である」1926/1/27


「R・O・T・Cの新設は、米国有史以来の出来事で、米国建国の精神と米国が事毎に表現した平和の大主義に悖る自家撞着の制度であると言わなければならない」1926/1/27


「各般の事情から綜合して考えると、わが経済界も整理時代の過程を歩みつつ前途に回復の曙光を認めつつあるものと観察する事が出来る」商工大臣 片岡直温 1926/1/26


(ロシアで)一九二二年夏頃から一九二三年にかけて工業製品の価格は農産品の価格に比して異常な高率を示し、約三倍に高騰した。原因①農産品の生産が戦前の三分の二まで回復したのに工業製品の回復が三分の一に過ぎなかった②穀物の輸出が充分でないためその価格が低下した 一記者 1926/1/25


(革命後のロシアで工業生産が減退した原因について)「革命によって天下を取った労働者は放漫となり、熟練職工は工場を去るに至ったからであるその後熟練工の招致強制労働等を行ったが、根本において物質的の刺戟がないため、その効果は殆どなかった」一記者 1926/1/25


「資本制度においては労銀は生産量及び生産品の良否に関連して居るから労働者は自然生産に対し一種の努力と興味を有って居るが共産主義制度においては、労銀の平等を主義とするため、何等の刺戟がない」一記者 1926/1/25


「土地を開墾し肥料を購入する為めに用うる金は資本であるが、かくして得た農産物を売惜みし永く貯えて置いて高価に処分せんとする為めに用うる金は最早資本ではない」高橋是清 1926/1/24


昨年の輸出二十三億円は生糸、絹織物及び綿糸布のごとき繊維工業で占めており特に生糸は農家の副業たる養蚕から成る、しかるに紡績機械の輸入に対して関税を増徴しようとする案が議会に提出されていることは遺憾 志村源太郎 1926/1/24


8か月前までゴム相場は1ポンドにつき30~35セントで、それによって東インド諸島のゴム生産業者は投下資本に対し2割5分の収益をあげていたにもかかわらず、現在では輸出制限法の適用によって1ポンド1ドル台に高騰、その上さらに市価引き上げ策が講じられている 米国商務省 1926/1/21


「現在世界にはなお独占を可能とする幾多の原料品がある」
羊毛:英国
石油、綿花、銅:米国
茶、黄麻(ジュート):インド
アンチモン、タングステン:中国
ニッケル、石綿:カナダ
1926/1/21


「偉大なる新計画あるいはゴム代用品の完全な発明を見ない限り自動車製造の発達に伴いゴムの世界的供給不足は避けがたい運命」1926/1/19


(古船輸入について)「財界好況の時においては、或は採算可能のことあるも、近時のごとく斯界の不況が永続する時は、到底収支相償うものに非ざるのみならず、大に他の同業者を蠹毒するものである」日本船主協会会長三井物産常務取締役 川村貞次郎 1926/1/15
蠹(と)=しみ、衣類や書物を食う虫


イングランド銀行の金利政策は進退両難 金流出を防ぐためには利上げが必要、国内産業の安定復興のためには利上げは避けなけれならない 1926/1/12


英国の石炭の生産費は米国の3倍 
原因①鉱区が古い②機械力において米国に及ばない③鉱夫によるストライキ、紛争が絶えない
  一記者 1926/1/11


(イギリスで)「自国から外国への往航の汽船には、石炭をつみ出し、帰航の場合に輸入品を積込んで来ることになっている。もしこの石炭の輸出が無くなると商品だけでは船腹が余って、往航は殆ど空で行くのであるから差引高い運賃を支払わなければならぬことになる」一記者 1926/1/11


「英国とドイツとの造船費の相違は、造船を以て世界に誇る英国人が、他国に注文する程大きいのである」一記者 1926/1/11


(政党の資金の出所を想像するに)
一、御用商人の寄付金(中には強制的のものもある)
二、爵位官職の周旋に対する賄賂
三、政府又は半官会社の機密費
四、職権乱用に対する周旋料
五、党員の拠金
尾崎行雄 1926/1/8


日本の選界の病弊 ①多額の経費が要ること②政府党に投票する者が多いこと③各政党が秘密の資金を秘密に使用すること 尾崎行雄 1926/1/8


「我国では衆議院議員一人に付き、平均三四万円の選挙費が要る、これは我国人の富力から見れば格外の大金である、その証拠には地方の資産家は数回候補者になれば大抵破産する」尾崎行雄 1926/1/8


「政界の現状に対して、満腹の不平不満を抱く所の世間多数の人々には、その大に嘱望している普選を実施しても、なお思うような変化が起らないなら、必ず立憲政治に失望し絶望するであろう」 尾崎行雄 1926/1/8


国産品奨励の無理な手段方法 (一)外国品の品質が優良であって内国品ではこれに対抗することが難しいのに強いて内国品を使わせようとすること(二)外国品の価格が低廉であって内国品ではこれに対抗することが難しいのに強いて内国品を使わせようとすること 法学博士 河津暹 1926/1/7


(国産品奨励について)「無理なる手段方法を用うれば、あるいは一事功を奏するかも知れないが、忽ちにしてその反動を生じて折角築き上げたる防波堤も鯨波の為に洗い流されて、痕跡を残すこと能わざるかも知れないに至る虞がある」法学博士 河津暹 1926/1/7


電力事業を国営化すれば、税金を課されることがないので電力の生産原価が低廉となり、一見国営の方が能率がよいように見える場合もあるかも知れないが、税金は結局誰かが支払わねばならぬもので、少しも国民の利益を増進する訳ではない 日本電力株式会社社長 山岡順太郎 1926/1/6


「資源豊かなる地方の民は、過剰人口の民の移住に対し、寛大に歓迎すべきであることは、世界人類の和平と幸福とのために必要である」社会局長官 長岡隆一郎 1926/1/5


「我国に於いて採るべき唯一の道は、工業その他の技術教育を盛んにして加工によって諸外国との競争場裏に立つことと思う」経済学博士 土方成美 1926/1/1


「汽車や大砲の世の中に駕籠かきや、甲冑工が失業するのは当然である。我国の職業教育が聊か駕籠かき否駕籠の乗り手や鎧工をたくさん作っていて需要のあるものを作っていない嫌いがあると思う」経済学博士 土方成美 1926/1/1


「金利の高低はその国家の富の程度、事業の状態、歳出入の多寡、軍備の度合、教育の如何などによって決るもので、総ゆる国力を象徴し、総ての隆運の尺度となり標準となるものであるから、国家として金利を安くすることに努力せねばならぬはずである」子爵 渋沢栄一 1926/1/1


1925(大正14)年
アメリカ商務長官フーバー ゴム相場高騰の対応策として以下の諸点を指示
一、ゴムの生産者にクレジットを与えないこと
二、ゴムの消費を節約すること
三、古ゴムを捨てないで再製して使うこと
四、消費者同士が値をせり上げない工夫をすること
五、ゴムの代用品を奨励すること
1925/12/27


(小作争議について)「小作人が農業上の生産者である関係上、一般労働争議に比し持久力を有し、繋争期間は一般に比較的長期に亘るが、結局は大部分両者の妥協によって解決する場合が多い」1925/12/22


小作争議での地主側の対抗手段 一、小作料の支払あるいは土地返還の請求を裁判所に訴える 二、土地の立入禁止、稲の立毛差押の執行 1925/12/22


小作争議での小作人側の対抗手段(イ)小作人児童の同盟休校(ロ)公課の滞納同盟(ハ)地主との交際断絶(二)商人に対する不買又は不払同盟(ホ)消防組合、青年団等の総辞職 1925/12/22


(フランスで)「内閣の更迭頻々として、閣員は、殆ど席の暖まる暇なく、殊に、財政の局に当る大蔵大臣の職務は、最も困難であって、財政計画の如何は、ただちに内閣の運命に関係し、今春以来、既に数回の更迭を繰返すも、いまだ前途の安定を期し難き状態に陥っている」1925/12/21


「英国糖界の権威者アーサー・ホッヂ氏の説に従うと世界の砂糖消費は千八百五十年来三パーセント二分の一宛の割を合以て年々増加して戦前既に千九百万トンの多額に達していたのである」1925/12/15


「ロシアが旅順に建設した市街は一大壮観をなしているけれどもこれがためかれは少しも実利を得てはいない」IT 1925/12/6


「ロシアの殖民地経営といえば一も二もなく外観の装飾に全力を注ぎ実力の培養等は一向顧みぬ風がある」IT 1925/12/6


「元来満洲の如き未開の地を開拓するには、先ず勤勉力行を基とし、事業計画を極めて真面目にせねば到底根柢ある発達は望み得ない、しかるに満洲の邦人事業は利源を開発するよりは寧ろ利権を獲得する機会を作るに苦心し、これを利用して一攫千金を得んとする気風が盛んであった」IT 1925/12/6


(1918年~1920年に)「当時満洲に企てられた事業は、前途の確信を有せぬ計画が多く、中には株券売買の目的を以て殊更に資本額を過大に見積ったものも随分多い、されば之等の事業会社が財界反動の打撃を被り、営業困難を招くは已むを得ぬ所である」IT 1925/12/6


「内地にあっては日照り豊作であるに反し、朝鮮では雨が降らねば豊年でないというのも、つまり天水にまつ水田の面積があまりに多いからである」朝鮮殖産銀行頭取 有賀光豊 1925/12/5


「朝鮮には現在百五十万町歩の水田を有しておるが、内天水に待つもの百二十万町歩の多きに及んでおり、灌漑の便をもつものとしては僅に三十万町歩しかない」朝鮮殖産銀行頭取 有賀光豊 1925/12/5


「元来移民なるものは生活程度の高い地方に移住して始めて成功することが出来るであろうけれども、生活程度の低い民国、殊に満蒙に移住して華人と労働の上に競争するということは、到底不可能のことである」総領事 船津辰一郎 1925/12/5


「満洲には今のところ全く統一が欠けている。関東庁と総領事館と満鉄と、之に加えて陸軍が、いずれも独自の境界に引きこもって、異なった見解と権限の下に行動している」清沢冽 1925/12/5


中央集権的な財政は日本やフランスのような領土の狭い国でのみ行われるもので中国では到底不可能 楊汝梅 1925/11/27


「袁氏が民国の総統となった三四年、武力を以て各省を統轄したから各省も賦課に応じたが武力衰うるに及べばまた遂に応じるものはない」楊汝梅 1925/11/27
袁氏=袁世凱
三四年=民国三、四年、1914~1915年


(辛亥革命で)「各省相次いで独立して中央政府と絶った、中に幾省か服従を称するものもあったが、ただ表面のみで、政府に対して賦課に応ずるものは一省と雖も見られなかったのである」楊汝梅 1925/11/27


「前清時代の中央政府には固有の収入がなかった、中央で要する軍政その他の各費は総て各省の賦課によったのである」楊汝梅 1925/11/27


第一次世界大戦でドイツ・オーストリア敗戦
ロシア革命
→北清事変の賠償債務の49%が消滅 
楊汝梅 1925/11/27


連合国は第一次世界大戦参戦の見返りに中華民国に北清事変の賠償債務の5年繰り延べを認めた 中華民国審計院第一庁長 楊汝梅 1925/11/27


(奉天派の李景林、張宗昌について)「この二人は新に戦功に依って山東、直隷を取ったのであるが、民財を誅求し横暴の声が到る処に満ち、不評判を極めて居る、特に張宗昌は十七種の新税を取りあらゆる誅求を行うので土匪督弁で通る位となった」 今関天彭 1925/11/24


前年中国政府が乱発した無価値に等しい債券を梁士詒が買占 北京関税会議で債務整理の思惑 今関天彭 1925/11/24
梁士詒(りょうしい)は清末民初の政治家、科挙出身。袁世凱の皇帝即位を推進し袁世凱の死後指名手配され香港に逃亡。後に特赦され安徽派(段祺瑞派)の政治家として復帰 Wikipedia


(中国で)「今日の通過税としての釐金税を廃しても必ず、他の形に於いて異名同質の税が現れて来ることを予想せねばならぬ」木村増太郎 1925/11/23


北樺太利権交渉でロシア側は日本当事者の手より採掘される重油の半額をロシア政府が購入する権利を主張 日本側は強硬に反対しているが、幾分要求に応じる模様 1925/11/21


「西原借款整理に一億七千万円 公債を発行して政府で肩替り 内一部は中途償還」1925/11/18


(アメリカで)「最近政界の大問題になっているものに、一年五千ドル以下の収入者には、所得税を一切廃すべしという運動がある」清沢冽 1925/11/14


「ロシアの刑法を瞥見して特に目立つのは、生命、個人、道徳等に対する犯罪の刑罰が比較的に軽くて、国家に対するそれが非常に重いことである。普通の殺人が八年の懲役であるのに労農政府の当局に対する陰謀は、銃殺、財産没収等の極刑を以て罰することになっている」清沢冽 1925/11/14


「呉佩孚一派は共産党だから、この際正義のために討つ」張作霖 1925/11/14


「自分は共産主義には大反対で、奉天派こそ共産主義だ」呉佩孚 1925/11/14


(張学良について)「まだ二十六才とか聞いたが作霖君には目に入れてしまいたい程の可愛い息子で、この前の第二次奉直戦争には第一第三連合軍司令として天晴れ手柄をたて、今は若い体には負い切れない程の肩書の持主である。英語のうまいことなどが御自慢だと聞いた」清沢冽 1925/11/14


(中国で)唐紹儀が公開状を発表 金フラン問題の解決によって得た金の使途について段祺瑞に質問 1925/11/14


(アメリカで)「すでに利上げの必要を感じていた模様であるにかかわらず、今日まで利上げをせずにいたゆえんのものは、これ自国内の事情によるのでなく、欧洲の産業を援助する意味、とくに英国金輸出解禁後の産業を援助せんがためであったとされている」1925/11/12


「米国地質学者の調査報告によると世界各国の地下石油埋蔵量は、北米合衆国七十億バーレル、南米九十三億ロシヤ六十八億ペルシア五十八億メキシコ四十五億東印度諸島三十億ルーマニヤ十一億バーレル」1925/11/10


USスチール株上昇の原因 ①多額の積立金を有し政府がこれを配当として許可するかもしれないと伝えられた②金利安による豊富の資金③投機筋の買い煽り 1925/11/9


(米国の株式界について)「最近の如き狂騰状態は決して永続すべきものとは思われず寧ろ勢いに支配されて行き過ぎたものとも考えられる」1925/11/9


「米国の株式界は熱狂的の好況を示し十月中の株式出来高は五千三百四十万株という従来殆ど其例を見ない数字を示し最近の如きは一日二百八十万株というが如き出来高を現わしている」1925/11/9


「関東庁がいよいよ満銀整理に着手」1925/11/8 満銀=満洲銀行
(関東庁について)日露戦争でロシアから譲り受けた関東州(遼東半島先端)と満鉄附属地を統治するための機関 1919年に関東都督府が廃止され民生部門を担う関東庁、軍事部門を担う関東軍とに分離設置された Wikipedia


(東インドのゴム栽培業者などを指して)
「現に米国の工業に取り欠くべからざる原料品を独占する外国の生産者にして今後尚現在の如き法外に高価な価格を米国の製造業者に強要する態度を改めなければ米国においてもこれに報復する用意あることを覚悟せねばならぬ」米国商務長官フーバー 1925/11/3 


「内地の農業団体の一部の者がこの朝鮮産米の増殖に反対しつつあるようだが、これは国家的見地から見てまことに不都合であるのみならず、朝鮮水利事業の実際を知らないものである」朝鮮銀行総裁 鈴木島吉 1925/10/31


「一体朝鮮の財界が戦後比較的打撃を受けていないのは、欧州大戦中総督府で「会社令」なるものを発布して内地や満洲に無暗に会社が設立された時代に会社を起さしめず、景気をあおらなかった結果である」朝鮮銀行総裁 鈴木島吉 1925/10/31


「米国の一人頭の一年の収入は六百ドル、英国は四百ドルに比してフランスは二百ドルに過ぎない」一記者 1925/10/30


「仏国の租税は現在においても決して軽くない、国民の総収入の一割九分が租税として徴集されて居り、これに他の地方税を加えれば二割に上るのである、これに対し英国は一割八分五厘、米国は一割一分五厘である」一記者 1925/10/30


フランスのカイヨー蔵相 資本課税をめぐり社会党と対立し辞任 パンルヴェー内閣総辞職 1925/10/30


政友本党の国民生活安定策 金輸出解禁で輸入物価を下げることによって国内生産品の価格を下げ、輸出を増やす 1925/10/28


「現時の政界の空気は如何にも低調であります、而して此責任は従来の政党の態度なり政党政治家の言動なりに帰すること勿論ではあるが、世人が一般に政治に無関心なることも大に因由を為して居るではないかと思われるのです」政友本党総裁 床次竹二郎 1925/10/27


(中国軍閥の兵士について)「一日何銭という手当を目あてに集まるものが多いから、今日少数を有する将軍も、軍資金如何の関係並に戦争の勝敗によっては明日は大軍を擁する大将軍たることは珍しくない」1925/10/23


(中国軍閥について)「一師、一旅というも軍兵の数にありては必ずしも実数の一師一旅でない場合が非常に多い」1925/10/23


北京関税会議に反対して孫伝芳が挙兵 上海から楊宇霆(奉天派)を駆逐 1925/10/23


「石炭に次ぎ満洲に於て最も注意すべきものは、現在露天掘区域にある頁岩より石油を得る方法を満鉄において略成功したことである、ただ経営上において未だ充分に採算上利益を挙ぐることは出来ぬけれども、同社ではその成算あるを信じて居る」松堂 1925/10/15


朝鮮総督府の米の増収計画 15年後に930万石の増収、内900万石を日本に輸出しようとするもの 1925/10/15


朝鮮の米の産額 大正元年 1086万石 → 大正12年 1521万石 1925/10/15


(ロシアで)個人資本を圧迫→都市においては物資過剰、農村においては物資不足
国営商業の9種の代表的シンジケート いずれも赤字 1925/10/13


(ロシアで)「今では個人資本が遥に国家資本の上に出で、政府の支援を以てしても国家資本は到底個人資本と競争が出来ない状態になっている」1925/10/13


(モスル州について)「同地は豊富なる油田地にして英、米、仏、蘭四ヶ国の資本団よりなる資本金五十億ドルのトルコ石油会社が開発権を有している」1925/10/10


「モスール州の帰属問題に就きトルコ政府とイラクアラビア(英国の委任統治下にあるもの)との間の争いに対し国際連盟総会がイラク領と裁決」1925/10/10


「一体一国中央銀行の金利の上げ下げがその国経済界に大影響を与えるということは例えば明治二十年代の日本の如き場合ならばいざ知らず今日では決して出来るものではない」日銀理事 深井英五 1925/10/3 


日本の産油は国内消費量に対してわずか3分の1に止まる 高梨生 1925/10/1


日本国内産の原油価格が戦後における新安値に低迷 多くの石油採掘会社または個人鉱業家は採算がとれず経営困難 高梨生 1925/10/1


(中国で)「現在において約一億元に達する関税収入中、中央政府の手に入るものは僅に京師税関の収入、平均二百万元のみといわれる有様である」河瀬蘇北 1925/9/30


中国の混乱←中央政府の威力の欠乏←中央政府に金がない←財源があっても外債の担保にとられて剰余金を受けるに過ぎない有様 河瀬蘇北 1925/9/30


中国在留外国人の中で日本人は人口において62%を占める
日本は、出入共に中国の全貿易の4分の1を占める
河瀬蘇北 1925/9/30 


片岡直温商工大臣がガス事業法の制定を促進 ガスタンクと民家の距離について内務省は30メートルを主張したが、商工省は企業家本位から強硬に反対して10メートルに決定 1925/9/30


米英金利逆転でイギリスから金流出 1925/9/28


「世界的供給過剰で糖界の不況深刻 外糖相場は戦後の最安値」1925/9/17


(需要家の株式所有について)「需要家は決して無理な好配当を望むもので無い好配当よりも寧ろ会社の「サーヴィス」の良好ならん事を望むものである」東邦電力副社長 松永安左衛門 1925/9/7


株式仲買心理に支配されている思惑株主は邪魔 歓迎すべき株主は①生命保険会社②需要家③従業員 東邦電力副社長 松永安左衛門 1925/9/7


株式払込金以上の社債を募集できない商法の規定→払込金を徴収するために株価を上げる必要→無理な高配当 東邦電力副社長 松永安左衛門 1925/9/7


「日本の電気供給会社は平均一割一分の配当を行って居るがそんなら皆大に利潤をあげて居るかというに実はそうで無い、甚だしきに至っては利益率の漸く一割に過ぎぬのに一割二分の配当をして居る会社すらある」東邦電力副社長 松永安左衛門 1925/9/7


(アメリカの鉄道会社の破産について)「鉄道会社創立の動機が既に投機的でオーヴァーキャピタルを意とせぬなどその財政方面に悪い欠陥があって「タコ配」なんかをやっていた結果である」東邦電力副社長 松永安左衛門 1925/9/7


