第24章 ルイスヴィル・アンド・ナッシュヴィル株買占め(前半)

  ニューヨーク証券取引所の古い建物の構造は、まるで、才能ある菓子職人が贅を尽くして作ったかのようだ。外部装飾の汚れは、1865年の竣工から、1901年に現存の建物の用地の一部にするために取り壊すまで積み重なった。しかし、そこで起こった出来事についての伝説の方が、建物についたスス汚れよりも黒かった。

  この古い建物は、ブロード・ストリートとウォール街の角にはなかったが、L字型だった。ニュー・ストリート4番地、ブロード・ストリート10・12番地、又は第三の地番で呼ばれたが、いずれも間違いではなかった。この場所の向かい側は、政治屋、労働組合活動家、牧師など国中の扇動家に好まれた。なぜなら、彼らは、聴衆の煮え立った感情に火をつけるには、この場所が適していることに気付いたからだ。ウォール街13番地には、いつも演説する人がいた。

  そこで活動する多くの投機家は、実際のところ、13という数字の呪いに取りつかれているようだった。しかし、もっと不運なのは、ウォール街13番地と電線でつながった厄介な自動電信機が、人間の理解の枠組みをはるかに超えた悲惨な情報をもたらすことだ。コネチカットの工場主、テキサスの鉄道会社の株主たち、コロラドの金鉱の労働者たちは皆、合理的に説明し難い、非難されるべき一日の激しい値動きで犠牲になっただろう。これは、農業者が温度計を見て早霜を非難するように無意味なことだ。しかし、自動電信機が時々、カチカチと音を立てて、陰謀家たちの経済的不正を記録していたことは否定できない。取引規則の量が増え、表面上の厳しさが増したが、新しい規則はどれも、投機家の陰謀を抑え、取引を本当の経済状況に対応させることを意図したものだった。取引所が新しい規則を公布すると同時に、抜け目のない人が、少数の者が得をして、多数が損するような方法を考案した。それでも、取引所会員組織の中で、株の買占めが非難されるべきと信じた者はわずかだった。もし、証券取引所で売ることができる量を上回る株を買うほど機敏な投機家がいたなら、売り方を打ち負かすことができただろう。このような状況に対応する法のすべては、しばしば語られる1つの句に要約された。
「空売り屋 買い戻さねば 牢屋行き」

  ヘティ・グリーンのお金が、ウォール街の金融機関に流れたとき、しばしば、ヘティが何らかの株を売買しているとのうわさが流れた。フィラデルフィア・アンド・リーディングはヘティのお気に入りの株の一つだと言われていた。しかし、このような時、ヘティは表に出ようとしなかったので、誰も確かなことは知らなかった。ヘティは、株式市場の混乱を招いたとして何度も非難された。ヘティとは何の関わりもなかった時でさえもだ。ジェイ・グールドその他数人は、ドレイク・ブラザーズがグリーン夫人の仲買人だと思っていた。従って、ドレイク・ブラザーズの場立ちが、何らかの鉄道株を大量に買ったとき、一般にその注文は、ヘティ・グリーンの口座でなされたと報告された。

  アディソン・カマックという名の南部人は、株式市場の一貫した売り方だった。彼は南北戦争後にニューヨークに現れたおびただしい数の同類のうちの一人だった。アトランタのジョン・インマンのような多くの元南軍兵士たちが、綿花の知識を使って商売を始めた。しかし、彼らのほとんどは失敗し、綿花関係の仕事から離れていった。大多数の者が南軍と共に崩壊していった一方で、ごくわずかの者がなんとか財産を増やすことができた。ケンタッキー生まれのアディソン・カマックは、南北戦争後に南部を離れた裕福な移住者のうちの一人だった。ウォール街のうわさで彼の経歴を知ることができる。カマックは、南北戦争中に投機的な事業で100万ドルを稼いだと言われている。ハバナの司令部で北軍の海上封鎖をかいくぐっていた、あるいは、1863年に自身はロンドンにいて、封鎖破り船団に出資していたとも言われているが、カマックはウォール街で歓迎された。行儀のいい億万長者はどこでも歓迎されたのだ。カマックは、1876年に証券取引所の会員権を買い、1897年まで持ち続けた。

