第31章 1907年恐慌:見知らぬ人へ100万ドル貸付(後半)

  ヴァンダービルト一族は、怒って、あるいは恐怖してグリーン夫人の声明を読んだ。それを新聞が報道した。グリーン夫人から実際にお金を借りた他の人々は、グリーン夫人が6%で満足したことをさして重要だと思わなかっただろう。ヘティは金利の相場がより高い時でさえ6%を超える利息を取らなかった。ヘティのお金は、シカゴのチャンドラー社を仲介して5〜9%で貸し付けられた。ハリー・ペイン・ホイットニーは、ヘティ・グリーンからお金を借りたことも、借りようとしたこともないと明確に言った。ここで重大な勘違いに気付いた。ヘティは74歳の老婆になっていた。ヘティの能力は最盛期を過ぎていた。ヘティの財産は、もはや安全ではなかった。

  思うに、グリーン夫人は、ハリー・ペイン・ホイットニーに100万ドル貸したと言った時、単に間違ったのだろう。実際のところ、ヘティは、ウォール街で最も大胆な投機家、ハリー・ペイン名誉大佐に100万ドル貸し付けた。

  1907年末のある日、ペイン名誉大佐は、共通の友人の会社でグリーン夫人と会った。少し後に、金融記者としての取材のため、この会見についていくつかの質問をしたハリー・アロウェイによると、ペイン名誉大佐は、テネシー石炭鉄鉱鉄道の取引に深く関わっていた。同社の支配は、J・P・モルガンに指図された取引でユナイティド・ステイツ・スティール社に渡ろうとしていた。ルーズベルト大統領は「あなたと私は実務家です。」との軽率な手紙を書いて、協定を承認した。後日、ペイン名誉大佐は、グリーン夫人が予想とは違い、彼の人柄と担保を確信して、友好的に気安く100万ドルを貸した時に感じた驚きを語った。

  グリーン夫人は、この事件を友人のエドワード・ハッチ・ジュニアに語った。その時の印象では、100万ドルをヘティから借りた人は、マーク・ハナの同志で工場主のオリバー・ペイン上院議員だったように思われた。そのことを話した朝、グリーン夫人とハッチ氏は、中央公園の貯水池の周りを歩いていた。ヘティは、ペイン上院議員がヘティの事務所に現れ、「グリーン夫人、あなたは私のことを知らないし、私も今まであなたに会ったことがありません。私はとても困難な状態にあり、100万ドルがすぐに必要です。」と言った。ヘティはペイン氏に、会ったことがないのは本当だが、彼のうわさを聞いたことがあり、しばしば彼の新聞記事を読んだことがあり、彼の人柄にあこがれていたと語った。ヘティはただちにお金を貸すと言った。
「金利はいくらですか?」ハッチ氏は尋ねた。
「6パーセント。」とヘティは「私は神を信じます。」と言うのと同じ口調で答えた。
「担保も証券もなしに?」ハッチ氏は、疑っていた。
「私たちは、そのことについて話し合わなかった。ペイン氏は、かばんを送ってきて、私はその中に株券と債券が入っていると思ったけど、開けなかった。ペイン氏はその後すぐ返済を始めて、それから1ヶ月以内に完済したのさ。ペイン氏が担保を受け取りに来たとき、私があえてそれを見なかったことに気付き、驚いているようだったよ。」

  確かにグリーン夫人は、ペインという名前の誰かに貸したが、それはハリー・ペイン・ホイットニーではなかった。ヘティの間違いはくたびれた老婆のもので、その記憶力はかつてのものではなかった。

  1905年から1909年の間、エドワード・ハッチ・ジュニアは、しばしばヘティと会った。

  ハッチが初めてヘティと会ったのは非公式な場でだった。彼は、1905年に五番街84番通りの両親の家に住んでいた。そして、毎朝早く起き、五番街の百貨店、ロード・アンド・テイラーを経営していた。アニー・リアリー嬢はハッチの近所に住んでいた。ある朝、ハッチが玄関を出た時、ちょうどリアリー嬢の家を出たところのグリーン夫人がハッチにあいさつした。ハッチはまるで若く美しい女性に会ったかのように帽子を高く上げた。二人は一緒に五番街に向かって歩いて行った。6時半過ぎ、日の出前のことだった。

  グリーン夫人はリアリー嬢の家にしばしば泊ったため、それから数ヶ月の間、二人一緒の朝の散歩は頻繁に繰り返された。時々、ヘティがハッチ氏よりも先に出た場合、ヘティは呼び鈴を鳴らして、怒った執事にハッチ氏を起こしに行かせた。二人は時には公園に入り、貯水池を回った。しかし、ほとんどの場合、二人は18番通りと19番通りの間の東側を歩いた。ヘティはしばしばハッチに息子ネッドや娘シルビアの話をした。時々、ハッチ氏は、リアリー嬢が開いた夜会でグリーン夫人と出くわした。そのような場合、グリーン夫人は服装に気を使うが、その服は10年以上流行遅れだった。朝の散歩でのヘティの服装はさらに悲惨だった。
  ある朝、ヘティは物思いに沈んで「私の服がぼろぼろで酷いと新聞に書いているけど、本当かい。」とハッチに聞いた。

  二人が半区画ほど歩いた後で、ハッチ氏が思い切って答えた。「グリーン夫人、その目の前のベールを考えてみてください。破れています。あり得ません。もし、私の店に来るなら、売り物の中で最高のベールをあげます。」
「本当?親切ね。」ヘティは子供のように喜んで言った。