アメリカの鉄道会社の90%は破産管財人の手に渡っている 東邦電力副社長 松永安左衛門 1925/9/7


「公益事業は独占事業たる性質を多分に固有するもので、瓦斯にしても水道にしても徒らに二重施設を敢てし屋上屋を重ぬるごとき建設を行う事にも成らば。独り国家の損害たるのみならず、その供給原価をも高くし社会の受くる不利益は決して少々で無い」東邦電力副社長 松永安左衛門 1925/9/7


大倉喜八郎がモンゴル視察旅行 張作霖軍の白馬隊が護衛 1925/9/6


ワシントン会議の結果、海軍の八八艦隊計画中止→各造船所は経営困難→損害補償について海軍省と大蔵省が折衝 1925/9/6


中国の排外騒擾(5・30事件を発端)で日本以外の外国紡績工場があまり問題とされなかったのは経営が中国式で相当地位の者が多く中国人によって占められていたから 1925/9/2


「日本の産業は、独特の科学的訓練と、安価なる労銀とを以て西洋諸国の商業に対抗し、しかも、英、米人から観れば「無に等しい安価なる生活状態を以て、ますますその商圏拡張に熱中して居る」ロイド・ジョージ 1925/9/1


「日本は、四の字の付く年に屹度戦争をやり出す、一八九四年(日清)一九〇四年(日露)一九一四年(日独)がその適例だ」イギリス人雑誌記者グレー 1925/8/29 屹度=きっと


「日露連合して英国と戦うという方が、日米戦争よりも遥に多い可能性をもっている」イギリス下院議員ケンウォーシー 1925/8/29


「国家総動員 調査機関の新設 軍需局として陸軍省内に」1925/8/28


中国の銀行家は、たとえ相手が執政であろうとも、大臣であろうとも無担保では金を貸さぬ、一朝まかり違えば役人を辞めねばならぬから信用ができぬというのである 大倉喜八郎 1925/8/26


「金流出の掛念去って英蘭銀行の利下 解禁以来金の受入超過七百万磅」1925/8/10 英蘭銀行=イングランド銀行


「若し英本国が当時金輸出解禁を断行しなかったならば自治領は単独でも之を敢行したであろう、かかる場合には自治領は英貨磅を基礎とする事が出来ず、米貨弗を基礎として金本位に復する事になったであろう」イギリス蔵相チャーチル 1925/8/8 磅=ポンド  弗=ドル


朝鮮銀行、台湾銀行を現在の窮況に導いた直接の原因は西原借款 1925/8/8


(朝鮮銀行、台湾銀行について)「好況時代における放漫なる貸付により資金を固定せしめ、殆ど特殊銀行としての使命を尽すこと能わず、全く行詰りの状態にあり、殊に鮮銀の如きは、高歩のコールを漁って金融界を攪乱するため、金融市場は、同行を以て財界の癌とさえ称えた」 1925/8/8


(中国で)「各界代表者二百名、北京大学内に会合し、全国民対英宣戦大同盟会を組織し、執政政府に開戦を建議し、かつ各国に宣言書を送った」小松緑 1925/8/9


社会政策は弱者に対する強者の独占を排除するので自由経済主義の徹底にほかならない 法学博士 小林丑三郎 1925/8/3


「我国金利の高率なるは種々の原因もあるが其主要なる理由は小銀行が分立して各自預金の引換準備を多額に保留して置かなければ危険であるというためである」法学博士 小林丑三郎 1925/8/3


「我国の官吏は民間の人物に比して近時甚だしくその知識が退歩して来た、戦後の新しき問題や新しき知識に付て頗る無理解なることが暴露した、例は議会における治安維持法の討議に際し、新人議員の質員に対する政府委員の答弁を見るも明かである」法学博士 小林丑三郎 1925/8/3


(徴兵制について)「一ヶ年以上は必要がない、より以上兵営に長く置くことは却て驕慢または堕落を誘うのみで退営後郷里に帰ると却て質実の風を破壊する弊害がある、不生産的の人民を増加するのみである」法学博士 小林丑三郎 1925/8/3


農家の所得は一戸平均120円 商工業の所得は一戸平均260円 法学博士 小林丑三郎 1925/8/3


(日本の商業について)「雇人の多くは年期奉公人であって所謂丁稚番頭式である、主人も番頭も無識低俗の盲目商業である。社会公衆の大需要に向って突進しないで、官庁や上流者の御用を受け秘密の取引で巨利を射ることを競走し、しかして無数の小店を維持しているのである」小林丑三郎 1925/8/3


(日本の富力について)
農地の総額 300億円
その他の土地、建物及び鉱山の価格 470億円
鉱業会社の資本全額 90億円
商事会社の資本全額 30億円
鉄道・汽船の価格  31億円
銀行の資本全額   25億円
銀行預金額     60億円
法学博士 小林丑三郎 1925/8/3


「ボンベイ紡績連合会及び同地商業会議所は数日来より日本綿糸布排斥運動をなし此と同時に同地選出代議士と計り八月開かれるインド議会へ建議案を提出し其貫徹を期している」1925/7/20


英国は百年戦争の戦費をフィレンチェの銀行家から借りたまま返していないので、イタリアもまた第一次世界大戦の戦時債務の支払いを拒絶できる イタリア下院議員ルザッチ 1925/7/14


「イタリーは対米戦債を承認し、支払いの責任を感ずるけれども、数世紀に亘るモラトリアムを必要とする」イタリア首相ムッソリーニ 1925/7/14 モラトリアム=猶予


「今日の教育は有為の青年を猥りに空理空論に走らせるばかりで資本の蓄積も産業の発展にもほとんど益する所はなく却て無数の子弟をしてその依る所を失わしむる弊害を助長している」第一生命保険会社社長 矢野恒太 1925/7/12


積極主義を標榜する政友会に政権が移れば、不自然な好景気が出現するかもしれない。しかし、かかる景気は濁流の泡沫のごとく間もなく消失することは明らかである 三菱銀行取締役会長 串田万蔵 1925/7/12


「会社にしても、銀行と特別の関係を有せぬかぎり、事業資金の調達も困難である」日本石油会社副社長 橋本圭三郎 1925/7/12


「前途を嘱望される加里工業について見るも三井三菱の経営にかかり、金権に特別の関係あるものを除き、いづれも経営難におちいってをる」日本石油会社副社長 橋本圭三郎 1925/7/12


「公債、社債その他確実な有価証券を有するものにとっては、銀行の資金を自由に使用し得るけれど、その他の向にとってはそれが財界に貢献し、また事業界にいろいろの経験を有していても到底借金をなし得ないという有様」日本石油会社副社長 橋本圭三郎 1925/7/12


「外国貿易の国家的独占はロシヤが未だ農業国であるという事実によって説明される、二千三百万家族の農民が個々に独立して外国企業と競争する事は不可能であって統一機関に依り保護する必要がある」露国駐日大使 コップ 1925/7/12


バルーンタイヤの普及→ゴムの需要増→ゴム相場上昇 1925/7/7


欧州の三大独裁者 イタリアのムッソリーニ、スペインのリベラ、ハンガリーのホルティ 1925/7/2


「ドイツにおける政治犯人取扱いの苛性酷さは既決犯人に対してよりむしろ予審中の未決犯人に対して甚だしい、即ち共産主義未決囚は既決囚同様一ヶ月甚だしきは一年以上監獄内に留置され、最後に証拠不十分位の名目で放免されるは公然として行われて居る」1925/6/30


中国における騒擾(5・30事件)のため極東筋が多量の銀塊を買い付け銀相場が高騰 その結果インド筋の空売り屋は買い埋め急ぎの体となり多量の商い 1925/6/28


カナダ醸造界は空前の利益を収め醸造会社株は暴騰 1925/6/27 


(カナダ醸造業について)「生産額も刻々に増加して米国の禁酒法実施前に比較すると既に今日は四十倍に増加して居る有様である」1925/6/27


1924年度におけるカナダの対米酒類輸出額は1922年度に比べて2倍に増加、しかもこの輸出高は医薬用として合法的に輸出されたもののみの統計であって密輸出額はこの50倍を超えると言われている 1925/6/27


「今日財界の不振を招致したのも、一時の好況に禍せられたがためで、現内閣の罪ではない」加藤高明 1925/6/20


「もし一国の貨幣が、その価値において、時々刻々に変動するに至れば、商業上の安定を失することはもちろん人心もまた、これに伴うて頽廃し、商業が投機化され一般産業の真の目的が忘却される結果となるのである」前の英国蔵相 フィリップ・スノウデン 1925/6/16


(小型戦車について)「搭載兵器の威力において著しく中型及び重型のものに劣るが敵に対する目標が小さいため戦車隊の主要戦法たる奇襲に適し、砲弾の損害を受くること少なくして敵陣に接近し得るので欧州大戦中でも最後まで活躍したのはこれ等小型に属するものであった」1925/6/14


日本軍に戦車隊新設 第一次世界大戦の経験と日本並びに隣国の地勢交通路の状態等に鑑み重戦車は一切採用しない 1925/6/14


中国にいる日本企業者には、中国人を劣等視する者が多く、中国の労働者を牛馬の如く酷使し、日本人監督がむやみに部下の中国人を殴りつけるのがよく問題になる 小松緑 1925/6/10


          1915年       1923年
英国のカナダ投資 18億6千万ドル → 19億8千万ドル
米国のカナダ投資  4億2千万ドル → 24億2500万ドル
1925/6/9


「米国資本侵入の最も著しいのは、隣邦カナダであって、今日においては、その経済界の活殺与奪は、全く、米国資本家に掌握せられて居る姿である」1925/6/9


日本が軍艦を建造することは何ら問題ではないが、毎月500機の戦闘飛行機を建造していることが問題であると知らなくてはならぬ。この飛行機が2機あれば、いかなる軍艦でも2時間のうちに沈めてしまう アーサー・ブリスベーン 1925/5/30


「段祺瑞の如き人格者は一時的に軍閥共がドン栗の背くらべをする場合にこそ重宝がられるが、一将、功成って群を抜けばそれの前には何等の価値なき一老爺にすぎない」1925/5/23


北京の治安維持の任をめぐり張作霖と馮玉祥が対立 1925/5/23


「ドイツの新関税で日本織物は大打撃 織物輸入税は倍の増加」1925/5/22


「一体自動車は骨までしゃぶる程度にまで繰返し繰返して使用されるのであるが、わが国ではこれが出来ず、非常な不経済な使い方をしているのは遺憾至極である」日仏シトロエン自動車株式会社専務 森四郎 1925/5/20


(日本の自動車工業について)「完全なる修理工場さえないというのも、現在使用自動車の種類が百余種に上って居り一種類の修理を目的とする工場を建設しても採算が合わぬからである」日仏シトロエン自動車株式会社専務 森四郎 1925/5/20


「わが国における自動車工業の現状を観察するに、独立的生産工場がないのみならず、完全な修理工場さえないという、すこぶる心細い状態である」日仏シトロエン自動車株式会社専務 森四郎 1925/5/20


「外国における飛行機工業の発達の状況を見るに独立の工業として発達はして居らぬ。何れも自動車工業の附属事業として発達して居るのであるが、これは国家経済上有利であると信ずる」日仏シトロエン自動車株式会社専務 森四郎 1925/5/20


「我国からフランスへ継続的に輸出し得る品物は、現在の所生糸より外は殆ど無いようである。従って対仏貿易の振興策は、どうしても生糸を中心にして行かなければならぬものと思う」原合名輸出部主任 岡田源吉 1925/5/20


蒸気自動車は1769年にフランスの二コラ・ジョゼフ・キュニョーによって発明された
ガソリン自動車は1870年にオーストリアのジークフリート・マルクスによって発明された 
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「一八九八年にルイ・ルノー氏は最初の自動車を製造した、これは現代の自動車の模型である」ルノー会社技師ギエルモン 1925/5/20


「自動車の費用は主として燃料である、故に仏国自動車の特長の一つはそれが競争者と異って石油の高価な国で使用せられるために最小限の石油を消費するように工夫されている」ルノー会社技師ギエルモン 1925/5/20


「売価の廉い事は運転費に比すれば小問題である、仏国の自動車は維持費を引下げるために全力を尽くしている、第一に原料の良質は破損の危険を最少に止め、-修繕費を節約し、金と時と気持の浪費を避け‐自動車の減価を防ぐ」ルノー会社技師ギエルモン 1925/5/20


(自動車について)「概言して仏国製のものは典型的な完成さを有し、他国に於るものよりも信用が確実である、それは仏国の製造家が廉価生産のために何物をも犠牲にする事をしないからである」ルノー会社技師ギエルモン 1925/5/20


「数字的にいえば自動車は約三十年前に仏国において初めて生れ出たものであって、前世紀末の試験時代から娯楽運用時代を経て今日の運輸交通機関となるまでの改良を生み出したのも仏国である」ルノー会社技師ギエルモン 1925/5/20 


高田商会破綻→日本の貿易商および銀行の対外信用失墜→三井、三菱の如きを除いては相当著名の貿易商も海外における活動に非常なる不便 1925/5/19


「釐金は今日においては各地に割拠する督軍、軍閥の一種の地方税であって、条約上からいえば違反であっても今日までの成行き上各国は今直にこれを如何ともなし得ないのである」在北京 桂亭生 1925/5/13


(北京関税会議について)「各会社、銀行等は種々の注文やお願いをして、この際特別関税会議に自分の持て余し借款を入れて欲しいとの希望や運動が盛んにあるらしい」在北京 桂亭生 1925/5/13


第一次世界大戦で仏国のフランが下落→北清事変の賠償金支払いについてフランスは金建、中国はフラン建を主張 在北京 桂亭生 1925/5/13


(北京関税会議について)「日本の経済界が現在一歩不景気の底に沈みつつある際において、この特別関税会議が開かれ、その結果二億万円余の捨て金に目鼻が付くという事は、直接には興銀、台銀、鮮銀に余裕を生ぜしめ、間接には不景気に一脈の光明を投げ得るかも知れないのである」桂亭生 1925/5/13


賠償金の支払いは結局ドイツの輸出超過にあおがねばならぬ、もし仮にドイツの貿易が期待通り復活するとすれば、ドイツは産業上他の欧米各国を圧倒する地位を獲得するものと予想せねばならぬ 興業銀行理事 弥永克巳 1925/5/13


「英国の金解禁に依りポンドの価値が安定するに至らば、是れまでニューヨークを中心とせる金銭取引が漸次ロンドンに移ることは、ほぼこれを想像し得るのである」台湾銀行理事 首藤正寿 1925/5/5


(金輸出解禁について)「国民は英国の例に倣い挙国一致の下に、この解禁の時期を一日でも早からしむるよう努力しなければならぬ」大蔵大臣 浜口雄幸 1925/5/1


「最近目立って多くなった銀行合同の状勢 本年に入り合同と買収の為め消滅した銀行二十五行に上る」1925/4/27


(日本で)ある種の織機だけを比べてみると、イギリスにもドイツにも劣らない高級機を使用しているが、その準備機械を比べてみると、粗末なものを平気で使用していて到底比較にならない 機械貿易会社専務 瀧清 1925/4/25


「必要以上に値を安くして、当然品質を低下せしめることは、現代の需要者の購買心を補うる所以でないと共に、その国の工業を退化せしめ、結局自他共に何等得る所は無く、徒らに原料を浪費して、無用の駄品を作り、終に一国産業の萎靡荒廃を招くに過ぎぬ」機械貿易会社専務 瀧清 1925/4/25


資金遁竄防止法(ドイツの通貨で外国貨幣を買うことを禁止)が新マルク相場安定策の唯一のからくり 機械貿易会社専務 瀧清 1925/4/25


(ドイツで)ハイパーインフレ→機械購入、工場増築など貨幣を物資に替える→工場の復旧促進 機械貿易会社専務 瀧清 1925/4/25


日本国民銀行(広島県、資本金10万円)に営業停止命令 1925/4/24


インドの格安銑鉄とりわけタタ銑鉄の輸入が急増 日本の製鉄業者を圧迫 1925/4/24


「共和国となったドイツにおいてさえ固より大した望みはないにしても、ヒンデンブルグ元帥が大統領候補に推される有様ではないか、政友会が田中大将を迎えたのはあるいはこのデモクラシー思潮の反動に乗ぜんとする積りであるかも知れない」小松緑 1925/4/21
田中大将=田中義一


「露国で実験された、社会主義-共産主義が、何人の予想をも裏切って、極端な寡頭専制を実現し、最も貴重な個人の自由と権利とが全然無視されつつある実跡を見て、英人は一般に慄毛を生じ、労働組合すら共産主義者を除名し若しくはその加入を拒絶する決議を仕た程である」小松緑 1925/4/21


(ロシアで)「シンガミシン会社、インターナショナル、ハーヴェスター会社(農具製造)及びウエスチングハウス会社はその財産を没収されたが、露国を承認すれば賠償を受けるだろう」ルイス・フィッシャー 1925/4/18


日本銀行の利下げが事前に漏洩 政友会某氏の機関店なりといわれる某々株式店が買進み 1925/4/17


高田商会ビー・エル問題
第二銀行が高田商会のために各船会社に対してなした船荷引取保証額約12~3万円
その実価が保証額の十数倍
船会社が第二銀行に実価賠償を要求
1925/4/14
https://tanocimo.com/letter-of-guarantee


第二銀行の支店で取り付け騒ぎ 高田商会のビー・エル(船荷証券)問題が波及 1925/4/13


宇治川電気株式会社 ニューヨークで1400万ドルの外債発行 期限20年 利回り8.189% 1925/4/4


「米国のごとき無限の天恵を受け、かつ世界の資金自国に集注する境遇に立ちながら、依然として保護政策を改めない、しかるに日本は内地産業の保護に毫も頭を傾けない現に外国の老朽船の輸入を自由にしわが造船業の衰頽を顧みない有様である」十五銀行頭取 成瀬正泰(正恭?) 1925/3/27

十五銀行は1877年、岩倉具視の呼びかけにより徳川慶勝・山内豊範・黒田長知・池田章政ら華族が発起人となり、秩禄処分で得た金禄公債を原資に設立。「華族銀行」と呼ばれた。1927年、昭和金融恐慌により取り付け騒ぎが発生して事実上倒産 Wikipedia


「一方では遊費の増加に苦しむ大銀行があるに、他方には資金の欠乏に悩む二流以下の銀行があり、また一部の事業家は低利の資金を利用するに、他の事業家は資金を得るに苦しんで居る」日本経済連盟専務理事 土方久徴 1925/3/27


モスクワ地方裁判所 米国シンクレヤー石油会社がソビエト政府と契約した北樺太の利権に関して契約無効との判決 1925/3/26


「ドイツ右党公認大統領候補ヤーレス氏はハムブルヒ市における選挙演説においてドイツの国民を新生幸福の彼岸に導かんためにはビスマルク式政策に復帰する事必要であると説いた」1925/3/25 ハムブルヒ=ハンブルク


(国民党孫文派について)「この派の力として最も恐れられて居る事は輿論製造に巧な事で、今までの経験から云えばこの派に反対されたものは成功して居ない」KT生 1925/3/20


「この前の奉直戦も文官の後方宣伝で、張作霖が敗けた様に、今度の奉直戦も、全く薫複等文官が直隷の根據地にありて、巧妙な運動の下に馮をして裏切りせしめた結果にあるのである」KT生 1925/3/20 馮=馮玉祥


張宗昌(奉天派)の部下が陸軍総長呉光新を侮辱 呉光新は張作霖への面当に辞職 KT生 1925/3/20


青島還付以来、青島塩の輸入が途絶し日本のソーダ業者にとって重大問題となっている。今日まで関東州塩、スペイン塩及びポルトガル塩を輸入してその補充をしてきた 1925/3/16


「米国民は今や世界の歴史において最も大なる、かつ最も長き繁栄時代に入る門戸に立っておると考えらるる」米国投資銀行業者協会長 デザート氏 1925/3/14


(アメリカで)豊作→好景気→クーリッジの圧倒的な当選 一記者 1925/3/9 


欧州諸国の準備金の所蔵額
1914年1月 27億6千万ドル → 1925年 28億余万ドル
ロシア、ドイツ、オーストリア・ハンガリー、イタリアが減少、イギリス、スペイン、オランダ、ベルギー、スウェーデン、スイス、ノルウェー、デンマーク等は増加
一記者 1925/3/9 


仏国は英国と米国に対し正直にその負債を払えば1年に約3億ドルを必要とする。ところがドーズ案によるドイツからの連合国全体の取り分は種々な費用を差引いて、1年に約5億ドルで、その内フランスが約2億7千万ドルである 一記者 1925/3/9


(第一次世界大戦の戦時債務について)「フランスやイタリーに至っては一体この負債を支払う意志があるかどうかすらも不明である」 一記者 1925/3/9


(第一次世界大戦の戦時債務について)「共同の目的のために戦ったものであるから、始めから寄附して仕舞うべきものであって、其方が国際的感情のためにも政策のためにもよかったものだ」ジョン・メイナード・ケインズ 1925/3/9