  ルイスヴィル・アンド・ナッシュヴィル鉄道の幹部は、会社の利益が過去数年間の平均に比べ減少したことをカマックに打ち明けた。カマックは、ルイスヴィル・アンド・ナッシュヴィル鉄道が配当を減らそうとしていることに気付いた。蹄鉄のような髭を生やし、刺しゅうのある亜麻の服を着たカマックは、ルイスヴィル・アンド・ナッシュヴィル株を大量に空売りした。カマックが仕掛けた売りの圧力で、ルイスヴィル・アンド・ナッシュヴィル株は30ポイント下落した。

  ルイスヴィル・アンド・ナッシュヴィル株はたやすく下がるので、株価が底値に達したとき、カマックは当初の2倍の額の空売りをしていた。そのため、さらなる値下がりを予測しているカマックの含み益は数百万ドルに達したように思われた。

  後日、カマックは語った。「全て俺の言った通りになった。公報は全て悲観的だった。取締役会は配当を取りやめた。これを喜ばずにいられようか。」「その時、その時だ。ちくしょう!俺は、もう借りる株がどこにもないことに気付いた。俺は屠殺場の中にいたんだ。俺はどのみち、俺自身の血しぶきを見ることになった。」

  カマックはこの冒険の詳細を金融街の記者、ハリー・アロウェイに打ち明けた。

  取り乱したカマックは、翌日の株式市場が開く前に、手練の仲買人アル・コームズをグリーン夫人のもとに差し向け、空売りを決済するのに必要な数の株を貸してくれないか、または売ってくれないか頼ませた。コームズはケミカル・ナショナル銀行に行き、戻ってから報告した、グリーン夫人は、今日は忙し過ぎて商売の話ができないと言い張ったと。ヘティは、コームズに翌朝、会うことを約束した。そして、翌朝、コームズは、次のような皮肉を聞かされた。

  「前に、カマックさんは、ルイスヴィルは持っているのが恥ずかしいような株だと言ってなかったかしら。」

  コームズはもう一つ伝言を持ち帰った。その内容は「明日の早朝、カマック自身がヘティの家に来るように」だった。カマックは約束の時間に遅れまいとするあまり、夜も寝なかった。ヘティ・グリーンの鋭い視線の下、カマックは花嫁のように神経質になった。

  ヘティは切り出した「そういえば、私はルイスヴィル株を持っている。必要なら譲ってもいい。この紙に、4万株の高値と底値の差額を計算して書いている。お急ぎなら、1株あたり10ドル上乗せしていただけるとありがたい。いかがかな、カマックさん。」

  カマックは多くを語らなかった。カマックは、ヘティにちょうど40万ドルの利益をもたらす小切手を手渡した。カマックは少なくとも100万ドルを失うとみられていたため、この事件の後、カマックの前でヘティ・グリーンのことを冷酷だと言う者はいなかった。ヘティは、ルイスヴィル株を買い占めた。したがって、ヘティが望むなら、カマックを身ぐるみ剥いでしまうことができた。もしも、カマックがコリス・P・ハンティントンだったなら、話は違っていただろう。ハンティントンはヘティの敵だった。

  ヘティは、アディソン・カマックに情けをかけたことが、ウォール街での彼女の性格に関する評判からかけ離れていたことをよく知っていた。  

    ある時、ヘティは、ケミカル・ナショナル銀行の事務室で訪問者を応対して語った。「私は、息子や娘に対して誠実であると同時に、商売の上でも誠実でなければならないという義務を、若いうちから実践してきました。私に言わせれば、本当のヘティ・グリーンのことを少しも知ろうとしないような人々が、ウォール街で私のことを悪く書いているという事実から目を背けるつもりはありません。私は勤勉なので、彼らは私のことを無慈悲だと書きます。私は、我が道を行きます。パートナーを持たず、他人の財産を危険にさらしません。そのため、私は(旧約聖書の)イシュマエルのように、すべての人々と対立する立場にいます。」


ヘティ・グリーン研究
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