  ハッチ氏はヘティが来るとは思わなかった。

  翌朝10時半、動揺した売り場監督がハッチ氏の事務所のドアを叩き、ヘティ・グリーン夫人が下の階のベール売り場でハッチ氏を待っていると伝えた。ハッチ氏が通路を通ってヘティに近付くと、女性店員達はみすぼらしい老いた生き物に関するうわさ話をやめて仕事に熱中し始めた。その時、ヘティは訪問の目的を告げ、ハッチの注意を引いた。
「ハッチさん、ベールを見に来たよ。」

  ハッチ氏は、この体験が本当だと信じられなかった。もしもハッチが舞台演出家で、グリーン夫人が入場券を申請したのならば、ハッチはうまく対応しただろう。しかし、百貨店では、規則により商品をあげることはできなかった。ハッチは、売り場の女性店員に売り物の中から最も良いベールを選んで、グリーン夫人にあげるよう指示した。ハッチは言った。「私に請求してくれ。」

  ヘティに対する店員の評価は一変し、売り場に着いた店員は、ベールのレースの紐をしおれたボンネットに合うよう調節した。鏡に映ったヘティの頭は鳥のようになり、ヘティはまたハッチ氏に言った。
「スカートを持っていたら、安く買わせてくれないかしら。」

  ハッチ氏は喜んでそうしますと言い、スカートが折りたたまれ寸法ごとに台に積み上げられた売り場にグリーン夫人を連れて行った。売り場は非常に大きいため、ほうきを持った店員は、一日の経路を急いで回って掃除を済まさなければならなかった。ハッチ氏の側に呼ばれた女性店員は、このスカートの山の中に一つの掘り出し物があることを打ち明けた。

  それは8ドルのスカートだった。そのスカートは最初の購入者が満足せずに返品したものだった。今やそのスカートは(ハッチ氏は値札を読むふりをした)50セントだった。ヘティはうっとりして、取引をまとめるため、震える手を財布に突っ込んだ。ヘティはこの日以来、エドワード・ハッチ・ジュニアのことを賞賛し続けた。

  ある時、ヘティはハッチ氏にホーボーケンが好きだと言った。税金逃れがしたかったからと新聞に書かれたが、そうではなかった。ドイツ人街の不動産に興味を持ったため、また、アパートを所有していた友人を助けようと思ったため、ヘティはそこに滞在した。ヘティはホーボーケンで一連のアパートを占有していたが、その所有者と取引関係がなかった。しかし、代理人を手配していた。この無意味な欺瞞で、ヘティは単に、よりよい家を買を買うようヘティを説得する親類に押し付ける作り話の準備をしているように思われた。

  ヘティが6%を超える利息を請求したことは一度もないとハッチ氏に言った時、ヘティは宣伝をしていた。グリーン夫人はいつも、たった6%しか利息を請求しないとお金を借りない人々に言っていた。ヘティは高利禁止法違反を恐れた。当時、ニューヨークその他のたいていの州では、今と同じように、いかなる個人の借り手に対しても年率6%を超える利息を請求することは違法だった。もし、6%を超える利息を請求された場合、借り手は、この不合理で非経済的な法律の下、裁判所に行き高利を訴え、利息または元本の支払いを断る権利があった。

  高利禁止法に対する心配のあまり、時々、ヘティは夜中に目を覚ますことがあった。ヘティは、重要な借り手がいつの日かヘティに背いて裁判所に高利を訴えないかと悩んだ。ヘティは、世間から高利貸しだと言われたくなかった。そして、ある時、ニューヨークの新聞の金融記事の編集者に宛てて手紙を書いた。

 拝啓

 私は助けを必要としています。あなたなら私を助けてくださると思います。それができるなら(その気があるならという意味ですが)、私はあなたを大親友だと思います。

 私はウォール街で窮地に立っています。それは次のようなものです。:今日、ある銀行の支配人が私に言いました。「グリーン夫人がちょうど6%でお金を貸すほど賢いことはみんな知っています。」と。もちろん、その支配人は何か意味のあることを言おうとしたわけではありません。しかし、彼がそう言っているのは、その言葉が流行しているからに違いありません。私が悩んでいるのはそのことです。そして、できるならその銀行員の考えがどこから来たのか、どうか教えてください。会ってその事についてよく話し合いましょう。あなたは彼を知っています。彼はあなたとくつろいで話すと思います。

  今、私はどんな問題も起こしたくありません(世界中のどんなことでも)(私がしなければならないことであっても)。しかし、私を苦しめることで誰がどれだけ喜んでいるか知って欲しいのです。

  あなたは、重大なことを知っています。それは、私の実業家人生全部の中で最も誇りに思っていることは、どのような貸付、契約からも6%を超える利息を生涯一度も決して決して1ペニーも取らず、また取ろうともしなかったことです。そして私がそれを誇りに思っているなら、どうして、お節介な人が反対のことをしゃべるのを許すべきでしょうか。おしゃべりはおべっか使いよりも悪質です。

  ニューヨークでは、高利禁止法が適用される深刻な危険なしに、6%の不動産担保貸付よりもよい手段が普通に行われていた。その一般的な方法は、例えば、より多く利息を取る見返りに、借り手に5000ドル与えることだ。色々な方法がある。何人かの特に慎重な貸し手は、借り手の親類または友人が抵当権を執行することを求める。その時、彼らは、その担保物件を割り引いて買うことに同意する。書類上、貸し手はたった6%の利息を取ることになる。


ヘティ・グリーン研究
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