世界の大富豪10人のうちの半分あるいは半分以上はアメリカ人 一記者 1925/3/9


アメリカの国富はイギリスの3倍半、フランスの4倍半、ドイツの9倍、イタリアの12倍
アメリカの国富はイギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、スイス、ポーランド、ラトビア、フィンランド、オランダ、日本等の全国富の合計額よりも多い 一記者 1925/3/9


高田商会破綻の主因は為替下落であるのは疑いない 高田商会は主として復興に必要な物資の輸入に当たり、その失敗は復興の進捗を妨げる ジャパンクロニクル紙 1925/3/6


(日ソ基本条約について)日本がイギリス、アメリカ、フランスよりも早く条約締結に成功したのは、日本の対ロシア債権が3億円前後と比較的少なく双方があまりやかましく言い立てる必要がなかったためである 小松緑 1925/3/3


第一次世界大戦の連合国の戦時債務
アメリカの貸分 124億ドル
イギリスの貸分  97億ドル
フランスの貸分   7億ドル
1925/3/2


アメリカから金流出→アメリカの金融が引締→ユーエス・スチール株下落 1925/2/23


ニューヨーク・ナショナル・シティ・バンクが世界各国の国富比較を発表 アメリカが図抜けて多く他はイギリス、フランス、ドイツ、日本、スペイン、イタリアの順 1925/2/16


昨年春発行された公債(ドル建て・ポンド建て)は金利も手数料もすこぶる高率で南米アルゼンチンのものより条件が悪かったので一等国としての面目が潰れた 日本勧業銀行総裁 梶原仲治 1925/2/16


10年前と今日を比較して、政府の財政は3倍、政府債務は2倍、物価は2倍、賃金は3~4倍になった 日本勧業銀行総裁 梶原仲治 1925/2/16


アメリカの対外投資増加→アメリカから金流出 1925/2/16


漢冶萍製鉄借款 850万円年利6%で成立 償還期間20年 1925/2/16


ポンド相場が4ドル81セント台に回復 原因①英国の対米債務支払いが着々と実行②ドーズ案によってドイツ賠償金問題が解決した結果各国の財政基礎が堅実化③その結果米国の対欧投資が増加④米国に避難していた欧州の資本家が戻ったことにより巨額のドル売り 1925/2/15


シルビオ・ゲゼル スタンプ紙幣(時間の経過とともに価値が減る紙幣)を提唱 1925/2/5


(英領)インド政府が製鋼業補助を決定 1トンにつき20ルピー 1925/2/1


ロシア革命後、三井物産、秋田木材、大倉組などが沿海州森林の利権を獲得したが、革命政府は百方手を尽くして日本企業の活動を妨害 日露条約(日ソ基本条約)は日本の木材商と製紙業にとって福音 王子製紙社長 藤原銀次郎 1925/1/23


「ソビエット法律が如何なる程度に債権債務を認めて居るか、共産国家の本質から推想して恐らくは帝政時代と同様の債権保護は与えられて居まいと思われる、故にこの点が明瞭でない限り吾等貿易業者としては軽々に物資の売込みをする訳には往かぬ」三井物産常務 安川雄之助 1925/1/23


「ドイツの選挙戦に出現せる二十四政党:馬鹿馬鹿しき分裂方」在ドイツ 稲垣守克 1925/1/22


(呉佩孚の戦費調達について)「呉の直轄であった河南省などでは五千円しかない身代の家に一万円を賦課し、その主人が逃亡すると省長はかれの財産を銀行に引渡しそれを抵当に一万円を強制的に借り出したという話もある」小松緑 1925/1/20


(中国で)「大総統や議員ばかりでなく、有らゆる官職は悉く現金で売買されている」小松緑 1925/1/20


曹コン<金偏に昆>の腹心の出納部長李彦青は公金横領の罪で銃殺刑に処された 李彦青の供述から外交総長顧維鈞がドイツ賠償金を着服した事実が発覚 顧維鈞は逮捕を逃れるため、深夜女装して北京を脱出し上海に落ちのびた 小松緑 1925/1/20


「加藤首相は独りで不干渉主義の成功を誇っているが、霞が関と三宅坂との二重外交を知らぬ外国人の多くは、日本政府というものは口に不干渉を唱えて手で干渉するものだと誤解している」小松緑 1925/1/20
三宅坂=参謀本部


(第二次奉直戦争について)「今度奉天軍が勝たのは、日本が、声援したばかりでなく、多大の実援までも与えた、ということが、事実以上に世間に宣伝された」小松緑 1925/1/20


エジプト、ペルシャ、トルコは借金のため亡国の悲運に陥った 大倉喜八郎 1925/1/13


「我国の如く洋服と和服、靴と下駄と云うが如き、不経済極まる二重の生活は断然廃し寧ろ不活動的なる日本服は之を止め、西洋式に則りて日本服を制定したいと思う」大倉喜八郎 1925/1/12


「欧洲大戦により交戦各国は何れも皆経済的に大なる創痍を蒙ったが此の創痍は、ユダヤ種族の金に依って、辛うじて之を治療しつつあるの現況である」大倉喜八郎 1925/1/12


ドル安ポンド高 アメリカに偏在せる金が世界的に調整される機運 1925/1/12


第一次世界大戦でイギリスの自治領の発言力が強まり、アメリカと地理上、経済上共同の利害関係を有するカナダが日英同盟の存続に強く反対 臥竜学人 1925/1/8


日本の人口密度はベルギー、オランダに次ぐ世界第3位 1925/1/8


(ドイツで)「政府の物価引下げ処置は今日のところ不成功に終って居る、そのため外国との貿易殊に産業は競争上困難に陥って居る」1925/1/8


フランスのエリオ首相 対米債務の十年間支払い猶予を求める 1925/1/5


「初めは国内鉱山の稼行に没頭して居った米国銅鉱業家は、南米における英国資本を駆逐して今や完全に南北米大陸の産銅を支配し、世界銅鉱業の八割を掌握して居る」古河合名会社理事 毘田文次郎 1925/1/3


「土木工事や河川工事の中止繰延べは、確に節約の道である、しかし地方住民の安寧がおびやかされるようなことまでも犠牲としてこれを断行することは為政者として考えねばななないことである」東京米穀商品取引所理事長 指田義雄 1925/1/1


1924(大正13)年
各国の歳出削減
イギリス 1918年度 25億7千万ポンド → 1924年度 7億8千万ポンド  
アメリカ 1919年度 193億1千万ドル → 1925年度 39億ドル  
フランス 1919年度 483億フラン   → 1924年度 234億フラン
1924/12/25


「西原借款の整理がつかぬため、当の責任たる興業銀行、朝鮮銀行台湾銀行の幹部は何とかしてこの際西原借款の整理を得たいと政府に向って要望している」  1924/12/24


(日本で)宝くじ付き復興債券発行 一等三千円→郵便貯金減少  1924/12/22


「我国の現在銀行慣行の中で何が最も欠けているかといえば、われらは銀行引受手形が一般に行われぬこと…これが一番欠点であると考えるのである」前三井信託副社長 片山繁雄  1924/12/14


米国では、銀行の遊資が投機資金の貸出に向かう弊害が銀行引受手形の普及により一掃された 前三井信託副社長 片山繁雄  1924/12/14


ドイツ総選挙でルーデンドルフの極端国粋党(国家社会主義自由運動)大敗  1924/12/10


今次の政変(第二次奉直戦争)は一種の革命 段祺瑞  1924/12/8


「民国開基以来十三年間に於ける国会の行動は、一も国民の意思を代表したものと見るべきものがない」段祺瑞  1924/12/8


「国際的の電気需給に際し関税法上電気を貨物として輸出入税を課すべきか貨物に非ずとして無税とすべきか
回答、輸出入税は是れを課せざると可とす」 日本工業倶楽部  1924/12/6


「我国は建国以来国民皆兵主義を採り中頃武門のみにその権力が移ったのは一の変態である」文部大臣 岡田良平  1924/11/29


イギリス総選挙の結果、労働党から保守党に政権交代→ポンド相場が著しく上昇  1924/11/25


(浜口雄幸と金輸出解禁について)「浜口氏は入閣前に在って有力な解禁論者であったが、入閣後はまた最も強硬な反対論者となった、故に氏は解禁論に対する論弁の劈頭において先ず氏が在野当時と現時とは経済的事態の激変して来た旨を述べて居る」法学博士 小林丑三郎  1924/11/21


日本は発行紙幣高に対し12割以上の正貨を保有している それだから世界中で最も物価が高い 法学博士 小林丑三郎  1924/11/21


「最近の調査に依ると今世界の大国で、米国丈けは正貨の洪水といわるる程に発行紙幣高に対し十割の正貨準備を備えて居るが、英国では銀行券及び政府紙幣の発行総高に対し正貨保有高が三割七分である、仏国なぞは一割五分で、伊国は一割もなく僅に百分の六しかない」法学博士 小林丑三郎  1924/11/21


ベルリンにおける世界平和大会 軍備撤廃と徴兵廃止  1924/11/19


欧州戦争(第一次世界大戦)で英米仏伊は輿論政治が実行せられつつあったので勝った。独墺は超然内閣官僚政治に終始したので負けた。ロシア帝国のように憲法は名ばかりで貴族高官の専制に過ぎない国は最も早く滅びた 高橋是清  1924/11/17


「最近数年間米国の商工業が一般に不振であった大原因は戦時及び戦争直後に拡張せられたる工業の能力が十五割以上に及んだために外ならなかった」堀越善重郎  1924/11/16


1922年夏の不況に際して、フランク・A・ヴァンダーリップが、巨額の株券を買い入れ、驚くべき利潤を収めた 堀越善重郎  1924/11/16


(1922年夏の不況について)「今日の不況は遠からず恢復すべし、米国に於いて優秀株式が七分の利廻りを見るが如きは珍しき現象である、よろしく株式に投資すべし」フランク・A・ヴァンダーリップ  1924/11/16


「米国の政治家及び経済界の人士が今日腐心して居る処は如何にして海外よりの金の流入を防圧するかに在るのだから今後は世界何れの地たるを問はず確実有利なる企業に対しては進んで投資する事は明らかである」堀越善重郎  1924/11/16


(日本で)密輸出防止のため、従来1匁5円と定められていた金の値段を為替相場によって定めることとした  1924/11/10


円安ドル高のため、日本で金を1匁5円で買い、これを外国に密輸出すると莫大な利益が得られる  1924/11/10


(アメリカ大統領選挙について)「市場は過去の歴史から割出して共和党勝利の場合には大体に好景気が続きこれと反対に民主党勝利の場合には多く不景気が来るものと唱えている」  1924/11/3


ドーズ案実施→アメリカからヨーロッパに資金の大移動→ヨーロッパの産業勃興→激烈な国際商戦が予想される  1924/11/3


「英国では戦後自国内に染料事業を起そうとしてこれに保護を加えた、すると英国の織物業者は自国内で染ることをしないで皆外国の染物工場へ品物を出したというので大いに物笑いの種となった」 武藤山治  1924/10/30


(第二次奉直戦争)「奉天軍の戦勝で奉天票暴騰す  1924/10/29


中国動乱(第二次奉直戦争・江浙戦争)→日本の対中輸出減少→円安  1924/10/24


「欧洲大戦争に依りわが国は外国から約四十億円の利得をなしその内先ず二十四億円(戦後の我貿易の輸入超過累計)を吐き出し四五億円は外国への借金を返し十億円ばかりが残っている」  1924/10/24


(政友会と憲政会の政策の違いについて)「実は必ずしもそうきちんと区別をするほど‐両党に‐また両人にちがいがある訳でもない高橋はどっちかといえば積極的だが加藤といえども何も消極的という訳ではない」  1924/10/24


中国の内乱鎮静化と日本国内の米価高(農家の増収)→綿糸布の需要増加→紡績株の騰貴  1924/10/24


(金融梗塞の原因について)「それは多くの銀行がほとんど貸せるだけ貸して、しかもその担保に取った株が安くて頭金がきれているか、またはきれんとしているので所謂銀行の貸金回収難も株の値が安く、処分して売る訳にも往かぬというのがかなりある」   1924/10/24


(金輸出解禁について)「戦後直に実行すれば出来たのをやらないで来たので最早今日となっては貿易の回復を待って実行する外はないようになった」  1924/10/24


(外資輸入について)「苟くもその事業にして確実なる償還能力を備え且我国産業貿易の発展上必要なりと認めらるるものに対しては政府において固よりこれを抑制するの意思を有せず」大蔵大臣 浜口雄幸  1924/10/24


「今日のわが国としては実に為替相場の安いのを利用して外資を入れるに最も都合の宜い時である米国から一千万ドルの金を借りると之が去年だと日本で約二千万円になったものだが、今日では二千四百余万円になるのである」   1924/10/24
「しかも若し一年なり二年なり後にわが為替相場が回復して平価たる四十九ドル台になったときに右の借入金を返せば右の例で言えば二千万円だけ返せば宜いので即ち四百万円だけは得をするという訳になる」  1924/10/24


日本銀行が輸出手形に対し融通上の便宜をより多く与える方針→輸出手形の融通という名で国内の投機資金を借りようとする不心得者  1924/10/24


「わが国では堂々たる人が往々誤解され易い説を公にして居るそれは輸入品につき奢侈品は其消費を節約し輸入を抑制することの必要を説くが、原料品はこれはわが工業の原料だから必要なものだといってこれは全く別扱いのようにいって居る」  1924/10/24


「和製のラシャだからといってその洋服を収入の少い者が身分不相当に二着も作れば矢張り一つの奢侈である、そのラシャのある部分は舶来の原料(羊毛)で造ったのであるから程度は違うが、矢張り奢侈の舶来品使用となるのである」  1924/10/24


日米英の物価比較 米は戦前の5割6分高、英は7割4分高、日本は10割高 
これを金貨に換算すると 米は戦前の5割6分高、英は5割5分高、日本は5割5分高  1924/10/24


「日本人は一年に酒を十二億円余飲んで居る、煙草を三億円余ふかして居る食物で三十億余円を費やし衣類で十五億余円を費やして居る」  1924/10/24


(袁世凱について)「若し袁氏にして自己の虚名を棄て真に四億民衆に忠誠を尽くしたならばあるいは統一の偉業を達成せないまでも基礎を築づいたであろうと信ずる」特命全権公使 小幡酉吉  1924/10/23


(袁世凱と中国軍閥について)「各省督軍は袁氏の帝政野望の一種の収賄的動機に依って各々強大なる兵力を擁し、各省要地に盤居して行政は勿論租税を私裁判を左右しその勢いは中央を凌駕するに至り中央政府は督軍の一顰一笑を伺わねばならぬ事態となった」特命全権公使 小幡酉吉  1924/10/23


「ベルリンのコール・マネー市場は新ドイツ賠償公債が確定してからすこぶる好況となり、諸工場も生産を増加し同時に失業者は減少しつつある」  1924/10/17


インドのタタ銑鉄 日本へ10万トンの銑鉄を輸出 日本の民間一ヶ年間全需要高の約4分の1に相当  1924/10/16


タタ銑鉄の日本での卸相場は、輸入業者の手数料・税金・諸費用込みで1トン当たり51円 日本製銑鉄の値段は1トン当たり58円  1924/10/16


インドは世界中で最も天恵に富み生産費が低廉であるから、大資本を投じ銑鉄と鋼材製造設備を拡張し、完成の上は、日本の製鉄業は圧倒され、再起不能になると気づかわれている  1924/10/16


(日本郵船の内紛について)「数名の外人がある会合の席上この紛擾はスクールボーイのストライキだと冷評した」ジャパン・タイムス主幹 芝染太郎  1924/10/14


(日本郵船の内紛について)「一会社の社員が団結して会社を思う赤心からだといって重役会の決議を無視したり、その重役会が任命した幹部をたたき落す事が出来るものならば、実業界は一日も安定を得られぬ事となる」ジャパン・タイムス主幹 芝染太郎  1924/10/14


(アメリカで)外国移民の教育方法を研究した結果、2個の方法を用いることにした。①移民に米国歴史を教えるため簡単な刊行物を配布すること②文字が読めない人々に活動写真(映画)を利用して米国史上の真髄を知らしめること エール大学教授 アーレン・ジョンソン  1924/10/13


(ドイツで)「戦前の硬貨はレンテン硬貨と同一価値に使用してよいことになった」 在ドイツ 稲垣守克  1924/10/9


(ドイツで)紙幣の発行が極限されているので金融は極度に逼迫 原料が買えない 賃金が払えない 工場は閉鎖しなければならない 利子は1割2分 在ドイツ 稲垣守克  1924/10/9


(ドイツで)「レンテンマルクの出来て以来人心はやや安定したが不景気は極度に達している」在ドイツ 稲垣守克  1924/10/9


「ドイツの資本家は今のところ外国の金が借りたい。若しポンドなりドルなりまたは円なりを手にして製造品は買い付けるならば恐らく半分の価格で売り放つであろう。利子が高いから商品は半値で売り飛ばしても金がほしいのである」在ドイツ 稲垣守克  1924/10/9


「金の輸出解禁は輸入を奨励して輸出を抑制するものであって、わが国の正貨保有高が無限でない限り結局為替相場を極端に暴落せしめねば已むものでない、この際かかる無謀の政策を実行するに至らば我産業は破滅の外ない」 正金銀行専務取締役 武内金平  1924/10/8


豊田紡織会社社長豊田佐吉 蓄電装置の発明を奨励するため発明協会に100万円を寄付  1924/10/7


「米国の生産能率 普通の消費額を遥かに超過」  1924/10/6


オーストラリアで極度の金融逼迫 小麦、羊毛の輸入困難  1924/10/3


(毒ガス使用禁止について)「イザ戦争となってはそんな約束は反故同様で、弱いものが用いては何の彼のと突込まれるが、強いものに対しては何の拘束力もないことは、歴史の証明する処である」一科学者   1924/10/3


(毒ガスについて)「これを塹壕の底に流し込んで鉄条網の代りにしたり、味方の守備の薄い処や敵の是非共通らねばならぬ場所その他必ず集合する箇所なんかに予めこれを用うることがある」一科学者  1924/10/3


「欧洲大戦中ドイツでは博士その他の人間が自ら進んで毒瓦斯の中に入り実際の研究をしたものでこれがため生命を落とした者も少なくないそうである」一科学者  1924/10/3


「欧洲大戦の与えた実際的の教訓は欧洲各国をしていちじるしく農業を尊重する傾向を帯ばしむるに至ったことは、各国の施設の状態に徴しても知らるるところである。」  1924/9/30


大戦景気の時でも朝鮮財界は比較的冷静 朝鮮産業が農業にその基礎を置いていることと朝鮮に移住した日本人が堅実で一攫千金を夢見るものが少なかったことが原因 朝鮮銀行総裁 野中清  1924/9/30


「内地経済界が整理を必要とすという事情より推し朝鮮に対しても緊縮一点張りで臨まんとするは非常に考えものである」朝鮮銀行総裁 野中清  1924/9/30


(満洲財界について)「同地に居留する邦人は財界好況時において内地以上に事業の大拡張を企てその反動の打撃は実に名状すべからざる有様である、実際満洲における日本人の事業中その基礎堅実なるは僅に二三に過ぎぬといって宜い程である」朝鮮銀行総裁 野中清  1924/9/30


上海の製糸工場 名義のみ外国籍のものが少なくない 外国籍にすれば税金を逃れることができ、戦乱で損害を受けた場合、賠償の要求ができる  1924/9/26


日本郵船で内紛 本支店陸上社員の同交会員全部が伊東社長の辞職を迫る  1924/9/24


震災手形の日銀再割引残高4千万円を下回る 市中銀行の見るところによれば震災手形の償還は予想より良好  1924/9/19


「ドイツにおいてブラジルのコーヒー及びチリ―の硝石の消費が増加するならば米国の対南米輸出が増加し結局ドイツが直接米国から銅や綿花や及び食料品を買ったと同様である」 米国商務省欧洲課長 ウォーレン・ジー・ゴールドスミス  1924/9/19


「最近の十個年間におけるが如く、世界の各国から一切にある国(米国)に向かって金の流入を見るという事実は恐らく歴史上その例がなかろう」テフェン・ペル  1924/9/19


「吾等は、米国が金の洪水に溢れ、助けを呼ぶまで金を支払うであろう」一イギリス人  1924/9/19


(アメリカで)「機械に依る製造工業会社の如き日本のように利益の大部分を株主に配当しないで積立て置く、そして能率増進のためまたは製造原価を安くするために必要な新機械買入れの資金に充て、常に時代遅れの工場にならぬように注意しているのである」 三井物産常務取締役 小林正直  1924/9/18


(第二次奉直戦争で)奉天票が金に対するより銀に対して著しく下落した。これは奉天政府(張作霖)が盧永祥を援助するため上海に送金すべく、奉天票で銀を買い付けたことによるものだろう 朝鮮銀行副総裁 鈴木穆  1924/9/15


第二次奉直戦争・江浙戦争→中国全土で硬貨蒐集(しゅうしゅう)戦 極度の金融逼迫  1924/9/14


吉林、奉天軍(張作霖)の出動軍費のため小洋票増発 票相場は159元から220元(金円百円に対し)に暴落  1924/9/14


百貨店は一般小売商より比較的基礎が強固であるから大震災からの復興も案外早く、たとえ小売商が不景気の影響を受けるとしても百貨店は最後に受ける 三越呉服店専務取締役 倉知誠夫  1924/9/10


「ただ憂慮すべきは米国におけるチェーン・スト―アの如きものが若し日本に発達するとせばそれこそ百貨店としては一大強敵である」 三越呉服店専務取締役 倉知誠夫  1924/9/10


箱根土地の社債 償還年限1年半 利率1割  1924/9/9
1920年(大正9年)堤康次郎が箱根土地株式会社(後のコクド)を設立 現在に連なる西武グループの基礎を形成 Wikipedia


(高利回りの社債について)「銀行が貸付に対して極度の厳戒態度を採れるため已むなく社債発行の挙に出でるはいう迄もない」  1924/9/9


高橋是清 日本の製鉄業を統一し半官半民の株式会社とすることを画策  1924/9/7


「奉天取引所休止 紙幣暴落のため」  1924/9/7


「キリスト教は上帝を信ずる、これは前にはよかったが今や余りに門戸が狭い、私は儒教が結局世界を領するものと信ずる」段祺瑞  1924/9/7


「奉天城内の宮城に上って、昔の君主の栄華に驚いた私は、更に土倉のような小さな家が立並ぶ奉天の町に、魏然として聳ゆる張作霖氏の図抜けた煉瓦造りの西洋館を望んで、今の君主の広大な威勢に肝をつぶした」清沢冽  1924/9/7


「北京の議会はただもう滑稽だ、字を書けないものもあれば、日本という国は一体何処にあるかも知らぬものが多い、ああした議会に何を我等が望むことが出来るか」唐紹儀  1924/9/7


福井菊三郎(三井合名会社理事) 生産費低減のため自由区域(経済特区のようなもの、区域内で関税や国税の税率を低くする)の設置を提案  1924/9/6


高金利→商工業者の資本上の負担→一般消費者に転嫁・対外貿易を阻害 東京商工会議所会頭 藤山雷太  1924/9/6


「東京海上火災保険会社は上海及び長江航路に対しいよいよ三日から戦時海上保険の取扱いを開始したしかしてその料率は危険率の大小や船舶の停泊日数によって相違あるも大体において貨物、船体とも百円につき上海五厘漢口七厘五毛見当である」  1924/9/5


関東大震災→財政出動・震災手形→通貨膨張→輸入超過  1924/9/2


「ドイツの紙幣濫発は如何にも無謀の狂態のように見えたが、実は敵を欺く一種の手品であったのかも知れない」小松緑  1924/9/2


ドイツ人が海外に投資もしくは貯蓄している総額76億5千万金マルク ドイツ国内においてドイツ人の手にある外国貨幣(ポンド、ドル、フラン、リラなど)合計12億金マルク 小松緑  1924/9/2


「七億の税金をとるため実に二千四五百万円をかけてそれでなおかつ人も足りなければ随って能率もあがっていない」東京税務監督局長 加藤守一  1924/8/22


(大連の竜口銀行の休業について)「貸出しに対する抵当としては農産物、有価証券、就中土地を多く取っていた、これら抵当物件の価格は満州の景気の如何によって騰落殊の外甚だしく、為に不慮の損失を免れぬ状態にあったのである」  1924/8/19


揚子江流域における紡績業(経営者)の約半分は日本人 清沢冽  1924/8/19


中国における日本の会社は支配人から小事務員に到るまでことごとく日本人を使用する。英米人は地が遠くて人間を呼び寄せられぬ関係もあるが、よほどの頭株まで中国人を使用する 清沢冽  1924/8/19


(箱根土地の社債について)「土地担保の金融については利息に対する所得税の賦課及登記等の面倒な手続きがいりますが此の社債を御買求めの方は簡易に土地担保の金融同様安全な投資を有利な条件を以てする事が出来ます」箱根土地株式会社取締役社長 藤田謙一   1924/8/18
藤田謙一は明石全登の末裔で津軽藩士の子 堤康次郎に招かれ箱根土地の社長に就任 のちに日本商工会議所の初代会頭、貴族院議員を務める Wikipedia  


(島徳蔵について)「彼の石井一派と気脈を通じて、大株理事長の職を顧みず、陽に公平を装い、陰に石井一派を後援し、米の大思惑、大株ヂキ市場に鐘紡新株の買占めに力を致し、石井一派の落城するや。鐘紡ヂキの大穴の尻を拭う事となった」  1924/8/17


(ロシア経済について)「目下製造品の価格は法外に高く農産物の価格は法外に安い」アレクセイ・ルイコフ  1924/8/9
アレクセイ・ルイコフはソビエト連邦の政治家 レーニンの死後に人民委員会議議長(首相)となるが、スターリンとの権力闘争に敗北して粛清された Wikipedia


ロンドン会議(ドイツ賠償問題)進捗→海運市場を刺激し造船注文増加  1924/8/6


「今後ロンドン会議がいよいよドイツ側を招致してドーズ案が成立するに至らば英米為替相場はますます回復することにもなろう、が万一不成立の場合相場は崩落せぬであろうかの疑念を抱くものもある」  1924/8/5


「私は、京城、奉天、ハルピン、大連と歩いて、何処の日本人も米国の排日に憤激して日米戦争すらも主張している者の多いのに吃驚しました」 清沢冽  1924/7/29


大戦景気のバブル崩壊で、満洲における日本人の経済状態は見るも憐れなほど行き詰っている 清沢冽  1924/7/29


「満洲の一寸した事業‐旅館や料理屋のようなものでさえも在留同胞の発展といった名目さえつけば満鉄は従来巨額な資金を提供して来ました」 清沢冽  1924/7/29


「彼等は肝腎の算盤もなにも全くほうって、ただ日本人の事業とか建て物とかいう名に対して貸出しました。しかもその景気が一度担道につまづいて、秋風肌に迫るや、そこに残ったものは回収し得ざる不良貸付の帳簿のみです」 清沢冽  1924/7/29


(満洲の中国人について)「彼等は商売は小さいが、その運転は懐の現金でやっています。彼等の帳簿尻の十万円は、懸け値なしに彼等自身の財産です」 清沢冽  1924/7/29


(満洲の中国人について)「日本人街(満鉄附属地)に空家が多くなると、彼等は現金で耳を揃えて何時でも買いに来ます」 清沢冽  1924/7/29


(日本の対満洲経済政策について)「従来の如き極端なる保護は、人間を室さきの花の如く弱いものにしてしまいます。御覧なさい、彼等は借りた大金は貰った大金なりとして、多くは始めから返済の意志すらもないのです」 清沢冽  1924/7/29


「近来の目覚めたる国家は自由貿易とか自然放任とか云う様な机上の空論にのみ膠着して経済活動を全く個人的に放任せんとするものはない」安田銀行副頭取 結城豊太郎  1924/7/29


「歴史は古来同じ連続率をおって輪廻するもので、国際連盟などもまた今人の発明でも何でも無く、第五世紀より第十五世紀にわたる一千年の間欧洲人心を支配したる一大思想は実に世界文明の一統という高遠なる思想であった」古河電気工業会社社長 男爵 中島久万吉  1924/7/29
中島久万吉の父、中島信行は土佐藩出身、土佐勤皇党、海援隊、自由党副総理を経て初代衆議院議長となる  1924/7/29
中島久万吉の母は陸奥宗光の妹、妻は岩倉具視の孫  1924/7/29


電灯会社をかたり一般家庭を訪問し高額の電気使用量を請求する詐欺が多発  1924/7/26


「ドイツが戦前より負担して居る巨額の国債社債はマルクの暴落後殆ど全部償還され、現在ドイツは債務のない国となって居る」  1924/7/24


「染料工業は化学工業の中最も進歩したものであって一朝有事の際には兵器廠よりも染料工場の方が有力である位である、その実例は過ぐる欧州大戦においてドイツが毒ガスその他の発明によって連合国を悩ましたに徴して明かである」 工学博士 高松豊吉  1924/7/23


染料工業は高級の化学工業であるためこれに伴ってほとんどあらゆる研究ができる 工学博士 高松豊吉  1924/7/23


大戦後世界貿易の不振、世界船舶の増加→多くの場合英国船では採算が取れないほど運賃率が低下 ロイヤルメール汽船会社社長 キルサント卿  1924/7/22


「いつから貯金をする、こんどは貯金するという人に限って貯金したためしがない」貯金局調査課長 富安謙次  1924/7/17
富安謙次(風生)は俳人として有名。雑誌「若葉」を主宰 Wikipedeia


富安謙次 ドイツ視察中にハイパーインフレに遭遇 滞在3か月の間に、1ポンドが百万マルクから180億マルクになった  1924/7/17


(ドイツで人々は)「きょう手にお金がはいるとまず官憲監視の中でパンを購い残りがあるとシャボンだの、紙だのペンシルだのというようなつまらぬ日用品を買いためたものである、処かつまらないと思うこの日用品が翌日は前日の二倍、三倍、四倍の何万マークとなってゆく」貯金局調査課長 富安謙次  1924/7/17


「預金とか引き出す方法の便利に至っては日本ほど便利に簡単に出来ているところはどこにもない、しかし確実性は厳重にいうと英米二国には及ばないかも知れない」 貯金局調査課長 富安謙次  1924/7/17


大正13年7月 国債利回り6.2%、地方債利回り7.6%、重要株式配当利回り(60余種平均)9.3%  1924/7/17


男爵益田孝 マスダパン(大豆粕と小麦粉に少量の食塩と重曹を加えて蒸したもの)を考案  1924/7/17
益田孝はヘボン塾→アメリカ公使館勤務→遣欧使節団参加→幕府陸軍→ウォルシュ・ホール商会を経て大蔵省に入る。大蔵省退職後、中外物価新報(後に中外商業新報→日本経済新聞)を創刊、三井物産初代総轄(社長)に就任 Wikipedeia


「我米国民は平和克復直後に於て貴重なる内地生産物と労力とをドイツに送り莫大のマークの紙幣を買入れ、之をほとんど無価値となるまで貯蔵していたが今日は金に於て此の二の舞を試みている」コロンビア大学教授 パーカー・ウイルス  1924/7/15


「若しも欧州諸国が今日まだ残って居るその保有金を全部米国に売付けた後金を再び貨幣として使用することを断念したならば米国はどうするか」コロンビア大学教授 パーカー・ウイルス 1924/7/15


「ドイツが外国において財産を得た主要方法はマークの売却であり、その総額費に七八十億金マークに上る計算であって、これを買入れた百万人以上の外人がマーク暴落の損失を負担しているのである  1924/7/15


(宝くじ付き債券について)「小額債券の発行は国民勤勉の美風に悪い影響を来すものだ」某男爵  1924/7/12


各国の国富比較 日860億円、米7021億円、英3610億円、仏1662億円、独1659億円、伊600億円
一人当たり国富比較 日1500円、米6640円、英7630円、仏4240円、独2770円、伊1610円 
1924/7/12


各国の銑鉄生産量比較 日30万トン、米3950万トン、英736万トン、仏500万トン、独400万トン、ベルギー200余万トン  1924/7/12


「戦後における我経済界の軽佻浮薄なる態度は米国人の眼に軽侮を以て迎えられて居るに加え大震大火による富力の滅失は米国人をして日本共に語るに足らぬとの信念を高めしめた、これが今回日本移民排斥となって現れたものである」経済連盟会専務理事 土方久徴  1924/7/12


「今日の農業は他の如何なる種類の産業よりも更に行詰って居る、ある人の説によると農業労働者はあれ丈困難な労働をして一日の日当は僅か八十銭しかつかないと云う事であるが物価の高い今日の世に八十銭が若し一円にした所でとても満足な生活が出来るものではない」王子製紙会社長 藤原銀次郎  1924/7/10


「一日二十円の高い賃金を取る米国の職人の作ったものと一日五円しか取らない日本の職人の作った家や機械を比較して米国の製品の方がよく出来て居て安い」王子製紙会社長 藤原銀次郎  1924/7/10


「日本では工場労働者の出入りが頻繁で、二年以上も同一工場に労働して居る者は全体の半数に足りない」王子製紙会社長 藤原銀次郎  1924/7/10


(鉄道の駅員について)「欧米では日本にくらべると五分の一か十分の一の人間で間に合わして居る、その理由は永く勤めて居るから乗客が多くてもまごつかない。日本のように不熟練な多数居るのと違って非常に能率が上る」王子製紙会社長 藤原銀次郎  1924/7/10
藤原銀次郎は戦前の三井財閥の中心人物の一人、「製紙王」といわれた。米内内閣の商工大臣、東條内閣の国務大臣、小磯内閣の軍需大臣を歴任 Wikipedia


米国船舶院 同院の所有船と民間船の機関装置をディーゼルエンジンに改装 速力11ノットを出し得る見込み
日本船舶にとり一層の打撃  1924/7/9


「主要国における為替と物価との関係 金建てとすれば仏国物価は最低で日本のそれは最高」  1924/7/7


「米国の漁獲制限で鮭の輸出缶詰が好影響」  1924/7/6


「暦を改める露国 四日はたらいて一日やすむ 一週間とは五日間で一日とは二十五時間」  1924/7/3


「今日わが国の経済状況は果して如何なる有様であるか、国民の生活が安定して、幸福円満な状態にあるかというと、私は日本始まって以来とは誇張に過ぎるが、少なくとも明治維新以来まだ遭遇したことのない位の悪い状態にあるということを断言し得られるのである」法学博士 小林丑三郎  1924/7/1


「さきに大震災のために失った紙幣の金額を見積って日本銀行より復興資金として出させる説が出たがこの事は日銀の好意にまつべき問題でなく当然実行すべきものである」法学博士 小林丑三郎  1924/7/1


「官民一致して綱紀の粛正を図ろうとする新内閣が、富籤や賭博に類した割増し付債券を売り出すというのは如何にしても矛盾である」ノース・クリフ  1924/6/30


加藤高明内閣の財政緊縮方針の声明により浅野セメント株が大暴落 復興事業遅延を懸念  1924/6/30


「戦争によって現在の社会を改善し、その弊害と欠点とを矯めようとの意見から、戦争を起こすことに努力している者もある。併しながらこれ等の論者はかつて戦争によって破壊した後に如何なる建設的な案を有するか示したことがない 日本駐在前米国商務官 ジェームス・アボット  1924/6/19


日本の総輸出額の4割は生糸で、米国がその生糸の8割5分を購入している。いわば総ての鶏卵は一つの籠にあり、この籠は米国の手中に握られている 日本駐在前米国商務官 ジェームス・アボット  1924/6/19


「米国における工場で、若し必要な規律を保つことが出来なければ、決して長くその事業を継続することや、または利益をあげることも出来ないのを私は断言する。この規律こそ日本で最も欠けているものである」日本駐在前米国商務官 ジェームス・アボット  1924/6/19


「日本においては陸海軍における規律は最も厳格であるにかかわらず、これを平時の生活に移し植えることが出来ないのは何故であろうか」日本駐在前米国商務官 ジェームス・アボット  1924/6/19


アメリカの製造工場の従業員は工場と会社を愛する心、精良な製品の製出に寄与したという誇りを持っている。これらは日本の大製造会社において最も欠如している 日本駐在前米国商務官 ジェームス・アボット  1924/6/19


政府による企業救済→難局に直面したとき借金をして乗り切る習性→金融逼迫 日本駐在前米国商務官 ジェームス・アボット  1924/6/19


「「外国の贅沢品」を撲滅し、輸入を少くするためと称し、コーン・ビーフとか、洋菓子という如き物を胸に画がいて、運動を起す如きは愚に近い、何故ならこれ等の総計は貿易表の数字にも表れぬ程に少いものである」 日本駐在前米国商務官 ジェームス・アボット  1924/6/19


「現在の国有鉄道を始め電信電話その他の官業にして苟も民間で出来得るものである限り悉く民業とするがいいと思う、日進月歩の社会において一々議会の協賛を経て一定の予算を取らなければならぬようでは仕事は出来ない」第一生命相互会社社長 矢野恒太  1924/6/18


公共事業に依存する地方民は緊縮財政によって大打撃を受ける恐れがある。これらの地方民が大都会に集中すると政治上、社会上の問題が起こる 勧業銀行副総裁 柳谷卯三郎  1924/6/17


「マンチェスターへ行ったところが虐待された、昔は解放だったものがこの頃は日本人と見ると何も見せない、見せないばかりか悪口をいう、それは日本人が行くと何か似よったものを作って売り出すからである」 農学博士 早川直瀬  1924/6/15


アメリカの絹業の発展は関税政策のおかげ 生糸に税金をかけないで絹織物に高い税をかけた結果の現れ 農学博士 早川直瀬  1924/6/15


「戦争にどの位絹物を使ったか、先ず戦場に行って見ると想像の出来ない位大砲をうっている、その大砲の火薬を詰める袋が木綿では打ってから粕が残るから絹をつかっている、また飛行機の翼、電気を送る電線を包むもの、これは人造絹糸では出来ない」農学博士 早川直瀬  1924/6/15


「ニウヨークの市場で売っている人造絹糸の織物というものを取り寄せて、それを解いていろいろ調査して見たが、人造絹糸で作ったというものの中にも天然絹糸が交っている、縦糸は必ず天然絹糸を使っているのである、人造絹糸ばかりで織るというものは僅なものであることが判った」農学博士 早川直瀬   1924/6/15


「人造絹糸が出たために生糸の底は押付けられた、人造絹糸が二ドル位で売られるから、それよりも五割も六割も高い値段では天然絹糸は売れないという訳である、だからこれからはどうしても生糸を安く作らなければならない」農学博士 早川直瀬  1924/6/15


生糸の中間業者は相場が上がれば検査を緩くし、相場が下がれば検査を厳しくする 農学博士 早川直瀬  1924/6/15


(第一次世界大戦中のアメリカで)「その当時はカーキー色の軍服が不足なのでそれを造るために羊毛を節約しなけらばならぬ時であった、それでスカートを詰めたところが忽ち大流行になって、婦人という婦人はみんな短いスカートをはくようになった」農学博士 早川直瀬  1924/6/15


(ロシアで)「新経済政策の結果農村にも新に有産農若しくは搾取農が現れて来た」昇曙夢  1924/6/10


公債価格が下がり、社債価格が高騰
英米で募集した外債条件の不利、公債計画の行き詰まり→公債から社債への乗り換え   1924/6/9


「事業会社が社債を募集せんとすれば政府が先に立って公債を募集する、しかも政府は不急なる事業に年五億内外の冗費を支出しているではないか、これでは労銀も安くはならぬ、物価も下落する理がない」東京電灯社長 神戸挙一  1924/6/9


「円価下落の悪影響を重大視する側の人は、金の輸出を解禁して為替相場を現送点まで引上げねばいけないといい、これに反対の側の人は、下落を自然に放任して置くことが輸出入の調節を得させる唯一の方法であると主張する」台湾銀行副頭取 森広蔵  1924/6/8


「円価地の下落は自然に放任して輸出貿易を刺激させ、傍ら必要な輸入品に対して在外正貨の払い下を自由にした方が、差当たっての穏健な政策であって、秩序の回復を待って徐むろに解禁の常道に出ることが当を得て居ると思われる」台湾銀行副頭取 森広蔵  1924/6/8


「わが国の輸出を増加する上の大障碍は物価高である、これはいろいろな関係で、今急に物価を引下ようとしても出来ないが、最も手ッとりはやいことは、消極的ではあるが出来るだけ輸入を押えること、特に日常生活に使用する外国品の輸入を少くすることである」台湾銀行副頭取 森広蔵  1924/6/8


「戦時中贅沢をする癖がついて盛んに外国品を使い出したその後内国品の物価が上がったから一層外国品の使用が激しくなったものである」台湾銀行副頭取 森広蔵  1924/6/8


日本の事業家及び貿易商が南洋各地に着々と地歩を占めつつあるが、日本の高金利は彼らにとって非常な不利益 半官半民の金融機関を作り、低利の為替資金及び事業資金を供給すべき 台湾銀行理事 久宗薫 1924/6/7


排日移民法を受けて日本で米貨排斥運動  1924/6/4


(イタリア経済について)「かくの如く通貨及び対外貿易の関係が近来いちじるしく改善せられた原因如何と云えばこれは去る一九二二年十一月ファシス党が現政府を組織して以来鋭意緊縮政策を断行し政府の歳出を緊縮すると同時に他方歳入の増加に努めかつ労働状態を改善して産業の復興を図ったからである」  1924/6/2


「歳入の好況持続につれて漸次無用の支出を厭わぬ弊習を生ずるは人情の弱点であるところへ、その頃より党争の勢いが一層甚だしくなり、権勢を得た党派は地方民に利益問題を提供して盛んに党勢の拡張を努めたのである」経済連盟会理事 土方久徴  1924/5/28
「何人でも一たび足を地方に踏むものはほとんど人跡を見ぬような山間の地にも鉄道の敷設が計画されているに驚かぬものはあるまい」経済連盟会理事 土方久徴  1924/5/28
土方久徴(ひさあきら)は伊勢菰野藩主土方雄志の弟 1928年から1935年にかけて日本銀行総裁  Wikipedia


「世界大戦の好況時において政府は頻に国費を膨張させ、不急の事業を企て、無用の官庁を増設したために財政は急激に拡大したのである」第一銀行頭取 佐々木勇之助  1924/5/26


「政府は依然として放漫財政を踏襲し、過重の課税を国民に強ゆるのみか募債さえして金融市場を圧迫している」第一銀行頭取 佐々木勇之助  1924/5/26


(遠州織物機業界について)関東大震災で救恤品その他の一般的需要を喚起して好景気→生産過剰→極度の不況 高梨 特派員  1924/5/21


ドイツの国民所得 戦前の430億金マルクから200~220億金マルクに減少 カール・ヘルフェリッヒ  1924/5/19


(排日移民法について)「一九〇七年に、日本自ら紳士協約なる変態方策を以て自国移民の渡米禁止を約束したのが、そもそもの大失敗で、それが今日の禍因を成している」小松緑  1924/5/18


(日本移民について)「これ等の農民は加州に土着してからは払暁より薄暮まで十二時間働き、日曜日も祭日も働き、その妻女までも働き、しかもその貯蓄せる収入を以てドシドシ土地を買い占める」小松緑  1924/5/18


(日本移民について)「初めは労働者として白人労働者を駆逐し、後には地主として白人地主を駆逐し、その所有地は加州のみにて四二九、〇〇〇エーカー、生産物の年額六七、〇〇〇、〇〇〇ドルの多きに達した」小松緑  1924/5/18


「今日金融が困難となり金利が昂騰している理由は極めて明白で、それは金融の原動力に不備の点があるからである、我が経済界は大戦中大いに膨張して資金を需要すること大であるにかかわらず、供給がこれに伴わないところから遂に今日の金詰まりを来たしたのである」 東洋精糖会社長 山成喬六  1924/5/14


日清・日露戦争で開港場の商権を日本商人の手に収めた結果、貿易も工業もいちじるしく発展した 東洋精糖会社長 山成喬六  1924/5/14


第一次世界大戦前、ベルギーの対日輸出額は英仏に次いで第3位 1922年には英独仏に次いでベルギーが第4位  1924/5/11


米国で東洋産茶輸入制限 台湾産茶及びセイロン茶が標準品となりそれ以下の粗悪茶の輸入を禁止  1924/5/8


「欧米各国は戦後それぞれ関税の障壁を高くしてほとんど自給自足ともいうべき状態に陥っていたからこれらの国々へわが国から輸出しようとしても生糸とか何とか特殊のものを除いてはほとんどその余地がなかったのである」神戸商業会議所会頭 滝川儀作  1924/5/7


「ニクローム線の製作に成功 日本の燃料問題もこれで解決」  1924/5/4


「日々米を貪いながらその直段を知らぬ者が多い、相当教育ある家庭の主婦にしても一切女中任せ米屋任せにして相場の変動に注意する人は極めて稀である」  1924/5/4


関東大震災の復興需要→建築材料暴騰→輸入奨励→巨額の輸入超過→金融圧迫→復興景気抑制 三菱銀行取締役会長 串田万蔵  1924/4/30


「震災直後東京市の精神病者発生数が急速度を以って増加」  1924/4/28


(関東大震災について)「復興途上の一挿話として、大正紀文を夢み、亜鉛板や木材の買占めを行った連中でその思惑はずれに当惑した者の多かったことは、人々の記憶に新たな処である」  1924/4/28 
紀文=紀伊國屋文左衛門  1924/4/28


カリフォルニア州に住む日本人の数 約8万7千人
大根、豆類、果実、野菜、米等を産出しその額はカリフォルニア州全産額の12~13%に当たる  1924/4/20


激烈な預金争奪→輸入信用状の発行を条件として預金勧誘 実需を無視した輸入を助長するおそれ  1924/4/10


(ロシアで)「所謂新経済策の骨子は、従来の国営制度に変更を加え数種の重要工業を除いた残余の全部を私営に移し、現物給与を賃金制度に改め、また物税を金税に代えたことである」小松緑  1924/4/4


「ロシアには元来立憲政治が成立しなかったから、問題はロマノフの専制政治とサヴェートの専制政治とどちらがロシアに取って苦痛が少かろうかというに帰着する」小松緑  1924/4/4


(ロシアで)「新経済策採用後は、宛たかも大かんの下にしおれんとする草木が潤雨に遇うて活蘇するように、これまで衰廃していた百般の事業が忽ちにして繁栄し出した」小松緑  1924/4/4


(ロシアで)「過激政府はその教育方針として共産主義者養成に重きを置いているから、他の無用の学術(過激主義者より見て)を一切奨励しない」小松緑  1924/4/4


「世界の人類が悉く純真無垢の善男善女に生れ代らざる限り、共産主義は言うべくして行うべからざる理想に過ぎないことを実験上において立証した以上、百千のレーニン再生するとも、同じ失敗を繰返す外如何とすることはできまい」小松緑  1924/4/4


「毎年五十六億リラ内外の歳入不足が、ムッソリニの執政一年後には、その五分の一の十二億リラ内外に激減した」小松緑   1924/4/4


「近時英米の老成国を除く外いずれの国でも議会を無用の長物どころか有害の厄介者扱いするようになって来た。これは早く神聖なるべき代議機関が国事を忘れて私利に狂奔する所謂政治屋の集団と化したからであろう」小松緑  1924/4/4


(ムッソリーニの労働政策について)「同種の職業に就ては資本主と労働者とをして格別に連合して一定の賃金を協定せしめこれに依って資本家が勝手に個人労働者を冷遇する途を絶ち兼ねてストライキをも予防し得た」小松緑  1924/4/4


「本年度最初の十日間における国庫収入は、八十七クインテイリオン紙マーク(一クインテイリオンは百万兆)」在ベルリン 両角伝  1924/4/1


「つい最近まで米国のドルや英貨のパウンドを神の如くに崇拝した彼等は今ではこれ等の外貨にいささかの執着を感ぜず、すべての取引は金マルク標準に一変した」 在ベルリン 両角伝  1924/4/1


「かつて紙幣を与えて喜ばなかった乞食も時代の趨勢に鑑がみて紙幣を要求する世の中とはなった」  1924/4/1


1923年12月22日までに発行された旧紙マルクの総額 4垓7455京8926兆8260億4500万マルク  1924/4/1


関東大震災の焼失生糸の損害額 5~6千万円  1924/3/23


「米国のあの生産費の高さでは、とても世界的競争には堪えない、私の考えでは米国は遠からずして三ヶ年ないし四ヶ年の産業的不景気が来るだろう」英国連合商業会議所会頭 バルフォア卿  1924/3/19


「英国においてもひどい商業上の半身不随を感じた結果、最近になって始めて最善の良薬は賃金を下げるより外はないとさとったのだ」英国連合商業会議所会頭 バルフォア卿  1924/3/19


「私は米国の政治には、まるで素人だが、ただ一つ気がついたことがある。それは共和党が高率な保護関税を採用した時には、必ず次の選挙に敗れて、権勢から追われることである」英国連合商業会議所会頭 バルフォア卿  1924/3/19


(イギリスの失業保険について)「この組織の運用がまた極めて非能率的で、労働者は自己が失業者であるということを報告するために、半日も行列に立って居らなければならぬ。そしてこれが終る頃にはもう仕事を捜すのにおそいということになる」英国連合商業会議所会頭 バルフォア卿  1924/3/19


関東大震災での生糸焼失が大げさに報じられたため、周章狼狽したアメリカ人は大いに人造絹糸の仕入れに努力した 芝浦製作所社長 岩原謙三  1924/3/18


アメリカ国民は資金を国際化する充分な訓練を経ていないから、輸出超過が長く続けば通貨膨張、物価暴騰が起こり他の諸問題を誘発するに至るであろう アーヴィング・フィッシャー  1924/3/11


「ドイツが若し世界大戦の戦勝国として今日存在するを得たなら、欧洲における鉄鉱資源の五割をろう断し得たと云われて居るが、現在では僅に七分を余すに過ぎない」ベルリン 両角伝  1924/3/10


日本とシャム国(タイ)の通商航海条約調印 治外法権撤廃  1924/3/8


「米国金保有高は全世界における金総額の四割八分に該当」T・H・プライス  1924/2/26


「最近米国は国際貸借上巨額の受取勘定になって居るにこの受取勘定に相当する外国品を輸入してこれを消化することも不可能であればまた今日の如き政治状態の下に欧洲に資金を放資することも出来ぬから到底金の流入は今後も免れぬ状況に在る」 T・H・プライス  1924/2/26


エジプトのアレキサンドリア市の労働者が工場占領 「職工等は自力を以て工場を運転すると宣言し職工を以て一種のソヴィエートを組織した」  1924/2/26


(1923年のアメリカで)輸入超過がないのに金が流入し同時に通貨流通高も安定、これは一見不可思議だが、多額のドル紙幣が外国に流出しそこで交換の媒介、貯蓄の目的に供されているらしい ジャーナル・オブ・コンマース記者ウイルス   1924/2/18


1923年ハイパーインフレ下のドイツで外貨の闇取引が流行 在ベルリン 両角伝  1924/2/13


(外貨闇取引の取り締まりについて)「時を選ばず十数名の隊伍を組んだ警官が何処からともなく疾風の如く自動車をかってこの界わいに顕れ街上の群衆を包囲して片ッ端からつかまえる」在ベルリン 両角伝  1924/2/13


(外貨闇取引について)「一度警官が拘引者を自動車に満載して去るや彼等の活動は再び開始され、公定相場などは全然無実となって盛んに取引が行われる、従って銀行や両替店などはほとんど客足を絶ってしまった」在ベルリン 両角伝  1924/2/13


(レンテンマルクについて)「現在ある一部からは楽観されある一部からは遠からず旧紙幣の後を追うものとして悲観されているけだし政府の財政政策が旧マーク下落の根本的政策を改善しない限りは、新紙幣は将来再び旧マークと同様の運命をたどるものと見るを至当とする」在ベルリン 両角伝  1924/2/13


「莫大な伊太利の貿易外輸入 遊覧客費消と移民送金で三十億」(伊太利=イタリア)  1924/2/6


「伊国移民の年々本国に対する送金額の約五割は米国より発送」  1924/2/6


(旭石油会社について)タンカー4隻を所有し、海軍省の石油積取に従事しているが、平均年八分の利子支払いと船価償却に追われ利益が出ない 株価も低迷  1924/1/31


高橋是清 保証準備発行限度(金の裏付けなしに発行できる紙幣の限度)1億2千万円を5~6億円に増やすことを主張  1924/1/25


「今日の金利高の主因は明治三十二年日清役の賠償金取得を機会に兌換券制度を改正し日本銀行の保証準備発行限度を一億二千万円とした以来何等の変更を加えない点にある」高橋是清   1924/1/25


日本郵船の重役会で東洋汽船との合併交渉開始を承認 渋沢栄一が仲介  1924/1/20


イギリスで労働党内閣出現の機運→ポンド安→(日本の)外債募集に不利→震災復興計画に影響  1924/1/6


「英貨為替相場の激落で外資輸入頓挫せん」  1924/1/6


「今のところ個人的専制統治者によってその国政を運用されて居るのはロシア、トルコ、ハンガリー、ギリシャ、イタリー、ブルガリア、スペイン及びドイツの一部の諸国であって、これらの国の頭目は何等議会に責任を負わず、これを倒すには、ただ暴力によるの外はない有様である」  1924/1/1


「イタリーの左翼派が秩序を乱し、暴行横行の情勢を招致したのに対し、所謂鉄血を振るって国内統一をしたのがムッソリニであり、また官僚政治が腐敗し切って老人や不生産階級のために政治が動きが取れなくなった露国の状態に対し、反動として起ったのがレニンであった」  1924/1/1


「わが財界の病弊は各事業が資金を固定してしまって、これを動かすべき運転資本に欠けるところから起こって居る」横浜商業会議所会頭 井坂孝


工業会社が工場を拡張したが、その工場を動かす資金がない→いかなる高利の金でも借り入れて工場の機械を運転しなければならないという破目に陥る 横浜商業会議所会頭 井坂孝


1923(大正12)年
(ドイツで)金マルクに換算すると、食物の価格は戦前の4~5割騰貴、生活費は戦前の5割~10割の騰貴、労働者の賃金は戦前の約5分の1 稲垣守克  1923/12/11


(関東大震災で)復興材料の売込に英米商人の競争  1923/12/4


欧米列国が、五年の長戦で幾百億を負担しているのに、日本は一時の震災で僅々(きんきん)幾十億を負担するに過ぎない 小松緑  1923/11/24


欧州大陸の貨幣価値が下落→英国で保護貿易論  1923/11/21


英国は昨年度において、米国からの輸入額二億二千二百万ポンドに達したのに、米国への輸出額はその高率なる関税に煩わされて、僅(わず)かに七千六百万ポンドに過ぎぬ。この貿易の差額を有しながら、英国は更に米国に対し戦時債務を支払わねばならぬのである オーストラリア首相ブルース 1923/11/21


通貨収縮によって金貨本位に帰ることは、雇主と使用者の何れに対しても重荷を課するもので、かつ金貨本位そのものが決して物価を安定せしむるものではない 英国鉱業連盟   1923/11/21


産業は、雇主と使用人を犠牲にしかつ両者の間に賃金に関する紛争を続出せしめつつあるところの物価低下に、永久に堪え得るものではない 英国鉱業連盟   1923/11/21


従来自分の取引は全部ロンドンでなして来たが、通貨膨張政策が事実であれば、今後は一切ロンドンでやらぬ 某有力なる商人  1923/11/21


(震災手形について)若し債務者の復活が困難となり債務の履行が不能となる場合には、その損失は銀行業者が自らこれを負担せねばならぬ。故に災害関係手形の内容如何は今後各銀行業の消長興亡を決するほどの関係を有している  1923/11/11


(震災手形について)振出人も裏書人も共に支払い能力を有しないものは極めて少ない  1923/11/11


現に一般的に財界の空気は明るいようである何といっても(関東大震災で)多大の富を失ったのであるからこれが補填のため大消費が起こっている 日本銀行営業局長 永池長治  1923/11/9


(関東大震災で)消失した富は百億円以上を計上されてはいるがこの内には装飾品や骨董その他直接経済生活に関係のないものが多いのであるから三十億円程度で経済的復旧が可能であろう 日本銀行営業局長 永池長治  1923/11/9


マーク(マルク)相場がますます下落して来たので、帳簿に記入するに〇〇をたくさん付けねばならぬ不便を除く為め、一日から百万台で勘定するマーク紙幣が発行されることになった  1923/11/4


(ドイツで)印刷工のストライキで紙幣印刷が停止 民間工業家や個人が巨額の緊急借紙幣を発行 在伯林 両角伝   1923/10/29


(ドイツで)旧一千マーク紙幣の表面に、木板か何かで三〇〇〇〇〇〇と大形の数字をベタリとおして、それが即ち三百万マーク紙幣となって通用された 在伯林 両角伝  1923/10/29


(ドイツで)靴一足修繕させても八百万マークも要求される、これは実にニュウヨークの二倍に当る 在伯林 両角伝  1923/10/29


(ドイツで)もと一円二三十銭で購えた書物が今は三十何円と云うまるでうそのような代価になっている 在伯林 両角伝  1923/10/29


(関東大震災で)運送中の綿糸焼失の責任をめぐって紡績会社と問屋が紛議  1923/10/23


関東大震災で高橋是清が政友会の幹部十数名と共に圧死 アメリカの新聞が誤報  1923/10/22


(ドイツで)政府は急激なる馬克の大崩壊を見て一部投機商人に其罪を嫁せようとし厳重なる取締法を制定して防御策としたが、世人にも馬克崩壊の近因を投機師の悪徳に由るものと信じた者が多かった 両角伝  1923/10/16


投機商人の思惑買が(マルク)崩壊の素因を誘致したものとすれば大部分の独逸人は投機師でなければならない、何ぜなら今の独逸人中苟も懐中に余裕のあるものは皆先を争って外国為替を買っている 両角伝  1923/10/16


(ドイツで)今日では多くの取引が外貨の弗(ドル)又は磅(ポンド)の標準に基礎を置く様になった、即ち弗を標準として馬克に換算した代価を要求するのが一般的となったのである 両角伝  1923/10/16


(ドイツで)紙幣の印刷が間に合わない→民間の銀行に紙幣が行き渡らない→工業家は銀行から労働賃金(に充てるための紙幣)を引き出すことができない→工業家が莫大な損失 両角伝  1923/10/16


今仮りに金一貨馬克を時価一百万紙幣馬克と見て其購買能力を概算すれば此一百万マークは現在マガリネと称するバターの下等代用食料品僅かに一斤余を購い得る代価に過ぎないし、二十五回の街上電車往復賃に過ぎない 両角伝  1923/10/16


昨日まで一本の黒麺麭(パン)の代価十六万マークであったのが、今日は既に二十四万マークに騰り、一リットルの牛乳八千二百マークは昨日の小売相場であったが今日は二万一千マークと云う飛び方である 両角伝   1923/10/16


馬克の惨落は益々生産費を昂騰せしめ、一方輸入貿易の不振から原料は益々不足を告げた結果として粗製品の濫造を余儀なくせしめ、市場に出る商品一として粗製濫造品ならざるは無しと云うても決して過言ではない程悪質の商品が増加して来た  両角伝  1923/10/16


主婦等が朝の五時、六時頃から食料品店に蝟集(いしゅう)して行列を作るのは今日では奇観でも何んでも無く之れが伯林(ベルリン)市民日中行事の一である 両角伝  1923/10/16


高金利→一般資本に対する利益率の標準を高める→遊民階級の奢侈浪費を増長→物価の騰貴  1923/10/16


(ドイツでライヒス銀行が)一週間に四兆以上にも達する銀行券を印刷して夫れをドシドシ配布してさえ其印刷が間に合わない上にルールへ供給する為めに潜かに輸送する莫大な紙幣は、片ツ端から仏蘭西軍に発見されて没収される 在ベルリン 両角伝  1923/10/6


(ベルリンで)食料品の欠乏を伝え知った人々は、余裕の有る限り二三日を支持する食品を買い込まんが為めに営業を続けて居る商品に殺到した為め、商店の前には市中到る所、何事ならんかと思われる程の人山を築いて喚いている 在ベルリン 両角伝  1923/10/6


(ドイツで)人々の会話は物価に始まって物価に終わる 稲垣守克  1923/8/24


(ドイツで)栄養失調の子供が4、5歳にして既に物価の話をしている 稲垣守克  1923/8/24


ルールの占領は人類全体から観れば大なる損失である。フランスは多額の軍費を支出し、独逸は永久にそれを負担しなければならぬ。各国に国粋的気分を復活させ、民族間の反感を高める 稲垣守克  1923/8/24


政友会の内閣が六七年も継続した結果、其間情実と驕慢と私心を生じ遂に今日の情勢を惹起し、世人をして綱紀の粛正が何よりも急務だと叫ばしむるに至ったのである 若槻礼次郎  1923/8/22


(日本で)1月からの輸入超過額5億円を突破 大蔵当局悲観  1923/8/18


欧州政情混乱で銅界不安 銅の需要減退  1923/8/17


(極東ロシアで)物価の標準はチェルウォンツ(兌換紙幣)で定め交換相場に依りソヴェート紙幣(不換紙幣)で取引されるが普通の状態である  1923/8/11


最近英独為替は七百五十万マークと云う途方もない相場を報じて人をして驚かしめたがその勢いは容易に止まるべくもあらず一千五百万マークとなり更に九日の入電では二千二百万マークとなるなど恰もマーク貨の底抜け状態を示して居る  1923/8/11


マルク大暴落の原因①ドイツ政府が輸入商人の要求に応じて紙幣大増発②マルク相場の自由化③ドイツ問題に関する英仏交渉の行き悩み  1923/8/11


同(ドイツ)政府の大蔵卿の如きもマーク貨格の維持の到底不可能なることを発表して居る  1923/8/11


東京(手形)交換所の交換高 大正3年 44億9千万円→大正11年 340億円 
大正10年 ニューヨークの手形交換高 3886億円 ロンドンの手形交換高 3493億円   1923/8/6


(日本で)不健全なる多数の銀行会社は内部の事情を暴露する事を恐れて思い切ったる整理を断行する事能わず  1923/8/4


英米金利差拡大(ロンドンのコールは2~2.25%、ニューヨークのコールは6%)→ドル高ポンド安  1923/8/3


(ドイツで)一般の労働者の賃金は今月に入ってからも、既に前月の四割乃至五割を高められたが物価の暴騰は少し位の労銀値上げでは追い付かない有様である 両角伝  1923/7/30


(ドイツで)電気、ガス、水その他家庭的経費の節約のための極端な発明品を陳列した中産階級展覧会が開催される 両角伝  1923/7/30


(ドイツで)中産階級持寄家財売品会が開かれ、新しく貧民階級に落ちぶれた人々がテーブルにあらゆる所持品を並べて買い手を求めている 両角伝  1923/7/30


ターゲブラット紙の報に依ると六月中ドイツの収入は支出の僅(わず)か二分に過ぎない 紐育特派員 石田武太郎  1923/7/29


労農露国の頭目トロツキーが新経済政策の失敗を認めた  1923/7/26


ロシアの経済雑誌(Ecomicheskaia Jizn)の調査結果
ロシアの産業的生産価格 1912年 31億5100万金ルーブル → 1922年 6億4100万金ルーブル   1923/7/26


今や露国の工業に経営者側の役人や事務員の数が増加するのは、多くの人々が余りに理屈許りをこね、監督、検査を八か間敷(やかまし)く云って、自ら工場に行って働かないからである クラッシン  1923/7/26


熊本県債発行 利率年八分  1923/7/23


英国が借金返済の手段として生ゴムを高く売り付けて相殺する政策を採用 石田武太郎 在紐育(ニューヨーク)  1923/7/20


米国人は非常にアグレッシブな国民で対手に少しでも弱みがあるとドシドシ詰め寄っていくし、対手が自分の弱点に付け込んでくると非常に口惜がって爆発する 石田武太郎 在紐育  1923/7/20


ローザンヌ会議が解決に進んだ理由①連合国側が武力でトルコを圧迫できないことを悟った②コンスタンティノープルの駐兵が思わぬ経費を要する  1923/7/12


(中国で)便宜上前宣統帝を皇帝に擁立し皇位を世襲とするが好いそうして各省を全然独立国として中央より之に干渉せざると共に地方は中央の政界に容喙せぬことにすれば、今日の如き混沌状態を脱して曲がりなりにも国家の体裁が備わることになるであろう 小松緑  1923/7/9


ドイツマルク流通高1923年1月1日 約1兆マルク → 6月第4週 13兆917億3900万マルク 
一週間の増加額二兆に達す   1923/7/6


物資の欠乏は遂に伯林(ベルリン)市中に物々交換の原始時代を現出するに至った 在伯林 両角伝  1923/7/3


中流階級者ですら、ピアノを(食料と交換して)喰い、家財道具を喰い尽す世の中であるから、一枚の古新聞紙ですら無闇に捨て去る事は罰が当たる位のものである 在伯林 両角伝  1923/7/3


(ジェノバ会議で)ロシア代表 ボルシェビキ政府により没収された外国人の銀行預金の返還を拒否 その一方でロシア人が外国の銀行に預けた預金の返還を主張  1923/6/30


ドイツ大統領 公定相場以外で外国為替の売買を行うことを禁止  1923/6/29


反過激主義宣伝者は如何なる国に於て労働者の同盟罷業一揆、反乱行わるるとも、必ず其の罪を労農政府に帰せんとする傾向あり、是れ徒らに己の政治的無見識を示すものにして「同一原因は同一の結果を生ず」との単純なる真理を知らざる者なり アドルフ・ヨッフェ  1923/6/24


ドイツ系アメリカ人は総額20億ドルのドイツマルクを買ったが、マルク価値は暴落に暴落を重ね100万ドルになってしまった  1923/6/23


ドイツマルク暴落のためニューヨークのクーン商会が破産  1923/6/23


浦潮(ウラジオストク)政庁 外国紙幣の流通を禁止→一般事業家、銀行家、大学教授等の反対にあい有名無実化 朝鮮銀行券無事流通  1923/6/21


墺太利(オーストリア)の状態は戦後何れの新興国よりも絶望的になった、国民は飢餓に瀕し、又事実、多数はそれがために死んだ フランク・バンダリップ  1923/6/20


嘗(かつ)て中欧の中心であったウインナ(ウィーン)の経済的勢力は、旧帝国領土内諸国との連絡を断たれて地に落ちた フランク・バンダリップ  1923/6/20


日銀所有正貨
大正9年末   21億7800万円
大正11年末  18億3000万円
大正12年5月 17億9700万円
1923/6/17


国家の富の八十八パーセント迄は、国家の二パーセント半(二分五厘)の人々に握られ、又英国民六人の内五人迄は死ぬ時に一銭も残さない現状である 労働党議員 フィリップ・スノーデン  1923/6/4


若し何人をも国家や社会のために自己の利益に対する如く労働せしめ得ると云う見込みがないならば国有及び市有にして成績を揚げ得るのは困難である 自由党議員 アルフレッド・モンド  1923/6/4


我が邦で行われているソウェート・ロシヤの紹介や議論乃至は実地ロシヤを観て来た人々の書いたものを見ても兎角一方に偏した議論が多く、左右両極端の宣伝に過ぎないような観がある 昇曙夢  1923/6/1


ソビエト政府の新経済政策は純然たる国家資本主義 昇曙夢  1923/6/1
昇曙夢(のぼり しょむ、1878-1958)はロシア文学者、陸軍士官学校教授、第二次世界大戦後に奄美群島の本土復帰運動に指導者の一人として参加 Wikipedia


(戦時共産制時代のロシアで)課税収入なるものが無かったので、財政策などは実際に於いて存在しなかった。第一税を誰に課すべきかを知らず、通貨は全然役に立たず、若し課税するとすれば只生産物か他の物資を徴収する外はなかったのである 昇曙夢  1923/6/1


(新経済政策実施前のロシアで)商人達は地下室に隠れて、秘密に商売を行っていたものである。之が若し非常委員会の探偵の眼に留まりでもしようものなら、商品は忽ち没収された上、監獄へ送られねばならなかった 昇曙夢  1923/6/1


(ロシアで)近頃不法商人の死刑に処せらるる者日に何十人何百人という数に上って居る。けれども一方投機商は投機商としての奸作を弄して、盛んに労農官吏を買収して巧みに法網を潜るので折角の政府の対策も効を奏しない場合が多い 昇曙夢  1923/6/1


(ロシアで)新経済政策に対しては共産党内に異論が多く、ある者は余りにも農民の利益に偏った政策だと言い、ある者は資本主義への降参であると言い、ある者は共産主義の破滅だと言った 昇曙夢  1923/6/1


独逸は正金で賠償を支払うことは出来ぬ、併し海外に於ける独逸人の私有に係る外国証券を引き渡し、且つ荒廃地域の改造の為め独逸職工及び材料を提供して代用的支払を為すべく余儀なくし、経済的基礎に於いて賠償問題を解決せねばならぬ イギリス蔵相マッケンナ  1923/6/1


(フランスのルール占領で)漸く恢復の曙光を認め来った欧州の財界は再び滅茶苦茶に打ち毀(こわ)されて終った 北海道拓殖銀行頭取 水越理庸  1923/5/19


山東省、河南省の土匪の中には、五~六千の人数に大砲、機関銃まで備え付け城郭を構えて付近の住民に税を課すものもある  1923/5/19


殊に山東省西南部津浦鉄道の沿線地方は山東、河南、江蘇、安徽四省の境界に当る所から各省官憲が互に(土匪の)鎮圧の責任を譲り合う  1923/5/19


奉直戦争の際河南の趙潔の軍隊が直隷派の為に解散されて土匪化し、数名の外人を拉致した  1923/5/19


トルコ国民議会 英仏を牽制するためチェスター利権(2400マイルの鉄道敷設権、幅20キロの鉄道附属地管理権をアメリカに付与)を承認 紐育特派員 石田武太郎  1923/5/17


東京鉄道局教習所の講師小林光茂 日本語50音をもとに世界語を考案  1923/5/11


政治制度が如何に変化するとも、国家として対外義務は依然として存続するものである。然るにソヴィエット政府は此の原則を無視して内外債務を悉く破棄して了(しま)った 小松緑  1923/5/5


若し革命政府が自国内に於て共産主義を実施して、他国に之を強いんとすることなく又前政府の負担した所の債務を継承するに於ては列国はソヴィエット政府をザール(ツァーリ)政府と等しく承認すべき義務をもつのである 小松緑  1923/5/5


日本は露西亜に三億五千万円内外の貸金がある。露西亜を承認するには先ず此の債務を主義に於てなりとも認めさせねば筋が通らなくなる 小松緑   1923/5/5


西洋でも過激派革命の危険のある国とない国とあります、仏国の如き土地の分配の平均せる所にはその危険なく伊太利、独逸、英国の如きその危険大なり日本は国情を仏国と等しくす 早大教授 五来欣造  1923/5/1


輸出貿易が旺盛→為替銀行の為替買持ちが増加
金輸出を解禁すると輸出手形を買い込んでいる為替銀行が著しい損害を受ける 1923/4/25


中外商業新報の記者が、訪日中のベルギー実業団長ルグラン氏と会見 ナタル法(植民地コンゴに東洋人の入国を禁止)の撤廃を主張  1923/4/19


今やスチンネスは殆(ほとん)ど独逸の独裁者である  1923/4/15 


仏国兵の為めに殺害されたエッセンのクルップ工場職工の葬儀は独逸工業都市よりの代表職工五十万以上参列し各商店及び銀行も弔意を表して休業した  1923/4/13


(ドイツで)今に馬克(マルク)を唯(だだ)で差上げる時節が来るかも知れないから、怒らずに待って居て呉れ 一銀行員  1923/4/12


今のドイツでは相場師気分を抜きにしては生活できない 在ベルリン 両角伝  1923/4/12


ハンブルグの正金(横浜正金銀行)支店へ打電して送金を依頼すると、五六日を経て漸く送って来が為め、予算の書物は既に倍額に騰貴し其支払が出来なくなって終ったと云う様な不平も耳にする 在ベルリン 両角伝  1923/4/12


千マルクの価値
戦前 小家屋→21年11月 茶碗台1個→22年11月 靴下1足→23年1月 ハンカチーフ1枚→現在 トイレットペーパー1束  在ベルリン 両角伝    1923/4/12


(ドイツで)株価低迷 期末配当は7割~10割超だが金貨(換算の)利潤は大きくない 新株発行が各方面で行われている  1923/4/10


フランス軍 ルール地方の占領を拡大 諸銀行を占領 5億8千万マルク押収 1923/4/9


(1921年春に)イギリスが人為的為替相場維持策を放棄→ポンド相場暴落→日本の投資家が将来のポンド相場回復を予想してポンド建て日本国債を購入  1923/4/6


日本で金融引締、国債価格下落→日本でポンド建て日本国債を買いロンドンで売れば利益が出る 1923/4/6


(フランス軍のルール占領で)伯林市中に於けるホテル組合は、仏白(フランス・ベルギー)両国人をホテルから追い出す決議 在ベルリン 両角伝  1923/4/5


(フランス軍のルール占領で)市中の商店、活動写真館などの入口には「仏白人謝絶」の貼札が目に留まる様になった 在ベルリン 両角伝  1923/4/5


本邦化粧品の状勢を正視するに斯業(しぎょう)の発展は遠く明治三十七八年日露戦役を以て一転機を劃(かく)して居る。其以前の本邦化粧品は価格も安かったが品質の粗悪なことも亦驚くべきものであった  1923/4/3


当時(日露戦争以前)本邦に生産された所謂和製石鹸は多量の澱粉を混合して圧搾した不良品で到底比較だに為し能わざるのもなりと非難されたものである  1923/4/3


現今の化粧品は高貴なる香水とか或は特種の品を除いては殆ど輸入品を用ゆるの必要はないに拘らず猶お相当の輸入があるのは習慣的に舶来品ならば何でもいい、値さえ高ければ良品であると云うような無理解な考えを有する一部消費者の絶えないことが与って力ある  1923/4/3


ドイツマルク安定策→株価暴落  1923/3/31


欧洲大戦の結果として仏国の財政状態が頗(すこぶ)る困難な地位に陥ったのは周知の事で英米両国の意嚮(いこう)を無視して仏国が単独ルール占領を敢行したのも其主要な動機を賠償問題の停頓より来れる同国財政の窮迫に求められるのである   1923/3/29


ロシアと貿易を始めると我が国民が過激思想に感染するというのは、アメリカやフランスが共和国であるから貿易を始めると共和思想に感染する恐れがあるというのと同じで杞憂に過ぎない 正金銀行副頭取 一宮鈴太郎  1923/3/17


望月小太郎代議士 ロシア外交官ヨッフェと会見 日本がメルクーロフやセミョーノフ(白軍)から得た権利を承認するよう要望  1923/3/13


第一次世界大戦中に100斤(60㎏)88円だったアンチモンが9円に下落
アンチモンは戦時中には弾丸用の合金に使われるが、平時には玩具用、メタル用、装飾品用の需要しかない   1923/3/8


フランスのルール占領→銅鉄その他金物類が騰貴→日本で好景気 十五銀行 佐藤五百巌  1923/3/7


米国シンクレア―石油会社が北樺太の油田をロシアから租借した契約の
第四条 五ヶ年以内に米国が労農露国を承認せざる時は無効とす  1923/3/6


フランス軍ルール占領→ドイツの染料生産量が減少→米国染料の買い占めを目論む動き  1923/2/20


労農露国政府が各国に対し三百余品目の輸入禁止を声明 通商上最も関係の深い日本に同政府を承認させようとする下心から採った方策  1923/2/17


ラサ島燐鉱会社は新南群島鳥糞肥料の販売許可を得たと云うので株価が大に昂騰して居る其呼物となれる鳥糞肥料は南米秘露(ペルー)では成功して居るが、我国では始めての試みである  1923/2/17
ラサ島燐鉱会社は現在のラサ工業 新南群島は南沙諸島


同社(ラサ島燐鉱会社)の発見せる新南群島には無数の海鳥が幾百年になるか殆(ほとん)ど推定のつかぬ昔から棲息し其鳥糞が山の如く堆積して居る  1923/2/17


(ラサ島燐鉱会社の)今後の経営方針としては鳥糞肥料の前途が有望である為め一方債権者の諒解を得て借入金の償還延期と利子の引下に依り当面の急を救うと共に新に要する運転資金を借入れて燐鉱肥料よりも遥に利益の多い鳥糞肥料の販売に依りて活路を開く方針である  1923/2/17


(東京ガスについて)報償契約(道路等使用の対価を市に納付)に束縛されて事業拡張に要する資金を得る途を欠き、現在の儘では新規の需要に応ずることの出来ぬことは勿論在来の需要家に対しても供給不足の為め苦情続発の有様にある  1923/2/17


(久原鉱業について)仏軍がルール地方を占領して以来金物類が騰貴したので同社も此所多分に漏れまいと予想され其株価の如きは近来滅切り昂騰して居る  1923/2/17


(東京建物会社について)同社の営業は極めて地味のものであるから財界が好況であると云うても別に大なる増益なく其代わり不況時代が続いても打撃を受くることが少ない、併し長年月を通じて見ると世の進歩に伴い土地建物の価格騰貴に依り其利益は年々増加しつつある  1923/2/17


(東京製綱について)大正七年浅野総一郎氏に譲り渡した小倉製鋼所の代金八百八十六万四千円の内六百七十七万八千円が今以て支払を受けず帳簿上の資金に計上されて居ることは同社に取りて一の厄介物であると思わる 1923/2/17


名古屋株式取引所は組織を変更して株式会社から会員組織とすることの議が起こり略之に決定するやに伝えられて居る、会員組織の取引所は別に新しい試みと云うわけでなく我国にも以前にあったけれ共組織の不完全であった為めか繁栄したものはなく皆解散して居る  1923/2/17


米国スタンダード石油会社の分身ともいうべきシンクレアー会社が北樺太で油田の租借権を獲得  1923/2/7


英国政府 対米債務書換案を承認 62年かけて弁済 最初の10年間は利率3分、以後52年間は利率3分5厘  1923/2/3


今日の如く経済界が進歩し取引の複雑となれる時代に、一人にして多数の会社銀行の要部を占むる如きは、決して其業務を堅実に発展せしむる所以でなく、偶々以て事業上の不始末破綻を来すの因となり易いのである  1923/2/3


台南製糖は戦時中合併に合併を重ねて膨張した会社で、総資本金額2025万円、払込1693万7500円、資本金額とほぼ同額の借入金を有するが、産出する砂糖は7~8万担(4200~4800トン)に過ぎない  1923/2/2


台南製糖の再建案をめぐり大債権者である興業、台湾両銀行の利害が衝突  1923/2/2


武藤山治 日銀法改正(金融政策の独立性を強化)を提唱  1923/1/21


東京、大阪、京都などの都会では過去10年の間に薪が石炭、ガス、電気に置き換わった  1923/1/19


火葬場では電気で焼くと骨が残らないので、薪が永久に必要だと言われている  1923/1/19


一時悪性感冒(スペイン風邪)が流行して死人の激増した時等は薪の払底を来して相場は頓(とみ)に松一円に七本という近代稀有の高値を現出したのであったといわれる  1923/1/19


ドイツ賠償金問題で英仏の関係が乖離→ローザンヌ会議でトルコの態度が硬化  1923/1/18


(チェコスロバキアの工業について)ボヘミア硝子の既に世界的名声を有するは何人も知る所であるが彼の独逸製又は英国製と称して遍く世界に歓迎せられる手袋も其実は此国で製造せられるものが多い  1923/1/16


(ルール地方について)独逸を間接直接に統治して居るのは十人か十二人の大実業家であるが、是等の会社は殆んど何れも同地を其本拠にして居ると云ってもいい  1923/1/16


1913年度のドイツの石炭の総産額1億9100万トン そのうち1億1500万トンがルール地方から産出  1923/1/16


仏国がルールを圧迫する事に就いて最も苦痛を感ずるのは、之(スチンネス、ティッセン、クルップ)等資本家であるから、此痛い所をグングン押して行けば、資本家が政府を促して、賠償を支払うだろうと云うのが仏国の覗(うかが)い所である   1923/1/16


蜜柑箱を大連又は京城に送るに其の運賃は蜜柑其ものの代価よりも遥かに多額を要し、北海道に於いて一噸(トン)八九円の石炭が横浜近傍に於て四十余円で小売しなければならぬと云う有様である 狸穴隠士  1923/1/14


1922(大正11)年
積善銀行破綻で銀行預金から郵便貯金への預け替えが急増  1922/12/21


英国人が非常な重税を負担しているにも拘らず他国は債務国に到るまで其国民に対して同様の負担を求めていない 英国上院議員 タバークンヘッド卿  1922/12/16


(禁酒法下のアメリカで)医者が肺炎患者に一日スプーン一杯のブランデーを処方しても、薬屋で容易に手に入れることができない ニューヨーク特派員 石田武太郎  1922/12/15


アメリカが禁酒国となったため、大西洋に散在している英領諸島とカナダが繁盛 ニューヨーク特派員 石田武太郎 1922/12/15


中国・満州・シベリアの文化向上→日本製品の需要増  1922/12/10


ローザンヌ会議でモスル油田地方の委任統治をめぐりイギリスとトルコが対立 トルコ側は近東における全ての委任統治は無効であると主張 1922/11/30


ニューヨークのブロードウェーの随所でドイツマルクの札束販売 煙草屋は添え物としてドイツマルクを配る  1922/10/30


1922年7月時点でドイツの物価は戦前の100倍、株価は戦前の7倍  1922/10/29


労農政府代表者と露亜銀行との間で東清鉄道の所有及び管理権をめぐり猛烈な宣伝戦  1922/10/22


露亜銀行は表面上ロシアの銀行だが全資本の大部分はフランスの出資  1922/10/22


ドイツ大統領令を以って外国為替売買禁止  1922/10/15


ドイツ好景気→フランスは一種の恐怖に襲われ、ドイツ産業の破壊を企む 星野錫  1922/10/10


連合国がコルチャック政府に援助したアメリカ製武器の一部(貨車20両分)を張作霖が入手  1922/10/3


チェコ軍の紛失武器が張作霖の手に渡った事件に日本軍が関与したのは明らか 高木富五郎  1922/9/30


コンスタンチノープルから手を引かなければ、土耳古(トルコ)は英国に対して宣戦するも又辞せないという覚悟を示している  1922/9/24


長春会議で日本代表が(ロシア)極東共和国に対し土地租借権を要求 将来、極東共和国の法律制度が変更される場合を予想し、資本家の利益保護のため  1922/9/20
長春会議で日本代表を務めた松平恒雄は旧会津藩主松平容保の六男 第二次世界大戦後、初代参議院議長に選出される Wikipedia


張作霖が大量の軍用品等を買入→奉天票暴落→狼狽した張作霖は奉天城内交易所に対し金百円に対し奉天票百四十五円以上の取引を禁止→奉天城内交易所で大恐慌  1922/9/16


樺太の養狐業が有望 大泊の東洋養狐会社は前年度に毛皮41枚を生産 毛皮時価は赤30円、十字70~80円、黒1000円~1500円  1922/9/7


関東庁(旅順・大連を統治)はアヘン専売や彩票(宝くじ)発行をやめたせいで財政難に陥った 稲葉君山  1922/9/5


露西亜は自国の債務(80億金ルーブル)を認めてもよいがその代り連合国がソヴィエット露西亜を攻めた損害五十億金留(ルーブル)を弁償して呉(く)れ、尚お財政整理資金として差当り三十二億金留を貸して貰いたいという途方もない事を言い出した 小松緑  1922/8/31


ドイツは紙幣を輸出して莫大な金貨を取り入れたが、マルク相場が下がって印刷代も紙代も賄えなくなり行きづまった 小松緑  1922/8/31


(ドイツで)マルク暴落のため郵便局は外国為替の振出を停止  1922/8/27


大名は支配者としては打倒されたけれども其莫大なる財産は維新後に於ても経済的優者として力を有すること充分であった、況や其後に華族として制度的に其力を認められたに於いてをやである 衆議院議員 山口義一  1922/8/23


武士は大体に於いて経済的優者たる力を有して居なかったから、当時の支配階級の走狗としての力を奪わるるや、まるで一たまりもなく倒されてしまったのである 衆議院議員 山口義一  1922/8/23


日本は現に輸入超過の状態なのに、金輸出禁止令のせいで物価が下がらない 法学博士 清瀬一郎  1922/8/22


小額紙幣は新しい間は所有者から大切にされるが、古くなり汚れるに連れて粗末に扱われ、それほど必要ない品物まで買われるようになり流通速度が上がる  1922/8/16


政友会内閣は、財界救済のため紙幣を増発し、中間景気を招き事業の整理を妨げ物価の低落を阻止し、財界の安定と回復を遅らせた 憲政会総務 浜口雄幸  1922/8/15


要するに金輸出解禁の利なるや否やは内国の産業を危くしても未だ多少輸出貿易を不利益ならしめても、此際輸入を奨励するの必要ありや否やに依って決すべき問題である 政友会代議士 堀切善兵衛  1922/8/3


最近露国から帰った人が余に語った所によると此の人は二人の赤帽にチップとして三百万留(ルーブル)を与えた所彼等は開き直って正直なボルシェビキーにタッタ此れだけしか払わぬのかと尋ねたと ロイド・ジョージ  1922/7/29


オーストリアがドイツに合併せぬため 英仏両国オーストリアに金を貸す  1922/7/26


(ロシアで)食料品その他の物資は、まず共産党の間で分配され、次に軍隊に供給され、更に余剰があれば始めて一般国民に頒布される  1922/7/25


(物価下落を妨げる原因について)懐に金が有るからでしょう、金があれば聖人でない限り需要を起こしますでしょう 白木屋呉服店社長 西野恵之助  1922/7/18


1922年3月 各国物価指数(戦前と比較) アメリカ130、イギリス163、スウェーデン164、オランダ162、スイス171、日本201  1922/7/18


借金をしてまでも中元や年末年始の贈物をなすが如き愚挙は全く廃止し意義ある贈答のみに止めたし 柳沢統計研究所総裁 伯爵 柳沢保恵  1922/7/18


アメリカの銀行家バンダーリップ アメリカ人の出資による欧州合衆国準備銀行の設立を提唱  1922/7/17


ドイツ破産宣言説が流れマルク暴落 銀行は何れも預金受け入れを拒絶して一時営業停止  1922/7/10


ドイツ外相ラーテナウはドイツ最大の個人会社の社長で、実業王スチンネス一派(人民党)の商売敵  1922/6/29


(ドイツで)所得税は其販売当時の評価によるものであるから、実際之を支払う時には実際評価の二分の一、三分の一に過ぎない事になる  1922/6/29


過去二十年間、欧洲は一つの線に割されて東西に分かれて居る、西欧洲は近代文明の出生地で、東欧洲は東洋的な野蛮を表象して居る、そして歴史は東の蛮力が断えず西の文弱を圧迫して来た事を示して居る ドイツ外相ラーテナウ  1922/6/29


庶幾(こいねがわ)くは今後ラインにまで東欧洲を進出せしむる勿(なか)れ、独逸はいつ迄も西欧洲の一員でもありたい ドイツ外相ラーテナウ  1922/6/29


ドイツ外相ラーテナウ暗殺でベルリン株式市場の株価暴落 一時立会停止  1922/6/28


財政の膨張、一般国民の浪費の風習、放漫な貸出→日本の金利は欧米よりかけ離れて高率  1922/6/19


ドイツマルク暴落→イギリス製品の国際競争力低下→ポンド相場の高騰を防ぐためイングランド銀行利下げ  1922/6/18


オーストリア紙幣発行銀行設立決定 1ポンド10万クローネから1ポンド7万3千クローネに上昇  1922/6/17


染料工場は戦時に火薬工場に転換できる 稲畑勝太郎  1922/6/16


国際銀行家委員会 ドイツの賠償金半減を提案 フランスは見返り条件として①イギリス・アメリカ両国のフランスに対する貸付金の棒引きと②イギリスの求償権放棄を主張  1922/6/12


2月中旬~3月下旬の英貨1ポンドに対する各国貨幣の値 フランス50フラン、イタリア86リラ、ドイツ900~1250マルク、ポーランド1800マルク、オーストリア3万2千クローネ、ハンガリー3600クローネ  1922/5/30


スイスの貨幣価値は隣国に対して著しく高いため、スイスの失業者は自国から補助金を受けながらオーストリアに出かけてウィーンあたりのホテルに泊まり無為に過ごしている 大橋新太郎  1922/5/30


五五三の海軍比率を専問家は如何に見るか知らないが余の見を以てすれば寧ろ日本には多過ぎる憾がある 大橋新太郎  1922/5/30


天然資源にしても国民の富力にしても其他凡ゆる産業殆ど一として英米に対して日本が彼等の五に対して三の比率を保って居るものは無いに拘らず海軍々備のみ五に対する三と云うが如き大なる比率を得る事は我国の利益でない 大橋新太郎  1922/5/30


ジェノバ会議の最中に突然、独露条約(ラパロ条約)発表 あらかじめ仕組まれた芝居  1922/5/19


独逸の通貨の下落は必ずしも賠償の為めに非らず、自ら通貨下落の政策を弄したる事明らかである  フランス首相ポアンカレ  1922/5/19


ドイツはルーマニア、デンマーク、オランダ等に銀行を設立してマルクの海外流出を促進した フランス首相ポアンカレ  1922/5/19


伊勢崎銘仙の機業家組合 ドイツ製の染料を使用し売り上げ増加  1922/5/12


ラッパロに於て締結された露独条約の如きは独逸が逸早く自国製品の販売先を露国に求めんとした当然の帰結 団琢磨  1922/5/8


1922年度ドイツ国家予算 歳出の7割が賠償金  1922/4/26


呉佩孚と張作霖との闘争(第一次奉直戦争)でロンドン・ニューヨークの銀塊暴騰  1922/4/22


政府が率先して行政財政の整理を行い事業を緊縮すれば一大消費者を失った結果国内の諸事業も整理縮小せられ失業者も各階級を通じて輩出し従って物価は低落するから始めて海外への輸出も可能となる 東京モスリン紡織会社社長 青木五兵衛  1922/4/17


日本人は他に類の無い浪費国民である 前大蔵大臣 勝田主計  1922/4/17


(日本は)五十年前迄(まで)商工業を軽視し重農主義を採った武家政治の国であるから今日でも国民は一般に物資を貯蓄して将来を企図する精神に乏しく一度好景気時代に作(さく)した贅沢の習慣を容易に改むる事を敢えてしない 前大蔵大臣 勝田主計  1922/4/17


インド 1919年に歳入不足のため大蔵省証券を保証として無準備紙幣を発行→物価激騰→逆印度証券(ロンドン宛送金手形、インドがロンドンで保有する金を受け取ることができる)売出→インドがロンドンに保有していた正貨準備は皆無となった  1922/3/7


(イギリス領)香港政府 広東(孫文・陳炯明)に対して金融上の打撃を与えるため銀貨および銀塊の輸出を禁止  1922/2/28


仏国は独逸よりの賠償を単に金銭問題とのみ考えて居らない、此賠償を以て独逸に対する自己の優越を永遠に保持する道具として居るのである  1922/2/11


英国が独逸を経済的に解放したいのも、英国の顧客としての独逸の解放を要求し、且つ独露の封鎖は却って両国の接近を意味し、露国の開発が独逸の手のみに帰する事を懼るるのである  1922/2/11


現在の儘(まま)棒引を実行するにしても欧洲では只(ただ)軍隊を増加したり戦争の準備に費消して仕舞う、そこで米国は此負債を一先ず取り立てるそして米国の監理の下の学校を建てたり其国の平和的施設をすべきである バンダーリップ  1922/2/11


最近独逸スチンネス案として伝えられた所に依ると先ず独乙(ドイツ)の鉄道を払下げ之を大陸諸国に拡大して露国鉄道をも買収統一し、其を以て露国を改造せんとの案は一顧の価値あるものだろうと思う 在ロンドン 特派員 阪田  1922/2/7


ソヴィエット政府は連合国が露国に対する凡(すべ)ての武装を解除し且同政府を承認するに至らば前帝国政府の戦前負える債務を引き受くべき旨を連合国に告知  1922/1/20


(極東共和国支配下のハバロフスクで)町に住んで居る人々は其給料を貰うのに、一部を現金で残りを借用証券で受取るので、生活の必要品を買入れる事が困難である 中外商業新報通信員 マーガレット・ハリソン


(ハバロフスクで)与論は全体として、国内戦争と紛乱した状態とを以て、一に日本軍が西比利亜(シベリア)を専有した事に帰して居る 中外商業新報通信員 マーガレット・ハリソン


1921(大正10)年
ドイツマルク暴落 マルクが高い時に原料を仕入れた工業会社は製品価格の高騰で巨利  1921/12/28


ドイツの大実業家スチンネス 政府に対する金融支援とその見返りに鉄道郵便電信電話事業の民間払い下げを提案  1921/12/28


軍縮に依る剰余額を二億円とするも之を五千五百万の人口に割当つれば一人当り僅々(きんきん)三円六十幾銭であって、一日一銭の余剰を得るに過ぎぬ 太陽生命専務取締役 清水文之輔  1921/12/27


(日本で)軍事工業に直接関係を有する主要工場の職工数は約23万人  1921/12/18


英印特恵関税のごとき経済軍国主義は時代に逆行する 大阪商業会議所  1921/12/14


東京全市で断水 飯が炊けないためパン屋が暴利 井戸所有者は金を取って水を売る  1921/12/12


英米経済界が軍備制限の好影響を受け現下の沈衰状態を脱却する形勢を出現すれば我が経済界も之が為め活力を加え軍備制限の打撃を相殺して尚余りあることと思われる 東京海上取締役 山成喬六  1921/12/10


ロシアのバクー油田の生産量 781万トン(1916年)→235万トン(1920年) 労農政府必死の努力も空しく一切の動力は停止し油田は荒廃  1921/12/8


オーストリアでハイパーインフレ 物価は戦前の50倍~200倍 1ポンド7千クローネ  1921/12/6


(オーストリアで)大学教授と熟練職工の収入が大差ない 大学教授は他国の大学に行きたがっている者が多い  1921/12/6


紐育(ニューヨーク)市場に於ける麻(マルク)相場の如き、実に平価百分の一半に過ぎぬので、此勢いを以て下落したならば、麻紙幣は最早、其印刷費をも償う事能わざるに至るは決して遠き将来でないとさえ云われて居る  1921/12/4


中国・交通両銀行の救済策として当地官憲は両行紙幣の額面通り流通を市民に強制  1921/11/30


中国・交通両銀行で取り付け騒ぎ 紙幣の兌換を為す者両替店に殺到  1921/11/17


ドイツの紙幣発行高 25~27億マルク(戦前)→880億マルク(1921年8月31日) 準備正貨は10億4千万マルク  1921/10/25


(ドイツで)帝国銀行の金利は1914年以来依然として5分の据置  1921/10/25


ドイツの物価 戦前の17倍に上昇  1921/10/25


1920年1月~1921年9月でドイツの物価1.7倍、株価2.33倍  1921/10/25


(ドイツで)筋肉労働者は賃金値上げと所得税免除 中流社会は物価騰貴と増税で生活難  1921/10/25


一独人は曰く今日の独逸は明治維新当時の日本の如き状態にして武士に相当すべき中流社会が最も零落する実情に在りと  1921/10/25


(ドイツで)家主が仮に1万マルクの収入あるとすれば、家屋税その他の直間接税7割を徴税され、手取り収入はわずか3千マルクに過ぎない  1921/10/25


マルク安のため、ドイツの繊維産業が活況  1921/10/25


連合国が独逸を圧迫すれば夫丈(それだ)け馬克(マルク)を下落せしめ従って輸出を盛んならしむべし  1921/10/25


ドイツマルク下落→オランダの物価が著しく低下→オランダで破産失業続出  1921/10/23


(英国政府の方針について)政府自身もそれを知らないことは確信をもって申し上げられる 英国上院議員  1921/10/10


戦時中の大小成金は独逸国中到る処に居る又一流所の大会社は存外疲弊していない、保険会社や銀行等は戦時中内密に正貨を貯蔵し居りしが如く馬克(マルク)の下落の為め却って巨利を掴(つか)んでいる模様である  1921/10/10


先物取引に伴う売買両者の約定不履行は絹業界多年の宿弊 三井物産横浜支店次長佐羽総太郎  1921/10/6


インド人ガンジーがイギリス製綿布をムンバイ海岸で焼棄 日本製品とドイツ製品が多少の好影響を受けるかも  1921/10/6 


ロシア共産化失敗 資本主義復活(新経済政策・NEPのこと)  1921/9/28


独逸の前途は列国が賠償金支払を免除又は大いに削減するに非ずんば到底破産を免れず 米国某有力者  1921/9/12


最近独逸が支払いたる十億金貨馬克(マルク)は一部を独逸銀行準備金より残部を和蘭(オランダ)借款に依りて払いたるものの右借款期限六ヶ月後に如何に之を弁済するかに付独逸蔵相に全然目宛無し 米国某有力者  1921/9/12


英米は着々と賃金の引き下げを実現しつつある 日本も賃金を下げなければ国際競争で落伍してしまう 横浜輸出協会  1921/8/24


農業を機械化し、余った労働力で海外進出するべき(投書)  1921/8/23


ロシアで飢饉 トロツキーは英米の救済を受けずポーランド、ルーマニアを蹂躙し糧秣を獲得して国内の危機を脱し世界革命を実施できると豪語  1921/8/9


大正3(1914)年7月を100として大正10(1921)年5月の日英米三か国の物価指数を比較すれば米国は123、英国は191、日本は202になる  1921/7/26


物価引下輸出振興の必要に鑑み、労銀生活者自身も自重して所得を浪費せず、一時の苦痛を忍びて企業者の要求に応ずることを要す 日本貿易協会連合部会  1921/7/26


企業者及資本家に於ても今後成るべく低率の利益又は配当に甘んじ、薄利多売の方針に依りて、生産業の堅実なる発展を期せざるべからず 日本貿易協会連合部会  1921/7/26


安いドイツ製品のイギリスに対する輸出が旺盛 イギリス政府は根幹工業保護案並びにダンピング防止案を議会に提出  1921/7/19


賠償委員会 5月末までにドイツが支払うべき10億金マルクをドルで支払うよう命令→急激なドル高ポンド安
ポンド暴落の際ニューヨークのドイツ系銀行の活躍目覚ましく 日本経由の裁定上の鞘を狙う    1921/6/28


(ドイツで)外国人が多く住む都市で物価上昇が激しく、ミュンヘンで1食4マルクで食べることができる料理がベルリンでは20マルクする  1921/6/26


自国の住宅を他人に賃貸し、一家を挙げてドイツ・オーストリアに行き、ホテル生活を営む者あり  1921/6/26


リボンシトロンの登録商標焼付空瓶を同一商品に使用する者に対し有罪判決  1921/6/24


ドイツが第1回賠償金を支払うためポンド売りドル買い→急激なドル高ポンド安  1921/6/21


田野広三郎が出願した登録商標がイギリス王室の紋章に類似していると英国商務官が抗議  1921/6/16


欧州人までが日米戦争の実現を以て時間の問題に過ぎないものと認めている 小松緑  1921/6/8


日米戦争は若し実現することになれば五千五百浬の太平洋隔てて相闘うものであるから、其の間に到庭決戦の機会なく、時々航空機を飛ばして脅嚇するか、互に軍艦を要処に配置して防備の手段を講ずるか、結局消極的に兵糧攻の手段に訴うるのみで、終に共倒の運命を免れないものである 小松緑  1921/6/8


何人も桑港(サンフランシスコ)と聞けば雑駁な汚穢(おわ)い港町を心に浮かべるであろう。ヴェニスと聞けば、優美鮮麗な海上の蜃気楼を想像するに違いない。ところが実地に行って見ると、それが正反対である。 小松緑  1921/6/8


兎角旧慣に囚われ勝ちの欧洲では今でも公立学校を貧民学校視する風がある 小松緑  1921/6/8


吾輩が倫敦(ロンドン)で暫く下宿していた家庭の主人に、英国の教育制度を聞いた序(ついで)に、不図其子女を公立学校に通わせているかと尋ねたら、頗(すこぶ)る不機嫌な顔をして、あれは貧民の子弟の為めに設けられた学校ではないかと言った。 小松緑  1921/6/8


吾輩は会う人毎にその(ロイド・ジョージの)可能的後継者を聞いて見たが、ロイド・ジョージに満足しない者でもチャーチルは角がとれぬし、チェムバレンは気力がないしなどというばかりでどうも目差す偉人を一人も挙げない 小松緑  1921/6/8


ロイド・ジョージの眼中には自国の与論の外何にもない、外交関係は総てそれから打算して来るのである 小松緑  1921/6/8


(ドイツは)連合国の償金要求を出来るだけ軽減せしめようという思惑から何事も貧乏臭く哀れっぽく装うことに腐心していた 小松緑  1921/6/8


(ドイツで)人民党は彼の有名なるユーゴー・スチネス氏の率いるものであるがスチネス氏は実業の神とまで崇められる人、幾多の鉱山業船舶業製造業に関係し巨億の富を擁している 小松緑  1921/6/8


(ユーゴー・スチネスは)全国の重なる新聞を買収したが今では其の数七十にも上っている  1921/6/8


陝西省督軍陳樹藩 人事異動で指揮権を取り上げられたことに憤慨し独立を宣言  1921/5/29


東三省巡閲使張作霖 日本政府が大連取引所の相場を銀建から金建に変更したことに対して抗議  1921/5/26


戦前5千万トンだった世界の船舶総数は6千万トンに増加 世界貿易の数量は戦前状態にすら回復していないので船腹過剰になるのは当然 オウエン・フィリップ  1921/5/17


(日本で)卸売物価の下落に比べて小売物価の下落が緩慢 労働者、俸給生活者の所得があまり減らず一般消費者の購買力が減退しないため  1921/5/11


連合国 駐英ドイツ大使に最後通牒を交付 ルール地方占領の予備行動に着手  1921/5/8


アメリカ商務長官フーヴァー 南部の綿花輸出を助成 綿作者の購買力増加→東部の工業を盛んにする→失業者を減らすことを意図  1921/5/6


旧ドイツ領南洋諸島委任統治条項に奴隷売買禁止の規定  1921/4/30


昨今英国は百万、米国は二百万の失業者を出しているに反し、独逸の労働者で遊んでいる者は僅(わず)かに二十五万しかいない 小松緑  1921/4/27


ドイツのゾーリンゲン製の鉄製品は、シェフィールド製の英国品よりも優良で、値段は英国品の半分にも達しない 小松緑  1921/4/27


不思議な矛盾は英米人が一方に於いて独逸にはあらゆる物資が欠乏しているように言いながら、他の一方に於いて痛く独逸製品のダンピングを恐れていることである 小松緑  1921/4/27


アメリカ国内で世界石油の7割を産出 かつ隣国で産出する石油でアメリカの支配下にあるものを加算すると8割2分に達する  1921/4/13


オランダ銀行の頭取ビセリング博士 通貨の価値がなくなった国家のために物々交換の機関を組織することを提唱  1921/4/8


米人ヴァンダーリップのカムチャッカ租借発表は日米離間を狙ったレーニンの陰謀  1921/4/7


ドイツ政府は特別安価にて商品を供給するのを好まず輸出品は政府指定価格以下では一切輸出許可証を与えず、また輸入は絶対必要品でなければ一切輸入許可証を与えない方針 横浜正金銀行頭取 梶原忠治  1921/3/21


イギリスの国債総額77億ポンド 国民一人当たり1440円 大蔵大臣チェンバレンは国債の整理に50年以上を要すと声明 小松緑  1921/3/21


下院首領にして国璽尚書たるボナー・ロー氏の演説に拠れば、昨年中の一人当納税負担額は、独逸の三磅(ポンド)、仏蘭西の九磅、米国の十五磅に対し、英国は二十二磅に上れりとの事也 小松緑  1921/3/21


欧州諸国が貧困の境遇に陥りて其の購買力を激減したるが為め英国の生産物は販路を見出すに由なくして停滞 小松緑   1921/3/21


英国の従来得意とせる対露対墺及対近東貿易は戦前に比し三分の一乃至五分の一に劇減 小松緑  1921/3/21


(イギリスで)前従軍者と称し胸間に勲章を掲げつつオルガンを鳴らし歌を唄い、自作の絵画を路傍に陳列し、又はマッチを売物にして乞食生活を送る者甚だ多し 小松緑  1921/3/21


仏国は三百十五億法(フラン)余の対外放資(投資)を為し居れども其九割弱は露国を初め独土(ドイツ・トルコ)等に対する回収覚束なき債権に属し今や同国の財政は賠償金に拠るに非ざれば立ち行かざる状態にあり  1921/3/18


オランダ人ターミュラン 国際貸借案ターミュランスキーム(公平な国際委員を選定し質屋のような役割を担わせる)を提唱  1921/3/14


ドイツの財産徴発税 最高税率65% 財産の隠匿が甚だしく行われ、最初の徴収予想である800億マルクの半額も覚束ない  1921/3/8


日本では、1年平均200万石の米が不足 有事の場合不足の食糧を他国から持ち運ぶだけの海軍力が必要だが、これを常備することは困難 矢作栄蔵  1921/2/3


ドイツの賠償船キャップ・フィイステヤ号 日本の海運会社が運航しても採算が取れないため持て余し状態  1921/2/3


(日米戦争で)幸いに日本の海軍が勝った暁にはどうなる?、四千浬(カイリ)の太平洋を横ぎり日本の陸軍を米国に上陸せしめて十年の恨み重なる加州を蹂躙するなどの空想は、軍事常識眼より見るも殆ど不可能に近き難か事と思われる 海軍大佐 水野広徳  1921/1/22


独り対米戦争のみでなく外国との戦争に際し我国民の最も懸念すべき問題は我国土に対する敵の空中攻撃である 海軍大佐 水野広徳  1921/1/22


今日本の都市にして仮りに倫敦(ロンドン)、巴里(パリ)の如く敵の爆弾下に暴露したりとせんか、東京も、大阪も一夜にして焦土と化するであろう 海軍大佐 水野広徳  1921/1/22


生産費の減少は啻(ただ)に目前の策たるに止まらず永遠の国策ともいうべきものなるを以て絶対に之を必要とする 井上準之助  1921/1/21


(生産費の減少に関連して)労働賃金の下落を来し一時中産階級以下の購買力を減ずるの結果を見ることありとするも我財界の根本的安定の為には亦止むを得ざる所なるべし 井上準之助  1921/1/21


土耳古(トルコ)義勇軍はアルメニア問題に就き(ロシア)労農政府と妥協して多数の軍需品及び兵器の供給を受け希臘(ギリシャ)に対して一大攻勢を準備  1921/1/18


米国海軍拡張の理由は国際連盟に参加せざる以上世界を敵とせざるを得ず即ち世界何れの国よりも優れたる海軍を要すと云うに在り 阪谷芳郎  1921/1/10


ロシアでインフレ 英貨1ポンドが10万ルーブルに相当 生活費は一人一か月少なくとも30万ルーブル必要だが、政府は銀行を管理し一人一か月500ルーブル以上の引き出しを禁止 三井物産ペトログラード支店前社員 ラッサアソン   1921/1/9


(ロシアで)製品を生産費以下で分配しようとし更に労働者の賃金を公定しようとして企業の閉鎖が続出 多数労働者は失業 三井物産ペトログラード支店前社員  1921/1/9


現時世界の三大海軍国たる日英米が其海軍拡張を中止せざる限り世界は依然として真の平和を得難く武装的の平和は何時かは破れて再び世界を戦乱の巷と化す時が来るであろう フランス前海相シャール・ショーメ  1921/1/8


工学博士小林久平 酸性白土に魚油を混合乾留して人造石油を製造することを発明  1921/1/7


麦を主食とする国民に比べ、日本国民はより多くの食糧費を必要とする 日常品に高価を支払う我国の生産費が諸外国に比べて高いのは当然  日本勧業銀行総裁 志村源太郎  1921/1/3


1920(大正9)年
アメリカの一般物価が2~5割の低落 飲食店までが2割引きを実行 失業者200万 小松緑  1920/12/31


(アメリカで)自動車は津々浦々までも普及し農家がその産物を運搬するのに馬車に代えて自動車を用いるほどになった 小松緑  1920/12/31


同盟罷業(ストライキ)は米国の名物と言われ戦時中も休戦後も大なり小なり同盟罷業の起こらざる日とてはなく太陽東より出でぬ日はありとも同盟罷業の起こらぬ日はなかるべしとまで思われたり不思議や予は渡米後未だ一回も同盟罷業の噂だも聞きたることなし 小松緑 1920/12/31


生糸の価格を調節し絹製品を贅沢品の代わりに常用品として広く利用させる方法を講ずる必要がある 小松緑 1920/12/31


第一次世界大戦でイタリアは人口比、所有船舶比で英仏以上の損害を被った  1920/12/28


イタリアのニッチ内閣は、麦の消費を制限しパンの値段を上げるため新パン法案を議会に提出したが、社会党の反対に逢い内閣瓦解  1920/12/28


リラ暴落→英米の観光客がイタリアに行き各ホテルは満員 1920/12/28


アメリカが対露為替取引制限、対露金輸出制限を撤廃 対露通商を許可した訳ではなく、商人が自己の危険をもって通商するのは差支えないとの趣旨  1920/12/23


米価下落防止又は釣り上げのため全国各農会は不売同盟の宣言をしたが、米の出荷は日々増加した  1920/12/20


(茨城県で)一時の好景気に目がくらみ、株式投機に手を出して父祖伝来の田畑家倉を人手に渡した者が少なくない   1920/12/19


アメリカが高率な関税をかけると、巨額の対米債務を抱えるイギリス・フランスの為替相場が下がり、アメリカが過剰生産品を輸出できなくなる ジャーナル・オブ・コマース  1920/12/18


現在の国際貸借関係に見れば米国に於ける保護関税の採用は畢竟天に向かって唾するの愚挙に等しきもの ジャーナル・オブ・コマース  1920/12/18


ドイツは第一次世界大戦の賠償として日本に人造藍(染料)を輸出 藍業界の一大脅威となる  1920/12/17


アメリカ財界の物価下落容認→賃金引下げ→空前の輸出超過  1920/12/3


東株取引所と東京米商取引所は大正12年9月いっぱいで営業満期となり、政府が営業の継続許可を与えなければ両取引所は営業上の特権を失うことになる。しかし、特権の消滅は実際には至難  1920/11/26


ドイツのホテルには室内に石鹸がない、イギリスのホテルには粗末ながら石鹸がある、アメリカのホテルは石鹸を毎日取り換える 松岡均平  1920/11/24


オーストリアは今後ドイツと経済的提携をするかさらに一歩を進めてドイツと併合するかしないと衰亡の外ない 松岡均平  1920/11/24


(ケレンスキーの機関紙ヴォアラ・ロシア紙が労農政府の施政を論評して)1917年11月7日過激派は臨時政府を顛覆(てんぷく)して一般民衆に対し社会主義的治政の下に麺麭(パン)と平和を齎(もた)らすべしと誓いたり而も爾来3年を経し今日彼等が露国民に齎らしたるものは飢饉と戦争と暴政のみなり  1920/11/14


英仏連合公債償還 フランスは高利で借り換えを迫られる見通し  1920/11/12


今日の物価低落は、戦時戦後に買占め売惜しみによって物価を釣り上げ消費者を苦しめた者に対する天罰 堀越善重郎  1920/10/18


我が経済界の欠陥は国民の貯蓄心甚だ幼遅なる点にあるが就中中産以下の人々は一朝不意の事変に遭遇すれば忽ち生計の困難を感ずる 勝田主計  1920/10/18


現行地租条例は依然として40余年前の地価を標準として課税されているため不公平 十五銀行副頭取 成瀬正恭 1920/10/18


日本の破産者が比較的少ないのは家族制度の賜物 十五銀行副頭取 成瀬正恭  1920/10/18


イギリスの識者 もし第二次世界大戦が起こるとすれば石油のための戦争になると予想  1920/10/14


アメリカの国内産油は今後18年で枯渇する 1920/10/14


11ノットの速力を有する1万トンの船舶を動かすのに、重油なら一日11トンで済むが、石炭なら50トン必要  1920/10/7


明治41年の日本の石油産出量 183万石  1920/10/7


地方村落では採算がとれないので電灯ガス灯の普及は不可能  1920/10/7


ドイツは戦争のみならず平和にも敗れた ベルサイユは実は最後の大決戦であった 駐日ドイツ大使 ゾルフ  1920/9/27


カリフォルニア州新土地法案は日本人の土地所有借地を禁止しているが、抜け道がある。米国に生まれた成年の日本人が会社を組織して土地を所有し、その会社の雇人の形式で耕作する者は土地法に違反しない 清沢洌  1920/9/21


革命のためロシアからヨーロッパへの食糧輸出が途絶え、ヨーロッパはアメリカから食料を輸入 ヨーロッパ貨幣の暴落が止まらない  1920/9/14


ロレーヌ割譲によりドイツの鉄鉱の7割7分が失われた。一方フランスは鉄鉱を溶かし銑鉄を製造するために必要な石炭が不足し、フランスの銑鉄とイギリスの石炭を交換することになった  1920/8/31


アメリカの製鋼所の多くは銑鉄炉を所持し銑鉄と共に鋼鉄を製造するため、別々の工場で生産する日本と比べ約半額の生産費で済む  1920/8/31


友愛会会長鈴木文治 逓信省で中国人船員排斥を陳情  1920/8/23


安直戦争に先立ち徐樹錚は、中国銀行に命じ、紙幣500万元を発行して戦費に充てようとしたが、同銀行から少なくとも150万元の発行準備金を納入しなければならないと拒絶された  1920/8/23


アメリカのトルコ分割提唱をきっかけにインドのユダヤ教徒が反米運動 バラモン教徒と提携して米貨排斥  1920/8/20


日本政府 写真結婚による女性の渡米を禁止  1920/8/12


軍部大臣現役武官制のせいで、日本は外国から軍国主義の疑惑を持たれている 小松緑  1920/8/12


安直戦争で徐樹錚は実行不可能な命令を発し、腐敗し易い糧食を根拠地に山積みし、負傷者に対する運輸機関は不備   1920/7/27


波蘭(ポーランド)の独立は全世界の平和のため必要欠くべからず若し過激派にして波蘭を突破せんか一挙にして独逸国境に迫らん形勢茲に至らば独逸は義務回避の異図を起こすや必せり ロイド・ジョージ  1920/7/26


5月初旬、ニューヨークの大百貨店であるジョン・ワナメーカー商店が手持ちの商品全部を2割引の値段で売り出し  1920/7/23


(ソビエト・ロシアを指して)国内においては少数専制を行い、外国に対しては民衆政府転覆のため狡猾なる宣伝を行いつつ民主主義を無視するが如き政団は承認しない 米国国務省  1920/7/16


日本の海運業 戦時異常収益→諸経費の増加により平調に復帰 日本郵船取締役 伊藤米治郎  1920/6/20


物価騰貴→一般の商工業者は戦後さらに好況になると期待→信用膨張→金融の梗塞→信用収縮  1920/6/15


株価が極端に割安になり、一流株で利回り2~3割に上るものも少なくない  1920/6/14


割安株投資も銀行預金も不安味においてはほとんど異ならない  1920/6/14


(ロシアで)資本、土地、工場、鉄道、銀行並に一般商工に関する施設は悉く国有となり小農並に労力者より成る委員が其の経営を管理するに至れり而も小農と労力者とは徳操知識孰れも低級なれば其管理の下に於いて土地の大部分が殆ど荒廃に帰せるは敢て怪しむに足らず ロンドン・タイムズ  1920/6/8


(ロシアで)石鹸は非常に高価なるが為め容易に之を入手する能わず石鹸にて身体を洗うが如きは稀有の贅沢と見做さる ロンドン・タイムズ  1920/6/8


吉林督軍鮑貴卿 東清鉄道を回収。毎月60万元の赤字  1920/5/31


アイルランドのシン・フェイン党 数次ダブリン市街に放火、警察署を焼き討ち又は爆破、英人牧場を襲撃
シン・フェイン党の本部はニューヨークにあり アメリカ人の同情と援助を受ける  1920/5/29


明治36年(光緒29年)、清で会社法が発布され、多数の株式会社が設立された。しかし、民法・刑法等の不備と利己的国民性のせいで、ほとんどの会社は重役と有力株主の食い物になってしまった  1920/5/19


商品物価指数総平均 123(大正元年)→ 397(大正9年)  1920/5/16


第一次世界大戦の目的は途中から一変して、デモクラシーを樹立するための戦争になった。それが連合国が勝った精神的原因 法学博士 岡実  1920/5/5


ヨーロッパにおける石炭の欠乏、世界労働問題の頻発→石油燃料の利用促進  1920/5/2


アメリカの為替取引は、5年前にはウォール街近くのウイリアム街の一煙草店に集まる為替仲買人の間のみに限られていた  1920/5/1


ほとんど食料になってしまってベルリンの市中を歩いても犬を見ることはできない 高楠順次郎  1920/4/20


(ドイツで)肉や鳥のごときはほとんど中産階級の人の口に入らない、ジャガイモと野菜ばかり食べている 高楠順次郎  1920/4/20


為替に非常な差があるからドイツに来ると一寸成金の夢が見られる  1920/4/20


(株価暴落について)金融引締は結果であって、むしろ原因は投機思惑過大の事業計画 高橋是清  1920/4/16


銀行業者が得意先の状態を顧みる暇なく自己本位に流れて急遽資金の回収を図ると、財界に急激な変動が起こり自他共に不利益となる 高橋是清  1920/4/16


増田銀行頭取増田信一 私財全部を投げ出し誠意を披瀝して救済を懇請  1920/4/9


(アメリカで)第一次世界大戦中に警察官が自動車を片っ端から停めて公債応募を勧誘 内務省社会課長 田子一民  1920/4/1


独逸の研究に依ると産業上の能率は会社の中の熟練職工の飲酒の如何に依り左右される、酒を飲む熟練職工は酒を飲まぬ熟練職工より品質に於て劣り生産する数量に於て劣る 内務省社会課長 田子一民  1920/4/1


1919年の銑鉄生産量 英738万トン、独618万トン、米3056万トン  1920/3/31


郵便局従業員の待遇がよくないため人員不足になり郵便物が遅滞 下級官吏の待遇がよくないため人員不足になり一般行政事務が遅滞  1920/3/24


近時経済界の風潮は日を追うて惰落に向かい実業家は生産の増殖を勉めずして徒に製品の価格釣上を事とし又労働者は徒に賃金の昂上を求めて其功程の増加に意を注ぐ所なし 池田謙三  1920/3/17


対トルコ講和条約で日本が領事裁判権を獲得  1920/3/17


イギリスで奢侈品の非買決議→ポンド高→銀塊相場暴落  1920/3/14


ベルギー銀行 第一次世界大戦中に国内で流通したドイツマルク回収のため紙幣を発行 貨幣過多になりベルギーの工業株が上昇  1920/3/13


中国湖北省のキリスト教会が広大な土地を買収し農民に貸し付け、進歩した耕耘法や農産物の加工法を農民に教え、その上共同販売や購買組合の世話までしている  1920/3/13


中国の官吏は腐敗し商人は健全  1920/3/11


中国を実際に支配しているのは商人の団体  1920/3/11


(ロシア過激派政府承認について)旧帝政時代の債権並に各種の条約を全部過激派政府にて承認継承するに於いては考慮を加うべきも然らざるに於いては其の余地なし 2月24日のロンドン首相会議でフランス代表発言  1920/3/6


米国に来る日本品は比較的安価なもので、高等な米国製品とは競争にならない 米国商務省  1920/3/4


フランスで鉄道ストライキ フランス政府は食料の買占めを防止する処置  1920/3/2


連合国のコンスタンチノープル自由国建国案 トルコ皇帝がレーニンと手を組む恐れがあるため撤回  1920/3/1


ドイツの商船 戦前と比べ97%減少  1920/2/17


ドイツで、以前150マルクだった衣類が1300マルクに高騰 旅館はコーヒー砂糖類を出さず、サッカリン代用の砂糖水のようなものを出す  1920/2/15


アメリカで金採掘が採算割れ 産金額減退  1920/2/13


株主の大部分は借入金で株式に投資しており、配当金の大部分は借入金の利払いに充てられる。改正税法で配当金に過重の税率を課すと、株式に投資する者がいなくなってしまう 某銀行家  1920/1/31


ドイツの蔵相エルツベルガーはドイツ全国民(法人含む)の財産調査をして5割の課税をしようとしたが狙撃された  1920/1/30


個人経営だった賃取橋を府県知事市町村長へ移管  1920/1/27


憲政会の浜口雄幸が高橋是清蔵相に質問の矢を放ち、公債整理に関し蔵相の所見を叩く  1920/1/25


現下の欧洲大陸は通貨を収縮すれば経済界の活動を阻止し又通貨を増加すれば其対外価値を失墜して遂に海外より物資を輸入し得ざる悲境に陥り現状打開を見ざる限り経済界の復興は困難の状態にあり  1920/1/13


ポーランドは45~50万の軍を持ち、チェコも15万の兵を備えているので、ドイツがロシア過激派と協力するのを防ぐことができる クレマンソー  1920/1/2


1919(大正8)年
ユーゴスラビアは大セルビア王国 1919/12/30


アイルランドの連合王国離脱問題 第一次世界大戦にアイルランドは一兵も出さなかった 1919/12/29


中国は銀本位制。銀の価格が上昇し、金貨国の対中輸出が有利になった 大倉喜八郎 1919/12/18


外交官は中国で5~6万円の機密費しか使えないが、軍人は200万円の機密費をもって活動している 1919/12/10


満州における日中間の葛藤は概ね下級在留民の放縦から起こった問題が大部分を占めている 1919/12/10


ロマノフスキー紙幣に対し、ケレンスキー紙幣は2~3割価値が低く、シビルスキー紙幣は更にケレンスキー紙幣よりも3割価値が低い 1919/11/7


オムスク政府はシビルスキー紙幣に対し打歩(プレミアム)を請求し又は請求に応じるものを処罰する法令を発布 1919/11/7 五等米に少し澱粉を入れると上等な米が人工的に出来る 稲垣乙丙 1919/11/6


東清鉄道 ケレンスキー紙幣・西シベリア紙幣の受取拒否 1919/10/26


徒らに現金を擁し金利に依りて生活せんとするが如き所謂仏国式殖利法 1919/10/22


イタリアのイル・テンポ新聞が日独露三国同盟説を発表 1919/9/26


北部満州でロシアの銀行の信用失墜、日本の銀行が、ほとんど全市民の預金を吸収 1919/9/23


(中華民国の)中国銀行 1915年以降、貸借対照表を作成せず 1919/9/23


貿易黒字→通貨膨張→物価上昇→労働争議 対策として海外投資を図れ 1919/9/3


イギリスの態度が豹変し、オムスク政府の借金の申し込みに対して貸し渋るようになった 1919/9/2


罷工法案(ストライキに官庁の許可が必要) 田尻稲次郎 1919/8/11


インフレで洋服、靴の価格が高騰 学生に筒袖草履を用いる自由を与えるべき 1919/8/10


米を主食とする我国古来の習慣を打破して、米以外の物を取って代用食物となすの新習慣を作るべき 益田孝 1919/7/17


英米の金輸出禁止→日本の在外正貨増 1919/7/13


下等品ー関西品、中等品ー東京品、上等品ー舶来品 1919/6/20


ドイツが中国で排日思想を煽った 阪谷芳郎 1919/6/12


黒竜江省の小洋票が暴落 1919/5/5


イタリアの下層民の主食はマカロニで、その約4割は他国からの輸入 1919/4/28


一戸建ての住宅を好み、長屋建てを賤しむ風習は旧式の貴族思想にして、借家難の原因 1919/4/13


1918年8~9月各国中央銀行正貨準備 英3.4億ドル、仏7.2億ドル、日3.3億ドル、伊1.7億ドル、米20.9億ドル 1919/4/7


ドイツ系アメリカ人 戦時公債に応募したら預金を引き出すと威嚇 1919/4/7


ボルシェビズムは人道の敵 フランス外務大臣 1919/4/4


ドイツの新聞フオルウエルツ 苛酷な平和条約に調印するよりも世界革命を扇動したほうがいいと主張 1919/4/2


マラソンやベースボールのような運動競技よりも徒歩通学を奨励したほうが体育上の効果が高い 1919/2/27


シベリア鉄道管理に関する日米協定 1919/2/16


スペイン風邪で生命保険事業者の支払義務400万円。日露戦争戦死者への支払い2~30万円 1919/2/14
日露戦争の日本の戦死者8万8千人、スペイン風邪の日本の死者48万人 Wikipedia


華南銀行設立 台北に本店、広東、シンガポール、スマランに支店を設ける 1919/2/2


この恐怖時代の後に、必ずロシアに健全な新政府が樹立され、ロシア国民は完全なる自由と幸福を享受するに至るだろう 内田康哉 1919/1/23


潜航商船ドイツチエランド 1919/1/6


ハーバート・フーヴァーは第一次世界大戦中の合衆国食料管理官として活躍 フーヴァーは食料節約の代名詞になった 1919/1/6


合衆国民は1918年1月以来、無肉日、無麦日を設定して連合国を飢餓から救った 1919/1/6


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